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- ナノ -




 レノに言わせると、わたしは「忠誠心のない犬」だという。
 昔から、友人たちに「あんたは面食いだね!」と言われてきたけれど、犬に例えられたのは初めてだった。べつに、メンクイだからといって浮気性なわけでも、尻軽なわけでもない。た、たぶん。少なくともわたしは、浮気はしたことないし、したいと思ったこともない。まったく、一ミリも、思ったことなんてない! ただ、例えばアイドルの男の子だとか、イケメンの俳優さんだとかが、テレビドラマでかっこいい演技をしていると、きゃーきゃーと騒いでしまうだけだ。あと、バラエティとかで可愛い笑顔を見てきゃーきゃー言っちゃうだけだ。あと、雑誌に載ったセクシーなショットできゃーきゃーしちゃうだけ。あと、

「そういうところだぞ、と」

 弁解をしていたはずなのに、なぜか話し始める前よりも機嫌の悪くなったレノが、わたしを睨みながら言った。昼下がりのカフェテラス。天気がいい今日は外でお茶でもしようということになり、久々に思い出の詰まったこの店を訪れたのだ。大通りに面した店とは違い、ちょっと奥まったところにあるこのカフェは、隠れた名店だった。紅茶とスコーンが絶品なのだ。仲の良い友達とよく訪れるようになったこの店で、初めてレノを見かけたのは、もう何ヶ月も前のことだった。思い出の詰まった、なんて聞こえはいいが、出会いは単純で、レノのナンパだった。いや、先に恋に落ちたのは、わたしかもしれないけど。

「ねえ、あの人、かっこよくない?!」

 最初にレノを見つけたのは、学生時代からの友人だった。着崩した黒いスーツと、地毛ではないであろう真っ赤な髪。テラスで気怠げにコーヒーを飲む姿にドキンと心臓が跳ねたのを覚えている。一目惚れ、のようなものだった。なによりも、伏せられた睫毛の隙間から見える、澄んだ瞳に心を奪われた。透き通るようなアクアマリン。綺麗な、みずのいろ。「そう? ちょっとチャラそうじゃない? アタシはパス」「えー、そこがイイんじゃん!」友人たちが盛り上がる中、わたしはその瞳から目が離せなくて。友人たちの会話が聞こえたのか、どうか、カチャリとカップをソーサーに戻して、彼は席を立ってしまった。残念がる友人の声と、はねるわたしの心臓だけが、その場に残されて。その時は、それで、終わりだと思ったのだけれど。

「あ、」

 思わず零れた言葉に、男の人が顔を上げる。アクアマリンと目があって、慌てて視線を逸らして席についた。給料日後だからと、奮発して一人カフェを訪れたわたしを出迎えたのが、あの時の彼だった。いや、別に、出迎えたわけでは全然ないんだろうけど。勝手にわたしが彼を見つけて、勝手にときめいただけで。なんだかドギマギしながら、いつもの紅茶とスコーンを頼む。全然、あの男の人のほう、見れないな。いや、あの人だってべつにわたしのことなんて見てないんだろうけど。やだ、わたしばっかり意識してる、気がする。せっかくの紅茶なのに、ぜんぜん、味も匂いも感じられない。どうしよう、と一人で慌てていると、びゅう、と強い風がテラスを駆け抜けていった。慌てて髪を押さえたら、その風は代わりにテーブルの上のレシートをさらって行った。あ、と手を伸ばした先、赤い髪の彼が、パシリとレシートをキャッチして。

「す、すみません!」
「いや、別に」
「ありがとうございます」

 慌てて駆け寄って、頭を下げる。レシートを受け取ろうと伸ばした指先は、しかし、空を切った。え、と彼の顔を見ると、上から下までじろじろとわたしを見ていて。な、なにか変かな、わたし。うろたえるわたしの顔を覗き込んで、男の人はニヤリと笑った。その顔に、また、心臓が跳ねた。え、な、なに?

「奢ってやるぞ、と」
「え、あ、そんな、え?」
「その代わり、オレに付き合えよ」
「え? つきあ、え? え?」
「あんた、名前は?」
「名前、です、けど、あの、」
「レノ。よろしくな、名前ちゃん?」

 そう言って、ニイと笑ったレノに、わたしの心は撃ち抜かれてしまったのだ。気づけば手をひかれ、街を歩いており、あれこれってデート?! なんて思っていたら、あれよあれよという間にホテルに連れていかれ、まさかの、まさかの、その日のうちに関係を持ってしまったのだった。いや、あの、なんで、そんなことに?! そりゃあ、わたしだって、男の人と、お付き合いしたことはあるし、そういうことも、したこともある、けれど、それにしたって、え、出会ったその日に、そんな、馬鹿な!! ベッドの上で頭を抱えるわたしを後ろから抱きしめたレノが、楽しそうに耳元で囁いた。「じゃ、今日からオレが名前の彼氏な」よろしく、とほっぺにキスをした唇が、すぐにわたしの背中にも降りてきて。……ああ、その日は朝まで離してもらえなかったな、なんて、恥ずかしいことを思い出してしまった。

「おーい、聞いてんのか、と」
「え、あ、ごめん、」
「なに考えてた?」
「レノと出会った時のこと」
「へーえ。オレに一目惚れした時のこと? それともその日のうちにホテルに、」
「す、ストップ!!」

 慌ててレノの言葉を遮ると、切れ長の瞳がニヤリと楽しそうに歪められた。くそう、遊んでやがる。むすっとしたままカップをとって紅茶を飲むと、吹き出したレノが悪い悪いと謝った。全然誠意が感じられないんですけど。

「でも、名前が悪いんだぞ、と。オレ以外の男、見てっから」
「だから、見てないってば!」
「へえー? どうかな」
「それを言うなら、レノだって、……!」

 はっと口を手で押さえる。やばい。くち、すべった。案の定眉間に皺を寄せたレノが「あ? オレが、なに?」と不機嫌そうにこちらを睨んでくる。こ、怖い! なぜか、レノは、凄むと、すごい、迫力があって、わたしはいつもビビってしまう。一体レノが何者なのか、付き合って何ヶ月も経つのに、彼女なのに、わたしは全く知らないのだ。

「え、名前、あんたそれ遊ばれてんじゃないの?」

 昨日の夜のこと。久々に友人二人と飲みに行った居酒屋で、爆弾を落とされたのだった。恋人がいることは話していたけれど、なんだかここ数ヶ月仕事が忙しかったので、詳しいことは相談できていなかったのだ。報告も兼ねての飲み会で、彼女はピシャリとわたしに言い放った。

「その男、怪しいわね」
「え、そうかな」
「前カフェで会った人でしょー? イケメンだったしいいじゃん!」
「馬鹿、職業不詳、住所不詳、連絡先もメールのみでしょ? 怪しすぎるわよ!」
「で、でも、返事はちゃんとくれるし、デートもしてるし、」
「その返信だって、真夜中だったり朝方だったりまちまちなんでしょ? 仕事の時間が不定期? 言い訳にしか聞こえないわ!」
「あははーホストだったりしてー!」
「しかもあんた、デートのたびにホテル行ってるんでしょ?」
「そ、それは、デートも、たまにしか、できないし、その」
「体目当てね。間違いないわ。他に女がいんのよ」
「そ、そんな……」
「女は度胸! あんた明日デートなんでしょ? ビシッと言ってやんなさいよ!」
「がんばれ名前〜!」

 レノがわたしのことを、好き、なのは、本当だと思う。た、たぶ、ん。ちょっとえっちでいじわるだけど、優しいし、無理強いはしない。デート代はオレが持つ、って、いつも奢らせてしまうのは申し訳ないけれど、でも、ちゃんとそこには、気持ちが、あるような、気がしたのだ。気のせいだったのかな。どうなんだろう。いつだってわたしといる時のレノには余裕があって、レノといる時のわたしはいつもドキドキしっぱなしだ。だから、レノが、どれだけ本気なのか、わたしには知る術がない、と思っていたのだけれど。

「で? オレが、なに?」
「その、あの、」
「あ?」
「わ、わたしのこと、本気、なのかなって、」
「はァ?」

 目の前のレノは、険しい顔でわたしを見つめている。鋭いアクアマリンが、彼の本気を、表しているようで。その真剣さに、一瞬口ごもる。でも、でも、ここで、言わなかったら、わたしは、わたしの気持ちは、宙ぶらりんのままだ。だから、勇気を出して、口を開いた。

「だって、レノ、電話番号教えてくれないし、デートしてても電話があるとすぐにどっか行っちゃうし、デートの最後は必ずホテルだし、わたしはレノのおうちも、お仕事も、なにも知らないし、だから、だから、その、」

 目を瞑って一気に言い始めたのは良かったものの、最後の方になって言葉に詰まってしまった。そんなわたしの言葉を、レノは無言で聞いている。む、無言?! あのレノが?! ど、どうしよう。やっぱり、面倒くさい女って思われたかな。遊びなのに彼女ヅラしやがって、みたいになるのかな。……ふ、振られちゃったらどうしよう。目を開けたくない。怖い。でも、さよならするのは嫌だけど、このままなんて、もっと嫌だ。ゆっくりと目を開ける。レノの顔を見上げると、優しそうに微笑んでいて。え、微笑んで、る? その眼がゆっくり開かれて、覗いた、アクアマリンが、怒りを、孕んでいて、え、あれ、怒って、え、怒って、ます?

「へーえ。ナルホド。名前ちゃんはオレのことそんな風に思ってたんだな、と」

 怒ってます !!!! すごく怒ってます!!!
 無理やり笑っている唇がピクピクと痙攣している。これは、すごく、怒ってる。今までにないくらい、怒ってる。にっこりと笑ったレノが左手を出して「スマホ」低く呟いたので素早くわたしのスマホを乗せた。何か操作したレノは、それをポイとわたしに投げ返す。画面には11桁の番号が。え、これ、もしかして、レノの、

「デート中の電話は勘弁な。仕事だぞ、と。あとは……職業か。ほら」
「え、なにこれ、社員証? ……え、神羅カンパニー?!」

 次に投げられたのは一枚のカードだった。社員証、と書かれたそれにはレノの名前と顔写真、それから、街で見かけない日はない赤いロゴが。仕事、大変そうだとは思ってたけど、まさか、神羅で働いてるとは思わなかった。ミッドガルでは赤ん坊でも知っている、神羅カンパニー。そんなところで働いている人だなんて、信じられなかった。去年やっていたドラマを思い出す。神羅社員が主人公のドラマは、広い世代でヒットして社会現象にもなった。一般社員のフリしたその男の人は、実はソルジャーで、街の平和を陰ながら守っていたのだ。同じソルジャーや、タークスとかいう秘密機関の同僚とともに、悪をやっつける勧善懲悪もの。ちなみに、主人公の男はイケメン実力派俳優が起用されおり、脇役もイケメンばかりだったので円盤を購入した。めっちゃかっこよかった。何度も観たけど、まさか、レノがそんなすごい会社で働いてるとは思わなかった。

「レノが、神羅で働いてるなんて、びっくりした、」
「ま、一応機密事項だしな」
「本当に? ドラマみたい。総務部調査課? って、大変なの?」
「お前、去年のドラマ観てたんだろ、と」
「え?」
「出てただろ。タークス。流石に“総務部調査課”じゃなかっただろうけど」

 え? いや、出てたけど、タークス。敵の本拠地に潜入して情報を持ち帰ったり、悪い奴らを殺したり、拉致して拷問したり、結構ひどいことをやっていたような。ぽかんとレノの顔を見ると、ニヤリと笑っている。え、なんで笑って、え、なに、もしかして、まさか、

「ま、あんな手ぬるい拷問、オレはしねーけどな」
「え、え、」
「命令以外の殺しはしないぞ、と。仕事は仕事、だ」

 固まったわたしの手から社員証を抜き取って、レノは席を立った。動けないわたしを置いて、出口へと歩いて行ってしまう。ま、待って。声は出なかった。レノが? タークス? 拉致も、拷問も、殺しですら、やってしまう、あの? レノの大きな背中が去っていく。それが、少しだけ、ほんの少しだけ、寂しそうに見えたのは、わたしの勘違い、なのだろうか。

「……っと、最後は家、だったな」

 くるりと振り返ったレノが、首を傾げる。相変わらずその唇はニヤリと釣り上がっていて。その瞳から、感情は、伺えなくて、でも、

「今日は一日オフだからな、今から家、くるか?」
「え、レノ、の?」
「来たらもう、戻れねぇけど」

 それでもいいのか、と問うてくる声は優しくて。そうだ、レノはいつだって、えっちで、意地悪で、それでいて、とても優しくて。きっと、きっと、わたしのことをいつだって考えてくれていたのだ。黙っていたのは、たぶん、わたしを、巻き込まないためで。わたしのために、レノは、いっぱい考えてくれてたんだ。そして、全部教えてくれた上で、わたしに、選択肢をくれている。ねぇ、レノ。わたしは、バカだし、イケメン好きだし、流されやすいけど、それでも、レノを好きなこの気持ちは本物だって、それくらいは、わかるよ。

「行く! レノの家、見たい」

 駆け寄って、レノの腕に抱きつく。ぎゅう、と抱きしめたら、レノが嬉しそうにククっと笑った。ご機嫌なレノが、わたしにカードキーを差し出す。シンプルなそれはきっと、間違いなく、レノの家のそれで。え、そんな、いいの?

「いいのもなにも、それ、お前用」
「ほ、本当に?」
「ああ、だから、早めに荷物、まとめとけよ、と」

 え、荷物? 見上げるわたしに、上機嫌なレノはずいと顔を近づけた。ニイと笑う唇から、尖った歯が覗いている。ええと、もしかして、まとめとけって、そういう、こと?

「オレから逃げる最後のチャンスだったのにな」
「え、あの?」
「神羅の重要機密知っちまったんだ。もう後戻りはできないぞ、と」
「それって、つまり、」
「そ。これからずっとオレの監視下で、オレの隣で、生きてこうな」
「は、ハイ」
「浮気したら……どうしてやろうかな」

 ペロリ、と舌舐めずりをするレノの手が、するりとわたしのお尻を撫でたけれど。もうレノには絶対敵わないと分かっているので、諦めてレノの隣を歩いた。抵抗しようと、浮気しようと、いや、キャーキャー言うのは浮気じゃないけど、でもまあ、レノが浮気と言うならもう浮気でいいや。わたしがなにを思って、なにをしようと、レノのことを好きな限り、辿り着く場所はいつだって同じだから。


あいのみちしるべ

200530