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- ナノ -




「なぁ、いいだろ、と」
「や」
「酷くしねぇから」
「いや」
「1時間だけ」
「い、や!」
「先っちょだけでも」
「い、や!!!」

 なんだよ、とレノは唇を尖らせた。なんだよもなにも、当たり前なんですけど。するりと伸ばされた腕を回避して、ソファから立ち上がる。チッという舌打ち。背後から聞こえる不穏なそれを無視して、散らかったリビングを簡単に片付ける。ご飯も食べたし、お風呂も入ったし、後は寝るだけだ。時計を見上げると、もういい時間になっていた。書類仕事をしているときは遅々として進まないのに、どうして休みの日は一瞬で過ぎ去ってしまうのだろう。明日からまた仕事だと思うと、それだけでげんなりする。仕事は嫌いではないけれど、休み明けのデスクワークは地獄だ。どれだけ案件が溜まっているか想像するだけで、ため息が零れる。まあ、零したところで仕事は減らないし、人員も増えない。わたしにできることは、明日に備えてしっかりとした睡眠を取ることだ。決して、レノと、恋人同士のアレソレをすることではない。

「いいだろ、減るもんじゃねえし」
「体力が減るの! レノだって明日出張でしょ」
「……なあ、名前、抱きてえ」
「っ、」

 透き通ったアクアマリンに見つめられ、言葉に詰まってしまう。わたしの動揺を瞬時に感じ取ったレノが、腕を掴んでぐいとわたしを抱き寄せた。またソファへ逆戻りだ。今度は逞しい腕が腰に巻きついていて、身動きが取れない。ちょっと、という言葉は、お尻のあたりに押し付けられたそれのせいで飲み込んでしまった。え、う、そでしょ。まだ何もしてないんですけど! 耳元に寄せられる唇。湿った吐息に、背筋が震えた。

「名前、」
「だめ、ほんとに、だめなの」

 拒むのには理由があった。同じように誘われて、あれよあれよという間に抱かれてしまって、そうして翌日、レノと一緒に寝坊してしまったのである。タークスになって初めての失態だった。唯一にして最大の汚点。これ以上そんなものを増やしてたまるものか。わたしの頑なな様子に、レノが片眉を吊り上げる。手子でも動かないことに気づいたのか、丸め込もうと近づいていた顔が遠ざかる。何か思案していたその表情が、しかし、突然、にんまりと深い笑みを浮かべて。ぞくり、とわたしの第六感が警鐘を鳴らした。これは、ろくでもないことを考えている顔、だ! こんな笑い方をするレノに捕まって、無事でいられたことなんかない。いますぐにでも逃げ出したかったのに、残念ながら、腰に回された右腕はびくともしなかった。にやにやしながらレノが口を開く。赤い唇から、鋭い犬歯が覗いた。

「なあ、名前。ゲーム、しようぜ」
「な、なに」
「おまえが勝ったらなにもしない。オレが勝ったらおまえを抱く」
「待って、なにが、」
「拒否したら犯す」
「っ」

 ねっとりと左腕が太腿を這った。情事を思い起こさせるかのような、いやらしい触り方。何度もレノに抱かれた身体は、それだけでじんわりと熱を持つ。まずい、流される。反射的にその左手を捕まえて、太腿から遠ざけた。レノが何か言う前に「条件に、よる」つっけんどんな言い方だったけれど、レノは満足そうに笑ってわたしの手を取った。グローブをしていない、剥き出しの手のひらが、ゆっくりとわたしの手を包み込む。きゅと指先を握ったレノが、それを口元へと持っていった。ちゅ、という小さなリップ音。キスをしたまま、レノがわたしの目をじっと見つめて。

「オレは、おまえの手以外には触れない」
「……わたしは?」
「あー、じゃあ、オレから目を逸らさない」
「…………それで?」
「30分耐えたらおまえの勝ち。できなければ、オレの勝ち」

 30分、わたしの手で、一体なにをするつもりだろう。真意を探るためにレノをじっと見つめたけれど、細められた瞳からはなにも読み取れなかった。くそう、楽しんでいることだけはわかるんだけどな。指先に触れる、レノの唇。わたしの手以外に触れないということは、襲われる心配もない、ということだ。ちらりと時刻を確認する。30分、ゆっくりして、それから就寝。うん、理想的な休日の夜の過ごし方かもしれなかった。手はレノに捕らえられているけれど、それをぼうっと見つめてるだけでいいのなら楽なものだ。そりゃあ、恥ずかしくはある、けれど。たぶん、この申し出を拒否する方が、もっと酷いことをされるのは目に見えてるし。こくり、と小さく頷くと、レノはにんまりと嗤った。わたしの思考を、見透かすようなアクアマリン。形の良い唇が、妖しい三日月を描いて。ぞくりと背筋が粟立ったのは、どうして。

「ちなみに、」
「え、」
「手ックスって、言うらしいぞ、と」
「は? なにが、」
「それじゃあ、始めるぞ」

 楽しもうぜぇ? そう言ってレノは再度、わたしの指先にキスを落とした。



***



「っは、ぁ」

 唇から、湿った吐息が漏れる。ちらり、と掛け時計に視線を走らせて、絶望した。嘘でしょ。まだ、ぜんぜん時間、経ってない。息を飲んだのと、レノが「名前、」と、低い声でわたしを呼んだのは同時だった。咎めるようなその声音に、慌てて視線を戻す。眉間に皺を寄せたレノが、わたしの瞳を覗き込んで。仕置きだ、とでもいうように、指先をガリ、と噛まれた。平時だったら、ただ痛いだけなのに、今のわたしの身体は、その痛みすら変な快感として捉えてしまって。ずくり、とお腹の奥が熱くなって、泣きたくなった。自然と指に力が入ったけれど、それを解すようにレノが手に指を這わせる。止まらない刺激に目眩がした。目蓋を下ろしそうになっては、レノの言葉を思い出す。必死にレノを見つめたら、アクアマリンは嬉しそうに細められた。

「ちゃんと見ておけよ」

 はじめにレノがしたことは、手を握ることだった。わたしよりも二回りも大きい手のひらが、わたしの右手を優しく包み込む。レノの手は温かくて、それに握り込まれるだけで血流が良くなるのがわかった。身体の末端がぽかぽかして気持ちいい。皮膚をするすると撫でるそれはまるでマッサージで、心地よさについ目を閉じてしまった。「オイ、目、閉じんな」レノの声に慌てて目蓋を上げる。そうだった、一応、勝負の途中だった。でも、こんなマッサージなら30分と言わず、1時間くらいしてもらえばよかったな。延長してくれないかなぁ。なんて、能天気なことを考えていたのだけれど。雲行きが怪しくなったのは、レノが指先を絡ませ始めてからだった。わたしの右手に浮き出た血管を、触れるか触れないかの絶妙なラインで、するりとなぞっていく、硬いレノの指。手の甲を、行ったり来たりする無骨なそれが、わたしの小指をとらえた。人差し指の腹で、根元から、爪先まで、ゆっくりと何度も撫でられる。ぞわぞわと、言いようのない感覚が生まれた時だった。レノがわたしの爪の生え際を、カリ、と微かに引っ掻いたのだ。それは、ゆるゆると与えられ続けた刺激の中で、ピリリとした衝撃をわたしに与えた。「ぁ、」甘い声が漏れて、慌てて口を閉じる。わたしの指先を見つめていたレノが、愉しそうに顔をあげた。そのまま、爪を軽く立てながら、小指から手の甲へと降りるレノの人差し指。些細なその動きに、信じられないほどビクビクしてしまった。やだ、なにこれ、こんなの、知らない。

「れ、れの、あの、」
「まだ一本目だぜ? 最後まで持つのかよ」

 だって、だって。ただ、爪を立てられて、肌を撫でられているだけだ。刺激としては、ぜんぜん、些細なもののはずなのに。小指と薬指の間、水かきの部分も、レノの短めの爪が丁寧に引っ掻いていく。愛撫は――そう、これはもう、愛撫だった。レノが、ひたむきに、わたしの右手を愛撫、している。その事実に、呼吸が上がる。レノの愛撫は、薬指、中指と続いた。会話はない。時折、わたしの、吐息のような喘ぎが聞こえるだけだ。休日の夜、こんな時間に、恋人に丁寧に触れられて、感じるなという方が無理だった。それでも。ちらりと横目で時計を見る。こんな時間から抱かれてしまっては、明日に響く。しかも、レノ、絶対、興奮してるし、一回じゃ、たぶん、終わらない。なんとしても、この勝負に負けるわけにはいかなかった。人差し指まで慈しんだレノが、一度、はあ、と息を吐く。早く終わって欲しい、でも、やめてほしくない。でも。懇願を込めて見つめていたら、レノはわたしの手を、下から掬うようにして持ち上げた。絡まる指、手のひらから伝わるレノの熱。そうして、目を伏せたまま、優しく、わたしの人差し指に口付けた。触れるだけのキス。ゆっくりと、レノが目線を上げる。澄んだアクアマリンが、上目遣いでわたしを窺う。パチリと視線があった、次の瞬間。

「ひ、ぅ」

 ぬるり、とレノの舌がわたしの人差し指を舐め上げた。反射的に引こうとした右手は、レノの左手に絡めとられてしまう。ニヤリと笑ったレノが、見せつけるようにべろりとまた指を舐める。鋭い犬歯、白い歯から覗く真っ赤な舌にぞくぞくした。欲を孕んだ視線に耐えきれなくて、強く目を瞑る。刹那、がぷり。噛みつかれて、悲鳴が漏れた。

「ひゃう、」
「ちゃんと見てろ」

 目蓋を開ける。満足そうにレノが喉の奥で笑って、また指先に吸い付いた。ちゅ、ちゅ、と触れては離れる熱に思考力が低下する。ひとつひとつ、丁寧に、愛情をそそぐように、レノがわたしの指にキスを落とす。まるで神への誓いのような、そんな崇高ななにかを、感じる光景、だった。レノが触れるたび、心臓がとくんと高鳴って、お腹の奥がきゅうと疼く。いったい、どれくらい、そうしていたのだろうか。はっと気づく今、何時だろう、ちらりと窺った時計の針は全然進んでいなくて。あまりの事実に絶望した。視線を逸したわたしを咎めるレノの声。ぎり、と甘噛みされて、漏れそうになった嬌声を飲み込んで。嬉しそうに目を細めたレノが、また指先に舌を這わせる。薬指の根元から、側面を辿って、指先へ。爪の先をちろちろと舐められて、その光景があまりに卑猥で、わたしの、お腹の奥がまた、きゅうきゅうと疼いてしまった。やだ、わたし、もう、だめ、かも。きゅ、と唇を結んだわたしから目を逸らさずに、レノが先端を、ゆっくりと口の中に含める。生暖かくて、ぬるぬるしてて、唇の内側はふわふわで、あまりの快楽に、はあ、と甘い吐息が漏れた。目だけで笑ったレノが、ゆっくりとわたしの指先に吸いついた。ちゅう、という音もしないような、柔らかな圧迫感に、ぞくぞくと震えが止まらない。唇から唾液がこぼれそうになって、なんとかごくりと飲み下した。レノの舌がわたしの爪と指の間を、ぬる、ぬる、と行ったり来たりしている。第一関節に当てられた歯が、じわりと皮膚に食い込んで、かと思うと、熱い舌が指の腹をまさぐって。レノの舌が、歯が、指を愛撫するたびに、絡み取られた手がぴくぴくと跳ねる。レノが、わたしの人差し指をさらに咥え込んで。じゅぷり、口内を満たした唾液を絡めるように、レノの舌が、わたしの指をねぶって、それで、もう、ほんとに、限界だった。

「れ、の、もう、」
「ん?」
「っふ、あぅ」

 じゅる、と指に吸い付いてから、レノはゆるりとわたしの指を解放した。レノの赤い唇が、ちゅ、といやらしい音を立てて。そのまま、唾液でてらてらと光る指に、ちゅ、ちゅとキスを落とす。ふわふわと湿った唇に吸われるたびに、ぞわぞわと快感が身体中を駆け巡った。力の入らない左手でレノのシャツを握って、引き寄せて。震える唇を開いた。

「レノ、もう、いいから、お願い」
「……まだ時間残ってっけど?」

 にやりと唇を吊り上げて、レノがわたしの顔を覗き込んだ。その唇が近づいて、キスをされるのだと思って、わたしも目蓋を閉じようとしたのだけれど。

「っと、あぶね。お触り禁止、だったよな?」

 やだ、ほんと、意地悪だ。にやにや笑うその横顔を、いっそ叩いてしまいたかったけれど。わたしの右手は未だレノに捕われているし、それに、もう、わたしの身体は、彼を求めてしまっていた。唇を開く。はあ、という甘い吐息が、ぽろりと零れた。

「もう、いいから、」
「なにが?」
「わたしの、負けで、いいから」
「だから?」
「っ、ちゅう、して、」

 言い終わらないうちに、レノの唇がわたしのそれを塞いだ。ぬるり、と口内に侵入してきた厚い舌。強く抱きしめられたので、わたしも背中に腕を回したけれど。すぐさま服の下に侵入してきた大きな手のひらに、いやらしく腰の辺りを撫でられた。溜息に似た嬌声も、唇に食べられてしまう。ああ、さようなら、優雅な休日。


結末は予定調和

200805