それは突然のことだった。あまりに突然だったので、抵抗することも、受け入れることも、彼の名前を呼ぶこともできなかった。人通りの少ない廊下、ぐいと手を引かれた先は空き教室。扉はすぐに閉められて、がちゃりと鍵の掛かる音。身体は扉に押しつけられて、エースの両腕が、私の、顔の、横に。電気のついていない教室は薄暗くて、見上げたエースの顔は逆光でよく見えない。それでも、密着した身体が、エースの微かな息遣いが、“いつも”と違うと、私に伝えていた。グリムもデュースもいない。正真正銘、二人きり、だった。遠くの方で、誰かの笑い声。エースが、ゆっくりと唇を開いた。
「なあ、名前」
「えー、す?」
するり、とエースの手のひらが私の頬を撫でた。硬い指先は少しささくれ立っていて、私とは、全然違う、男の子、の、手だ。体温の高いそれが、ゆっくりと、私の輪郭を確かめるように頬を撫でて、触れられた部分がぴりぴりと熱を持った。近付くエースの、その瞳がゆらゆらと揺れて。ぞくり、と腰のあたりを駆け抜ける何か。それを増幅させるかのように、いつのまにか彼の腕が腰に回っていた。ぎゅ、と抱き寄せられればもう、私たちの距離はゼロになった。彼の瞳から、視線が逸らせない。唇にぶつかる吐息。触れてしまいそうなほど近くで、エースが私の名前を呼んだ。
「お前は、さ、オレのだよな……?」
「ど、どうしたの、急に、」
「なあ、答えてくれよ」
抱きしめる腕に力が入って、私の心臓はさらに加速する。エースと付き合い始めてから、手を繋いだり、何度かキスもしたけれど。こんなところで、こんな風に、抱きしめられたのは初めてで。答えに詰まる私の唇を、耐えきれなくなったのか、エースがぺろりと舐める。か細い悲鳴のような声が、口から飛び出した。唾液を纏ったエースの舌が、ぬる、と唇の先を舐めて、それからすぐに去っていった。はあ、という湿った息に、耳まで熱くなる。
「エース、私、」
「オレ、お前のことが好きだ。好きすぎて、どうしていいかわかんねえ」
「えーす、んぅっ」
噛み付くように口付けられて、甘い声が鼻から抜けていった。柔らかいエースの唇は、角度を変えて何度も吸い付いてくる。誰もいない教室に響く、ちゅ、ちゅ、という湿った音。こんな昼間に、こんな場所で。そう考えただけで、ぞくぞくと背筋が粟立った。ふ、と口元が緩んだ隙に、エースの厚い舌が、唇を割って口内に侵入してくる。口内を舐め回すそれに、立っていることすら困難で。しがみつくように、背中に手を回す。それに気づいたエースの身体が、ぴくりと震えて。先程の言葉が、耳にこびりついて離れない。私も。私も、好きすぎて、どうしたらいいか、わからないよ。こたえるかわりに、自分からも舌を絡めた。私たち、溶けてひとつになれたらいいのにね。
200730