×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




「お、っと」

 形容し難い声を出したきり、レノは押し黙った。あたしも、目の前の光景に思わず言葉を詰まらせる。珍しいこともあるものだ。社長椅子に座る雇い主と、少し離れた場所で書類整理をする友人に視線を走らせる。定例報告と、ツォンさんから預かった書類の提出に訪れた社長室。それを口実に、ちょっとだけ彼女とお喋りしようかな、なんて考えはレノにもお見通しだったみたいで。「オレも呼ばれてた気がするぞ、と」と上機嫌に述べたレノが、あたしの後ろをついてきたのだ。適当なこと言って、アンタ、あの子の珈琲とサボりが目的でしょ。絶対呼ばれてないでしょ。思ったけれども口には出さなかった。まあ、珈琲が目当てなのはあたしも一緒だ。ツォンさんにチクられるくらいならば、抱き込んでしまった方がいい。そんな悪いことを考えながら社長室の扉をくぐって、冒頭に戻る。珍しいこともあるものだ。空気が、ギスギスしている。

「なんか、雰囲気、違くない?」
「喧嘩でもしてんのかァ?」
「あの二人が?! あんなに惚気ばっかりなのに?」
「おまえと違って素直だもんな、あいつ」
「もう!」

 いや、レノと言い合いをしている場合ではない。いつもだったらあたしたちを見たらすぐに駆け寄ってくるあの子が、今は怒りをぶつけるようにデバイスに向かって何かを入力している。タイピング音が尋常じゃない。ガタガタガタガタ、ッタァーーーーーン!!! エンターキーが壊れてしまいそうなほど激しいそれに、レノが表情を引きつらせる。美人は怒ると怖い。そんな彼女の、騒音のようなタイピング音を、社長は完全に無視している。頬杖をつくその顔はむすりと不機嫌そうで、できれば近寄りたくない。いったい二人に何があったんだろう。ちらりとレノと目線で会話する。おまえ行けよ。やだよ怖いもん。オレだって無理。社長に聞いてきて。は、無理だぞ、と。じゃああの子。女はもっと無理。全部無理じゃん。いいからおまえ、行ってこいよ、と。もう、仕方ないなぁ。そそそ、と彼女に近づいて、小声で名前を呼ぶ。「なあに?」振り返った顔はちょっと不機嫌そうだけど、あたしに対して怒っているわけではないようだ。よかった。耳元に唇を寄せて、思い切って聞いてみる。「社長となんかあった?」びくりと跳ねた肩にこちらまで驚いてしまう。まん丸の瞳があたしを見つめて。いや、あの状況で、気付かない方がびっくりだよ?

「社長、……昨日、来客対応だったんだけど」
「うんうん」
「資産家の娘が、すこく美人で」
「うん」
「すごいご機嫌で帰ってきて」
「うん?」
「そのくせ私に『この間は誰と仕事していた?』なんて偉そうに聞いてくるし」
「……う、ん?」
「自分のことは棚に上げて、もう!」

 あれ、なんか惚気られてる? こっそり表情を窺ったけど、頬を膨らませながら眉間に皺を寄せた彼女は、あたしの視線に気づかなかった。え、なにそれ、ただのヤキモチ? しかもお互いに? なにそれ平和かよ。漏れそうになった溜息をすんでのところで飲み込む。扉付近で所在なさげに待機しているレノに合図を送った。オタガイ シット カラノ ケンカ デス。呆れたように溜息をついたレノが首を振る。まあ、そうですよね。そうとわかれば、やることは明確だ。いつも珈琲付きのおサボリを容認してもらっているのだ。たまには恩を返さなければ。

「あー、社長、そういえば、あの件、どうなりましたかね、と」
「…………なんだ、レノ」
「いや、恋人さんに贈る花の種類を悩んでいるって言ってたの、決まったんスか?」
「な、」
「花言葉が“真実の愛”なんて、なかなかいいと思いますよっと」
「レノ!!!」
「ねえねえ、そういえばさ、前言ってたプレゼント決まったの?」
「え? な、なあに、」
「“プレゼントは私です”作戦、いいんじゃないの? 社長なら喜んで受け取ってくれると思うよ」
「ちょ、ちょっと!!」
「「じゃ、失礼しまーす!!」」

 名前を呼ばれたけれど、無視してレノと社長室を後にする。扉が閉まればもう、廊下は静かだ。オフィスに戻りながら、レノと顔を見合わせてくすくす笑う。鳩が豆鉄砲を食らったような社長の顔も、真っ赤になった彼女の顔も、なかなか見られない貴重なもので。珈琲は飲めなかったけれど、おもしろいものが見れたから、それでいっか。

「あーでも喉乾いたな」
「自販機あるよ。珈琲飲も」
「砂糖はいらねーな」
「そうだね」

 甘ったるいのはあの二人だけで十分だ。


200704