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03


「あらやだ、お醤油買ってくるの忘れちゃったわ」


 ぽつりと漏れた声に、俺は視線だけをテレビから母さんへと移した。困惑したまま手を頬に当てて、今しがた買ってきたばかりのビニル袋を眺めている。机の上に置かれたそれから、大根が飛び出しているのが見えた。そういえば、今日は焼き魚と煮物だって言ってたな。醤油がなければ話にならないだろう。


「……ツっくん、お菓子食べたくなあい?」
「えーやだよオレ」


 母さんの視線がこちらに向く前に、視線をテレビへと戻す。下心丸出しの母さんに、テレビを見つめたまま顔をゆがめた。別に買い物くらいどうってことないけれど、“オレ”にとっては買い物など「めんどくさくて行く気になれないもの」なのである。まったく頭に入ってきていなかったアニメを、真剣に観る、振りをする。母さんがむっとしてから、あきらめたように廊下に出た。


「名前ちゃん、悪いんだけどお買い物頼めるー?」


 すこししてから「はあい」という声が聞こえてきた。部屋の扉の開く音。さっと時計に目をやると、長針が5を指しているところだった。最大の見せ場を展開させている番組を、遮断するかのように電源を落とす。キッチンに戻ってきた母さんは、怪訝そうな顔をこちらに向けた。


「観たいアニメ終わったから、オレも行くよ」
「あら、じゃあ名前ちゃんと一緒に行ってきてちょうだい」


 はーい。間延びした返事は、すぐに消えた。





***





「結局、明日の分の買い物も頼まれちゃったね」
「醤油、ネギ、白菜、ニラ、エノキ、豚肉にシイタケ、……明日は鍋だな」
「いいじゃない。好きだよ、鍋」


 名前 が微笑みながら言うものだから、反射的に顔を逸らしてしまった。馬鹿だろ。いまさら「好き」という言葉に反応してどうする。鍋の話だろ、鍋の。迷わせた視線の先にネギがあったから、適当につかんで籠に投げ入れた。名前が抗議の声を上げる。


「綱吉、食べ物は大切に扱わなきゃって、あれほど、」
「姉さん、白菜」


 指をさした先、山盛りの白菜を見つけた名前は、俺に向けていた視線をさっと外して白菜へと向き直る。移り身が早い。どうやら真剣に白菜を選ぶらしく、ひとつひとつ手に取りながら、ぶつぶつとなにか呟いている。その横顔を食い入るように見つめている自分に気づいて、あわてて視線を周囲に巡らせた。見とれている、だなんてばれたら、恥ずかしくて死ぬ。


「(……混んでるな)」


 時間も時間だからだろうか。子連れの客が多い店内は、少し込み合っていた。俺たちと同じで、夕飯の買い出しをしているのだろう若いカップルが、二人並んで歩いている。それに、俺たちの姿を、重ねて、しまった。ずきりと心臓が痛む。女の手を引く男は、ヒールを履いている女よりもかなり背が高かった。どこからどうみても、一般的な恋人同士、だ。俺は手のひらを見つめる。こんなにもちいさい手で、何ができる。彼女よりもちいさい背で、どうして護れる。俺は、俺は、


「つーなよし」


 とん、という衝撃。眉間に置かれた名前の人差し指は、冷え性だからだろう、ひんやりと冷たかった。俯き加減のまま、視線だけで名前を窺うと、くすくすと笑う名前と目があった。


「シワ、すごいよ」


 そのまま、眉間を揉み解すようにゆっくりと動かされる。冷たい体温が心地よくて、瞼を下ろした。「なに考えてたの?」「なんでも」「ほんとうに?」「うん」彼女の指が、響く声が、ひどく心地よい。俺たちのまわりだけ、時が止まったようだった。このまま、ずっとこうしていたかった。ありえない。叶うはずも、ない。彼女の指は離れていき、俺は眼を開ける。


「あと、お肉買ったら、帰ろう」


 にっこりと、あまりにも幸せそうに名前が笑うものだから、思わず手を伸ばしてしまいそうに、なった。俺の、一瞬のそれに、名前は気付かない。くるりと踵を返して、生鮮食品コーナーへと歩き出す。揺れるススキ色の髪。いつもそうだ。彼女は、名前は、いつも俺の前を歩く。手を伸ばしたって、届きなどしないのに。想いを伝えるどころか、触れることすら、できない。名前の触れたそこだけが、ぬくもりをのこしていた。頼むから、触れるな。嘘だ。握った手は離さないでくれ。握ることなど、できるはずもない。





***





「レジ、混んでたね」


 ビルの向こうに沈みかけた夕日。それをバックにしながら、名前は呟いた。風に舞う髪を、押さえつけながら笑う。眩しさに目を細めながら、俺もぶっきらぼうに返した。


「時間が時間だからな」
「お菓子コーナーの男の子、かわいかった」
「ただのガキだろ、あんなの」
「綱吉も子供でしょー」


 その言葉に、ずきりと反応しそうになる。やめろ。振り払うように頭を振ってから、歩き出した名前の隣に走り寄る。夕日に向かって歩いているせいで、やはりすこし眩しい。「姉さんだって、俺と一つしか変わらないだろ」絞り出したような言い訳に名前は笑った。スーパーの中と違って、大通りから離れてしまえば、あたりは静かだ。烏の鳴き声が聞こえる。がさり。レジ袋が特徴的な音を立てた。


「ほら、」


 レジ袋を受け取るため、左手を差し出す。醤油と白菜がまるまる入っているのだから、それなりの重さはあるだろう。もう少し早く気がつけばよかった。信号待ちをしている俺たちを、夕日が照らし出す。俺の行動の意味を理解できなかったのであろう名前が、小首を傾げた。


「なに?」
「だから、」
「ああ、なるほど」


 次の瞬間、握られた右手に、心臓が飛び出すかと思った。どくりと耳元で唸ったそれは、喉元で意味のない音に変換される。「ばっ、な、んだよ、っ」笑えるくらい掠れた声に、名前はうれしそうに微笑んだ。


「久しぶりだね、手繋ぐのなんて」
「違ぇ、…………荷物だよ。荷物」


 跳ねまわる心臓を無視して、空いていた右手でひったくるようにしてレジ袋を持った。左手は、振りほどけなかった。ひんやりとつめたい名前の手が、しっかりと俺の手をつかんでいる。それをはなすまいと、俺も少しだけてのひらに力を込めた。俺よりも少しちいさくて冷たいそれ。本気で握れば、壊れてしまいそうなほど華奢なそれに、自分の指をからめる。驚いたような名前の顔は、すぐにはにかんだ。それを正面から見ることなどできるはずもない俺は、視線をあさっての方向へ走らせる。はなしてたまるか。はなさないと、俺が護ると、あの夜に誓ったのだ。信号が青に変わる。無言で歩きだした俺に引っ張られながら、くすくすと笑う名前。


「綱吉、顔あかい」
「夕日だろ」


 柔らかい声で名前が呟く。世界が、笑った気がした。










120203  下西 ただす





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