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02



「……う、」


 たゆたう意識。ずきりとした痛みに、うめき声が唇の隙間から洩れる。鳩尾の鈍痛が、思考の邪魔だ。ぐるぐると回る胃を抑えつけるように、ぐ、と腹に力を入れた。「ツっくん、」夢と現実の狭間で、母さんの声がする。「ツっーくん。今日ね、家庭教師の先生が来るのよ」家庭教師? そんなもの必要ないだろ。大体、高等学校程度の知識なら疾うに身につけている。ただ、それを全く示威していないだけだ。家庭教師なんて必要としていない。そんなもの、雇ってしまったら名前との時間が、「オレの名はリボーン。沢田綱吉、お前の家庭教師だ」


「っ!!」


 夢にしては生々しすぎるそれに飛び起きた。浅い呼吸を整えることなく、すぐさま視線を周囲に走らせる。――――いた。俺のベッドを占領して、寛いだ様子で昼寝をしているその人物こそ、リボーンと名乗る不審者だった。小さな体に、かちりと着こなしている黒いスーツ。鼻ちょうちんを膨らませながら、規則正しく寝息を立てているにもかかわらず、そこには寸分の隙もありはしない。ピン、と張り詰めたような空気に、息が詰まりそうだ。じくり。赤ん坊に殴られた腹部が痛む。気を失うほどの衝撃など、今まで受けたことがあるはずもなかった。それほどの力量を持った、赤ん坊。全てが、アンバランスだ。風体も、纏う雰囲気も、なにもかも、全てが。男から目を離さないまま、壁に立てかけてあったバットを後ろ手で握る。役に立たないことなど明白であったが、なにもないよりは大概ましである。相変わらず赤ん坊の寝息は乱れることがない。それでも、それが狸寝入りだということなど火を見るより明らかだった。俺に気配を悟られずに部屋に侵入できるような手練が、敵陣の真ん中で昼寝などあり得ない。ぐ、とバットを握り直して、カラカラに乾いた口を開いた。


「おい」


 返事はない。ゆっくりとバットをかまえ、その先を男に向ける。


「……起きてるんだろ」
「……」
「おい、クソガキ、」
「そうカリカリすんな」


 それは反射というよりも勘に近いものだった。飛び退くようにして、部屋の隅へと倒れこむ。耳を劈くような金属音と、びりびりと腕が震えたのは同時だった。カラン、中途半端な音とともに、吹っ飛ばされたバットがゲーム機の上に落ちた。鼻を突くような硝煙の臭いと、静寂。階段の下から母さんの、俺を呼ぶ声が聞こえる。ごくり、唾液を嚥下する音が妙に脳に響く。つ、と米神を汗が伝った。寸分の狂いもなく眉間に向けられた、黒光りする無機質のそれ。呼吸が浅くなる。俺の胸板に立ったまま、無表情で男が俺を見つめる。その視線に、心臓がどくどくと脈打った。本能で理解する。いま、動けば、死ぬ、


「人の睡眠の邪魔しちゃいけねーって、ママンに教わらなかったのか?」


 ニィと唇の端を吊り上げて笑う黒尽くめの赤ん坊。ぞわりと背筋を襲う寒気に、指先が震えた。現状に、理解が追いつかない。CZの銃口はぴくりとも動かず、男の冷めたような瞳からは何も窺えない。冷や汗が、つっと首筋を撫でる。微動だにしない俺に満足したように嗤ってから、男は銃を下ろした。


「ククッ、冗談だ」


 冗談だって? 冗談じゃない。
 黒いスーツを纏った赤ん坊は、にやにやと嗤いながら俺の上から降りた。緩まる場の空気に、必死で息を吸う。何処かへいっていた感覚が、一気に戻ってきた気分だ。打ちつけた腰が、じんわりと痛んだ。冗談じゃない。夢でさえ煩わしかっただろうに、目の前の現実に吐気まで催しそうだ。カサカサに乾いた唇をこじ開ける。零れた声は掠れていた。


「お、まえ、は、一体、」
「オレか? オレは殺し屋、だ」


 ガチャリとセイフティーを弄りながら、赤ん坊はうっそりと呟いた。“殺し屋”口内で小さく復唱する。殺し屋なんて、生まれてこのかた、視認したことがあるはずもない。ましてや、それが赤ん坊だなんて、一体、誰が、信じると。それでも、小刻みに震える両手が、背筋を凍らせたあの感覚が、何よりの証拠だった。どうして、殺し屋が、何のために、此処に。絡まった糸のように、脳内がうまく機能しない。彼女が未だ帰宅していないことに、頭の片隅で安堵した。


「疑ってねーのか?」
「……疑う余地がねーだろ」


 半ば自暴自棄になりながら吐き捨てると、男は満足そうに再度にやりと嗤った。どうなってやがる。意味がわからない。どうして、真昼間、平日の、住宅街で、しかも俺の部屋で、銃がぶっ放されなきゃあならない。殺し屋で、赤ん坊が、発砲。殺し屋。脳味噌が沸騰しそうだ。殺し屋、そうこの男は云った。一体、誰からの命を受けて、誰を、


「誰を殺しに来た」
「誰も」
「ふざけるな、殺し屋だろ。誰を殺しに来たんだよ。俺か? 母さんか? それとも、」
「言っただろ。オレは“家庭教師”だ」


 ステアーを構えた“殺し屋”は俺をじっと見つめてから、やはりニヒルに唇を歪めた。


「沢田綱吉、お前をマフィアのボスにしてやる」


 ねっとりと、絡みつくような不快感。
 ああ、厭な勘ほど、よく当たる。










130223  下西 ただす




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