つん、シャツの袖を引っ張られる感覚に其方を向けば、困った様に下げられた眉と潤んだ瞳が其処に居た。
如何したの、言おうとした言葉は体外に出る寸前のところでぴたりと止まり、そのまま体内にリターンした揚句、跡形も無く消えてしまった。

――仔兎。
今にも泣き出しそうな彼女が抱えて居たのは、其の、亡骸だった。
確か、少し前に彼女が拾って来た捨て兎。定春と云う名の其の白い仔兎は彼女のお気に入りで、大層可愛がって居た筈だ。
ずびずびと鼻を啜りながら僕の名――と云っても、正確には名前ではなく僕の事を指す形容詞なのだけれど――を繰り返すばかりの彼女の頭をなるたけ優しく撫でてから、今度こそ僕は先程言い損ねた言葉を口にした。

「如何したの、神楽」

彼女――神楽は、僕の言葉に息を詰まらせた後、其のまあるい碧色の瞳から同様の色をした雫を溢れさせた。ぽたぽたと零れていく雫を手で拭ってやりながら、彼女と同じ目線になる様しゃがみ込む。
顔を覗き込んで、ん?と促すと、しゃくりを上げながらも懸命に彼女は話し始めた。

「あ、のね、」
「うん」
「かぐら、いっしょにねようとおもったの」
「うん」
「さむくないようにって、ぎゅってして、ねたの」
「うん」
「そしたら、そしたら…」

収まりかけて居た涙が再び溢れて、彼女の白い頬を伝う。悲しげに歪んだ顔を見るのが辛くて抱き絞めた小さな体躯は、震えて居た。

「しんじゃったあ…」

とうとう泣き出して仕舞った小さな妹の、幼児特有の柔らかさを持った桃色の髪を梳いて宥めようと試みるものの、ちっとも泣き止んでくれやしない。困ったなあ、如何しよう。

「泣かないで、神楽」
「にーに…?」
「神楽に拾ってもらえて定春は嬉しかったし、幸せだったよ、きっと」

大きな目を瞬かせながら此方を真っ直ぐに見詰めて来る彼女の視線を受けながら、僕は優しく微笑み掛けた。

「…ほんと?」
「うん」

だから、泣かないで、神楽。そう言って頭を撫でると、彼女は涙を自分の服の袖で拭ってから、うん、と小さく笑って言った。
やっと笑ってくれたことと泣き止んでくれたことが嬉しくて、僕も笑みを零して言った。

「ふたりで御墓を作って、お祈りしようか」
「おそらにいけますように、って?」
「そう。御星様になれる様にね」

神楽を抱き絞める腕を緩めて、脇下に腕を挿し入れそのまま抱き上げる。彼女の体躯は驚愕する程軽くって、小さくって、加減を誤ったら壊れて仕舞いそうな位。其れこそ、彼の仔兎の様に。
だけど神楽は壊れやしないだろう。兎は兎でも僕達は夜兎。丈夫な体躯には自信が在る。僕も神楽もそこらの奴等なんかに負けやしないし、殺されもしない。其れが例え大人の男だったとしても其れは変わらないだろう。…父さんには、勝てないだろうけれど。

「さあ、帰ろう、神楽」
「うん!」

僕達は夜兎だから体躯は丈夫な筈なのだけれど、もし神楽が彼の兎みたいになって仕舞ったら――そう考えると怖くて怖くて、僕は彼女を抱き絞める力を少しだけ、ほんの少しだけだけれど、確かに緩めた。

























――嗚於。
声が聞こえる。其れは俺の名――と云っても、正確には名前ではなく俺の事を指す形容詞なのだけれど――を呼びながら体躯を揺さ振って居るらしく、如何にも気分が悪い。そんな事しなくても呼ばれればちゃんと起きるのに。でも、可笑しいな。こんなに力が強かっただろうか。俺の知って居る彼女は、もっと――

「団長、好い加減起きろって」
「…阿伏兎」
「ったく、俺に散々仕事押し付けといて自分は居眠りたァ、良い度胸してるぜほんと」

夢、なんだ。
段々と覚醒して来た意識と共にそう理解して、小さく眉を寄せる。其れに気付いた阿伏兎が如何したと声を掛けて来たけれど無視をして伸びをすると、ばきばきと音が鳴った。

「吉原…だっけ、まだ着かないの?」
「もう着くから呼びに来たんだよ。なのにあんたときたら…」
「御蔭様で楽させて貰ってるよ」

大袈裟に溜息を吐く有能な部下に笑い掛けてから、窓を見遣る。透明な壁を一枚隔てた先に広がる無数の星、星、星。――嗚於。

彼の兎は、此の中に居るだろうか。
まるでロマンチストの様な事を思う自分に苦笑しながら、目を細めた。







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