「……またアル、」
新八の家のキッチンに広がる、甘くておいしい匂いとはかけ離れた匂い。神楽の目の前にある、焦げた丸い物。
予定では、綺麗な丸型で程よく空気を含んだ生地ができるはずだった。しかし、ソレは予定を見事なまでに覆してくれた。
「…やっぱり無理ネ……」
銀時の誕生日のケーキを作ろう。そう1人で計画したのは1週間前。そこから誰にも気づかれないように、ケーキの作り方を商店街のケーキ屋さんに聞きに行っていた。
作り方を覚えたのち、材料費などを工面してもらうため、新八に計画を話したのが昨日のできごと。
そして誕生日当日。銀時に秘密で計画を実行するということで、神楽は新八の家にある台所を借りていた。
「何回やっても上手くいかないアル…」
ケーキを焼き始めて何時間が経っただろう。神楽は何度も何度も、銀時のためにスポンジケーキを焼いていた。キッチンの隅に焦げてバラつきのある形のスポンジがいくつも積み重なっている。
どうしても1人で作ると言った神楽は、いろんな意味で妙からの好意を受け取らなかった。男子厨房に入るべからずと、どこで覚えたのかいつも料理をしてもらっている新八にもそう告げ、手出しは一切無用とした。
しかし、現時点で時刻は午後5時を回っている。日が沈むのが早まったせいで、あたりは暗くなっていた。銀時が定めた門限は夕飯の前まで。それまでにケーキを仕上げて戻らなければならない。
「……っ」
不安と焦りに駆られ、手に力が入る。悪い方にばかり思考が傾くたびに、目の前が揺らいで見えた。
しかし今日までの1週間を思い出し、なんとか自分を奮い立たせ再びスポンジケーキと向き合う。
宇宙一バカな侍のために、最後まであきらめようとはしなかった。
◆
「銀さん、お帰りなさい」
「おー。あー疲れた…」
「さっきお登勢さんから伝言もらいましたよ。『誕生日おめでとう。店で祝ってやれなくて悪いね』だそうです」
「許して欲しけりゃ家賃永久に支払わなくて良いことにしろって言っとけ」
「いや、無理に決まってるじゃないですか」
疲れている所為か、いつも以上に死んだ魚のような目をしている銀時。昼ごろから桂に呼ばれて、彼のアジトに身を置いていた。
少し頬が赤いことから、祝い酒でも飲んできたのかなと思い、新八は気を利かせてソファーに座っている銀時に水を持っていった。
「はい銀さん、お水です」
「あぁ悪いな」
「桂さんもお祝いしてくれたんですね」
「ンな大したもんじゃねーよ。ただ酒飲んできただけだ」
「あ、そうそう。桂さんからプレゼント届いてますよ」
「は?プレゼント?」
「なんか直接渡すの恥ずかしいからとかいって、今朝早くに届けに来てくれました。銀さんは寝てましたけど」
「あいつはガキか」
「良い友達じゃないですか。大人になってもプレゼントをくれる友達なんて、そうそう居ませんよ?」
「あいつ友達いねぇモン」
「(まったく…素直じゃないんだから)…そうですか。じゃあ僕は夕飯の準備してきますね」
「おー。なぁ、神楽は?」
「神楽ちゃんはまだ帰ってないです」
「っそ、」
新八が台所に戻っていったのを、なんとなしに目で追った。自分の机の上に置いてある、見慣れない包装紙は、一目でプレゼントだとわかる。
包装紙をきれいにたたんでとっておく派ではない銀時は、多少紙が破れても気にする素振りをみせずに開けてく。
「…うぉ、なんだこれ……」
『特大ンまい棒(ぱーてぃー用)』
どこまでも頭がぱーてぃー状態の桂に、銀時の顔は引きつっていた。
◆
「神楽ちゃん、遅いなー…」
一方で、神楽の計画を知っている新八は彼女の帰りが遅いことに不安を抱いていた。自宅にいることはわかっているのだが、変に電話をかけたりすると銀時に勘付かれてしまう。
それだけは避けたい新八が、どうしようかと頭を悩ませていた時だった。
「た、ただいまヨー」
「!神楽ちゃん、お帰り」
台所に立っていた新八の背後から、控えめな帰宅の知らせが聞こえた。玄関が開く音にも気づかなかったので、少々驚き気味で答える。
しかし、神楽は自分の口元に人差し指を置き「しーっ」と声のボリュームを落とすよう指示をした。
「?なに、どうしたの?」
「銀ちゃん帰ってるでしょ?」
「うん。居間にいるよ?」
「……」
「神楽ちゃん…?」
両手に抱えた白い箱は、今朝早くに「作ってくる!」と言って出て行ったケーキだろうと思った。ところが、神楽の浮かない表情を見て、何かが起きたのではないかと悟る。
「……新八ぃ、」
「ん?」
「アレ、買っておいてくれたアルか?」
「!」
神楽の言うアレとは、もしもの時のために買っておいてほしいと頼まれた、ケーキ屋さんのケーキのこと。
最初のうちは新八もそんなものいらないよと言っていたのだが、神楽も引き下がらず、甘い物好きな銀時に2個ケーキをあげるという名目にして購入することになったものだ。
「買ってあることには買ってあるけど…」
「じゃあそれだけ出してほしいネ」
「でも神楽ちゃんせっかく作ったんでしょ?1日かけて…しかも1週間も前から頑張ってたじゃないか」
「……それはそれアル。でも、もう良いネ」
「神楽ちゃん…」
「銀ちゃんには美味しい物食べてほしいアル」
困った顔をして笑う神楽に、これ以上無責任な言葉をかけることは出来なかった。新八も料理をする者として、自分の納得いかないものは食卓に並べたくないと思う気持ちはよくわかる。
ゆえに、神楽の気持ちと自分の気持ちに板挟み状態とされてしまった。
それでも、やはり新八は神楽自身の努力を無駄にしてほしくなかった。
「じゃあさ、それも冷蔵庫入れておこうよ」
「いいアル。入れなくて」
「僕ね、思うんだ」
「、何を…?」
「確かに、自分が作ったもので納得いかなかったら、誰かに食べてもらおうとなかなか思えないかもしれないけど、それは食べてもらう人の自由だと思うんだ」
「……」
「現に、僕が焦がした魚も神楽ちゃんは焦げてるところが美味しいって言ってくれるでしょ?」
「言うアル。焦げてるところが美味しいもん」
「それと一緒さ。銀さんも、神楽ちゃんと一緒かもしれないよ」
新八は白い箱を神楽の腕の中から解放し、それを冷蔵庫の中に入れた。
しかし彼の言葉に勇気づけられはしたものの、やはり気が向かないらしく、結局食卓に並ぶのはケーキ屋さんのケーキのみとなった。
◆
「じゃあ改めまして…銀さんお誕生日おめでとうございます!」
「おめでモグモグ」
「おいィィ!!何フライングしてんだてめぇ!!毎度毎度同じことしてんじゃねー!!」
「主役より早く・多く食べるのが私が思う至福の時ネ」
「悪趣味にもほどがあるだろ!!腹ン中真っ黒だなオイ!!」
賑やかに始まった銀時の誕生日会。新八に言われ、今度は真面目に笑顔でおめでとうと神楽が告げれば、銀時は照れくさそうに「おう…」とだけ返事をした。
その隙にエビフライを奪われ、そこから食べ物の奪い合いが始まる。これも坂田家の食卓お決まりのコースだ。
「お前エビ食べすぎだろ!エビフライと寿司のエビとほとんど食ってるじゃねーか!」
「そんな食べてないアル!それよりもマグロが食べたいネ!」
「神楽ちゃん神楽ちゃん、今日は誰の誕生日か言ってみろコノヤロー」
「私の誕生日の予行練習アル」
「はーい、銀さん戦闘態勢入りまーす」
「ちょっと、まだまだ台所にありますから戦闘態勢だけはやめてください」
そんなこんなで楽しい夕食も中盤に差し掛かったころ、新八がケーキを持ってきますと言って席を立った。
「!」
「おぉ!今日のメインディッシュだな」
「…銀ちゃん、誕生日会はふつう始まる前に、ケーキのろうそくに火を付けて、ふぅーって消す儀式をやるアル。なんで銀ちゃんやらないアルか?」
「そんなのは、いい歳した大人がやる儀式じゃねぇーの。大人はもっと別の儀式があるんだよ」
「どんなアルか?」
「ケーキホール食いって奴だ」
「それこそいい歳した大人がやるものじゃないと思いますけどね」
銀時の大人儀式の説明が終わったと同時に、新八はケーキを持ってきた。それは神楽と約束した通り、ケーキ屋さんのケーキだった。
「取り分けますね」と言って、綺麗に切り分ける新八。それを子供のようにきらきらとした目で見つめる銀時は、その隣で寂しそうな顔をする神楽に気づいていない。
チラリ、と目線を神楽に向けた新八だけが、その表情をとらえていた。
◆
「銀さん、寝ちゃったね」
「うん」
あの後、夕食が終盤に差し掛かったころ珍しくお酒を飲み始めた銀時は、酒の周りが早く酔いつぶれてしまった。
神楽にとっては、あのケーキを銀時の目にさらすことなく1日が終わろうとしていることに、ホッとしていた。心残りなのは、誕生日に対して何もしてあげられなかったこと。
「あのケーキ、」
「!」
「捨てるつもり?」
そうしようかと思っていたことを口にされた瞬間、なんだかそれはもったいない気がした。
「…定春にあげようかな」
「…そっか、定春もケーキ食べたいだろうしね」
新八は神楽の選択に、反対しなかった。「じゃあ明日の朝に、朝食としてあげようか」とだけ言うと、彼はお風呂掃除をしに風呂場へ向かった。
「……」
「ぐぉー…ぐぉー…」
新八が風呂場の扉を閉めた音を聞き、銀時が寝ているのを確認すると神楽は台所へ向かった。
真っ先に手を伸ばしたのは冷蔵庫の扉。そして中にある白い箱を取り出した。
「……」
開いた白い箱の中にはさっき食べたケーキ屋さんのケーキとは違う、不恰好で美味しそうに見えないケーキ。初めてとしては上出来、とも思えないと神楽は眉を寄せた。
「……こんなの…定春も、いらないヨ」
「んじゃ、俺が貰うわ」
「!!…あっ?!」
ビクリと声に体が反応した時にはもう遅く、目の前にあったはずの白い箱は伸ばされた2つの腕によって奪われていた。
「返してヨ!!」
「なんでだよ、定春もいらねぇなら誰のモンでもねぇだろ。ていうか、定春より先に俺に要るかどうか聞くのがふつうなんじゃねぇの?」
「ぅ、」
「……これ、お前が作ったんだろ」
「っ」
返してほしい箱はすでに銀時の腕の中。奪い返すことも出来ず、恥ずかしさで気が動転しながらも口を開いた。
「見ればっ、わかるじゃんか。そんな特徴のあるケーキ作れるのは宇宙でも私だけアル」
「ま、個性的なのは認めるわ」
「もう良いから、返すヨロシ。それ…捨てるから」
「…何で、」
「だって…絶対おいしくないネ。ケーキ屋さんのケーキ食べた後に…そんなの、食べたって…」
「…あーそう。黙って聞いてりゃ、馬鹿みてぇなこと抜かしやがる」
深いため息とともに漏れた言葉が、神楽の下を向いていた顔を上げさせた。
「てめぇの味覚が万人に受けるとでも思ってやがんのかコラ」
「え…でも、」
「誰が不恰好だの、スポンジがぺしゃんこだの、味がまずいだの言おーが、ンなこと知るか。…俺は1口たりとも残すつもりなんざねーよ」
「!……銀ちゃん…」
「それに、大人の儀式は…ケーキホール食いだしな」
銀時は白い箱を持ったまま、台所を去り際に「フォーク持って来い」とだけ言った。神楽は明るい声で返事をし、フォークを持って居間まで駆けていく。
風呂掃除を終えた新八が見たのは、ぺしゃんこのショートケーキを今日1番の笑顔で囲む銀時と神楽の姿だった。
end...