「海より深い愛と申すことなかれ、あれは命が生まれた場所ぞ」
「空より高い志と申すことなかれ、あれは命が還る場所ぞ」


 フェイシャは思う。井の中の蛙を思う。大海を知らぬ蛙は、空の高さは知っているのだという。光のない夜の海の中で波の胎動を感じながら、フェイシャはゆっくりと目を開けた。


「さて、お主はどう思うー、星の子よ」


 すうっと夜空から一つ星が流れたと思えば、綿毛のような柔らかな光が水面に降り立ち、光は波間に淡く溶け出した。それをたどるようにフェイシャは海面へと浮かび上がる。よいせ、と小さな掛け声とともに水面に腰掛ける其の髪は、つい今まで海の中にいたというのに雫一つ滴りはしなかった。なにごともないかのように、さらりと前髪が風にそよぐのだ。
(わがはいは海の申し子ぞ、そのわがはいに海が噛み付くわけがなかろう。しかし、雨は違う。あれは別格じゃ。あれは海のものとは違うからのう)


「あの、なんの話でしょうか」
「ああいや、なんでもない。それよりトゥーイ、井の中の蛙を知っておるか」


トゥーイと呼ばれた星は、少し不思議そうに首をかしげながら答えた。


「ええ、知っています。井の中の蛙大海を知らず、ということわざですよね」
「そうである、そうであるー、お主、それをどう思うー」
「どう、と言われましても」
「つまりだ、わがはいは海の深さを知っておるがー、空の高さは知らぬ」
「ええ、ボクは空の高さを知っていますが、海の深さは知りません」
「そうであろう、そうであろう、まさしくそうなのである」


 そう言ってフェイシャは満足げにうんうんと頷いた。しかし、其の意図がわからないトゥーイはただ首をかしげるばかりであった。(頷く海と傾ぐ空とは、これもまこと可笑しきことではあるが)


「のう星よー、人はよく深さを海に例えようとする、そして高さは空へ。これは可笑しきことではないか」
「おかしい、ですか」
「可笑しいのである。考えてみよ、人は空の子でも海の子でもない、陸の子ぞー。空の高さも海の深さも知らぬあれらが、よう言えたものだと思わぬか」
「そういえばそうですね」
「そうであろう、そうであろう」


 再び満足げに頷き出したフェイシャを、トゥーイはすこし驚いた様子で見ていた。自分が知る限り、フェイシャは人というものにあまり興味がないのである。その海が、人を見ている。これはただの気まぐれにすぎないのかもしれないが、フェイシャがこのように(指先から水鉄砲を出すこと以外で)あからさまに物事を面白がることは珍しいことであった。
 トゥーイはしばらく其の様子を眺めたあと、先程の答えに言葉を付け足した。


「しかしフェイシャ、人はものの重さというものを知っています。故にさぞかし大地の道は険しいでしょうが、その厳しさも陸の子の人のみぞ知り得る、尊い価値観なのでしょう」
「ふむ、なるほどなるほど、そうであるな」


 星の答えが気に入ったのか、フェイシャは膝を小気味よくぽんと叩いてみせた。振動でぱしゃりと雫が顔にはじけたが、やはりこれも玉のようにフェイシャの頬から転がり落ち、また海へと戻っていった。


「実に愉快、愉快である。世の理はー、普遍的であり平凡と申すが実に滑稽。蛙は誰かと問われれば、問うたものが蛙であるということであるな」
「元来、個とはそういうものです」
「すべては皆、蛙であるというー」
「ええそうです」
「ケロケロであるな」
「そうです、ケロケロです」
「ふふ、それはよい、よいのう」


 二人はけろけろと鳴き真似ては、くすりと笑い合った。(そしてこれも一興、蛙よ、お主は共に笑えるものはおるか。わがはい、空の高さも地の重さも知らぬ蛙であるが、井の中にあらず。個であるが、孤にあらず)。さあ、空と海と大地は相容れない、しかし世界はひとつである。ばらばらの者同士が隣り合って、くるり反転、回れよ廻れ。


「さて、」


フェイシャが手の平をかざした空は夜だったが、其の目は何かを遮るように薄く細められている。


「東の海ではすでに夜明けが近いようであるー。空も白んではお主も帰りにくかろう。戻るには今が頃合かの」
「ええ、ありがとうございます、とても有意義な時間を過ごさせていただきました」
「いいや結構、空まで見送りは出来ぬがのー」
「とんでもない」


 ではまた機会がありましたら、と軽く会釈をしながらトゥーイは水面を離れ、星の光は空へと消えていった。フェイシャもまた、滑り込むように海へと戻る。波紋はすぐに消え、波はまだ静かであったが朝がくればここも騒がしくなるだろう。鳥が群れ、船が行き交い、海辺では声が賑わう。そんないろんな音を波は海の底まで運んでくるのだ。


(愉快、愉快)


たゆたう深海でフェイシャの肩がくすりと揺れる。


「地より重い義と申すことなかれ、あれは命が生きる場所ぞ」


Fin.



*********




『神様ごっこ』のマッシュさんより素敵共演小説を頂きました…!
すごい…すごく哲学的ですカッコイイ!そのカッコイイ事を言ってるのがうちのフェイシャとか!そしてトゥーイさんの可愛いこと可愛いことっ素直で賢くて…なんていいこなんでしょう(*´Д`)二人でケロケロとかも本当に愛らしくてごろんごろんしました…っ!
海空陸で、命の生まれる所、還る所、生きる所、と言うのがすごく印象に残りました。マッシュさんぱねぇ…!

マッシュさん美しい共演小説をありがとうございましたーっ!



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -