serial | ナノ ※血表現あり


空の支配がお天道様から月へと変わり、街は静寂を持つ。肌を撫でる風の音が異様にうるさかった。
不安とさみしさに、鼓動が高鳴る。たった一人で敵と立ち向かう。だから今、恐怖という二文字が心の中を見え隠れしている。でも後ろは振り返れない。やらなければいけないから。これが私の生業だから。私は、デビルハンターだから。
腰のバックから覗く二つの花を見やる。
優しさを感じる黄色い花と、自己主張の強そうな赤い花。

「あはは、まるでダンテと……バージルみたい」

花たちからは目には見えないパワーを貰っているような気がした。

刹那。

背筋を冷やすような空気が雪崩のように押し寄せた。
気配。
すかさずホルダーから銃を抜き取って悪魔の気配を感じたほうに銃口をかかげる。
が。

「……え!?」

思わず見上げた。目の前に飛び込んできたのは、大きな真っ黒な塊だった。
ソレは細長いものを頭上で構えていて、今まさに振り下ろそうと挙動しているときだった。身を転がして避けるのとそれが地面を叩き割る音はほぼ同時だった。すぐに態勢を立て直して真っ黒い塊に銃口を向ける。

「な、なにあれ、……人!?」

遠くから見ることによって、それの全体図が確認できた。
真っ黒い塊。ソレはまるで人間を模したような姿をしていた。光によってできる“人間の陰を物体化したような”感じだ。そして頭、胴体、腕、足――すべてか暗黒を思わせる黒に統一していた。右手に握られているのは、おそらく剣。それも同じく柄から切っ先まですべてが黒だった。威力は本物と変わらないようだ。故に楽々と地面を砕いている。
ソレは、人ではない。これはれっきとした、

「悪魔……!」

その声が合図だった。
黒い剣が生き物のごとくうごめき始めた。徐々になにかのかたちへと変形し、悪魔の手元がこちらに向けられる。私はそれに気をとられてしまっていた。
悪魔の口元が、にたぁ、と孤を描くのがわかった。
ぞくり、と身が強張った。完全に判断が遅れた。

「そ、そんな……剣が銃に変わっ」

爆発音。――違う、銃声だ。と共に頬に激しい熱と痛みが走る。たらりと生温かい液体が頬を伝い落ちた。
背後を見ると、銃弾が建物の壁を破壊していた。あの黒い銃も、本物だ。
いそいで前を振り返って、指先に力を込める。狙いを定めてトリガーを三回引いた。
それは胴体を貫いた――はずだった。

「!?」

着弾したのに反動に体を揺らすこともなく、ぴくりとも動かなかった。それどころか、銃弾は悪魔の腹の中に潜り込むように消えていた。

(弾を体に取り込んだ!?)

あんな悪魔を見るのは始めてだった。体の一部だと言わんばかりに黒い陰は剣や銃に姿を変えるのだ。
だが――動揺なんてしていられない。恐怖に震えていた足を立たせて、思い切り空気を吸い込んだ。

「ついて来い、……化け物!」

計画通り、私はスラムへ向けて走り出した。なるべく広い道は避けて狭い路地を駆ける。
――こわい。とてもこわい。後ろから撃たれるかもしれない。刺されるかもしれない。
だけどそれでも、私は後ろを振り向かずに地を蹴った。恐怖を、勇気に変えて。
と、そのとき。
風を割るときのような音が間近に聞こえて、背中がメキィ! と鳴り響いた。一瞬、呼吸ができなくなった。なにが起きたのか理解できず、腹から勢いよく地面に倒れ込んだ。勢いは死なずにそのまま二、三メートルほど滑ると、やっと止まった。
這いつくばり、思い出したように酸素を吸い込むと苦しくなって、激しい咳を吐き出した。
肌にたくさんのすり傷ができた。軋みを上げた背中は嫌な感触がする。口の中を切ったようで、鉄の味とぬるりとした液体が口内に広がった。
壁を支えによろめきながら立ち上がり、後ろを見る。黒い陰は口元をにたりとさせたままゆっくりと近づいていた。真夜中の暗闇とソレはどこか共鳴でもしているかのようなオーラを取り巻いている。
憂鬱な気分になってきた。私の味方はなにもない。暗闇も月の光も、今やみんな敵だ……。
壁づたいに早足で目的地へ進んでいった。

やっとの思いでスラムの辺りに出て、電灯の降り注いでいるところで壁に背中を預けた。少しでも光のあるところにいないと、気持ちが暗闇に飲まれてしまいそうで。

「こ、ここでなら……思いっきり、戦え……る」

上下する肩と荒れた呼吸が言葉を途切れ途切れにさせる。
自分の体を見回した。傷だらけ。こうして首を動かすにも一苦労だ。

「あ、あは、まだ本番の前なのにこんな状態って……」

これから。
これからだというのに。

「ぼろぼろじゃん」

銃声。私はすかさず建物の影に身を投げた。

「っ、銃がダメなら、……剣しかない」

ホルダーから短剣を抜き取り、立ち上がる。
ここで自分から飛び込むと撃たれる可能性は大だ。おびき寄せて、角から悪魔が覗き出たところを叩く。
よし、その作戦でいく。

「……来る」

ごくり、と唾を飲んだ。
真っ黒な手が伸びてきて、首から上が角の向こうからと姿を見せる――首さえ吹っ飛べば――しゃがみ込んでいた私は、下から一気に切っ先を突き上げた。
刃が悪魔の首を貫通する。柄からは異様な感触が伝わってきた。

「や、やった」

勝利の兆しが見えた。
が、

「……え?」

悪魔は首を貫通した刃を掴んで、握力でへし折った。私の手には柄だけが残され、愕然として足元がよろめく。
腰の銃を抜こうと腕を動かしたとき、突然視界の風景が残像を作って横流しに映り出した。
――違う。私自身が横に飛ばされているんだ。

「ガ、ハッ――!」

脇腹に堪えようのない激しい痛みが走っていることに気づいたのは、反対側の建物に体を叩きつけてからだった。肩から地面に落ちる。

「あ、ぁっ……あぁ」

酸素を取り込もうとするとあえぐような声しか出なかった。
指に力が入らない。痛みが全身を駆け巡る。どこが痛いのかさえ曖昧だ。立ち上がることもできなかった。咳込むと生温かい血が吐き出された。
意識がもうろうとする。
なんとか目玉だけを動かして悪魔を探す。

「……! そ、ん……な」

さっきまで反対側にいたはずの悪魔が、あっという間に真横に立っていたのだ。剣の刃を首に飾りつけたまま。
今、悪魔がにたりと口元を歪ませている意味がわかった気がした。
遊んでいるんだ。一人で楽しんでいるんだ。私が痛みにもがいているのを見て喜んでいる。
悪魔の手元がうごめいて、剣へとかたちを変えた。
――ああ、ダメだ。逃げられない。
かすかに残された力で手探りにバックの花を一本だけ掴んだ。赤い花びらのほうだった。血に濡れた手で花を持つことになるなんて思ってもいなかった。
結局、私は一人じゃなにもできない。弱い。自分の身も守れないんじゃ、街もマスターの花屋も守るだなんて言えたものじゃない。
目の前に赤い花を置いて、眺めた。
――きれいな花だなぁ。
涙があふれて、流れる。
――バージル――たすけて。
悪魔は、剣を振り下ろした。
とほぼ同時に、強い風が吹き荒れた。赤い花びらがそれに耐え切れずに取れてしまって、風に乗ってすべて飛んでいく。
私は、目を見開いた。
銀色に輝く髪が、視界に入ってきたからだ。
その後ろ姿は幻影のような魔人にも見えた。

「バ、ジ――」

そこでぷつりと意識が途絶えた。
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