serial | ナノ
「……ちょっと」
「うん?」
「変態」
「うん」
烏哭の腹に右ストレートをかました。可哀相な感じの呻きを上げて、そのままベッドからなだれ落ちた(落とした)。
「うん、じゃないでしょ!」
「み、みぞ、みぞに……」
目を覚ました途端に烏哭の顔がそこにあって、なにをしているのかと思えば、なまえの服を脱がそうとしている最中なのであった。危うく貧相な胸が晒されるところだった。……寸前で目を覚ましてよかった。
「だってさ、欲求不満」
とベッドの縁から頭をかきながらひょいと顔を出す烏哭。
「Shut up!」
枕を投げて顔面にヒットした。
人の波が右往左往する道。
見渡す限りだと、きっと都会だ。
ここが東京だということはわかっているが、ほかはなにも知らない。
なまえも烏哭も生まれは日本だ。しかしなまえは長い間日本に住んでいなかった。だから帰る場所もないし、行き先もない。まあ、ここがどこなのかなんてどうでもよかった。
ただ必要なのは、身を隠すことができる場所と逃げる道。
それだけ。
「聞いてよ、日本に来てからまだ一度も食べてないんだよ?」
「……『女性を』が抜けてるよ」
烏哭は馬鹿だ。日本にまで追いかけてきた黒づくめに狙われているというのに、頭の中は女女女女――。女一色だ。本当にこの人はよくわからない。……というか、本当に人なのか。
「さて、お腹空いたね」
「…………」
なまえは烏哭にジト目を送った。
「ん? 普通に食事だよ。そんな目で見ないで欲しいなぁ。やだやだ、僕の脳みそには女性しかないって思ってるでしょ?」
「違うの?」
「んー、ううううん」
「どっち!?」
とりあえず、ハンバーガー屋の『メック』に入ることにした。
席位置はなるべく扉の側。食事をしているときも、周囲の警戒は怠らない。
なまえはポテトを頬張る。
「ねえ、思うんだけど、どうして黒いスーツなんだろうね」
「僕たちを狙ってる連中?」
「うん。って、『たち』っておかしいでしょ『たち』って」
烏哭はハッピーセット(ウサギのおもちゃが欲しかったから)のテリヤキバーガーを頬張る。
「だって、逆に目立っちゃって追われている人に気づかれちゃうじゃん。それでまた逃げられて……の繰り返し」
なまえは他人事のような言い回しをした。
にやけながら烏哭はウサギのおもちゃを指でいじっている。
「う〜ん。私服とかだと仲間が誰だかわからなくなるからじゃない? ほら、黒スーツにサングラスかければひと目で仲間だってわかるから、とか」
なまえは眉を寄せながらポテトをつまむ。
「そ、そうなのかな」
「じゃない? ほら、あんな感じに」
「……あんな感じ?」
ガラス窓に指差した烏哭の指の先に目をやると、
「な! く、黒スーツ……!」
黒いスーツを身にまとったサングラスの男が人混みに紛れていた。
そんなに近くではないが、異様な緊張感がなまえを襲う。
「あと、あっち」
今度はなまえの後ろ側を指差した。
そっちも一瞥して、烏哭へ向き直る。
「ふ、ふたり……」
「あのふたりは互いの場所を把握してるよ。目で合図しあってるもん」
のうのうとテリヤキバーガーを頬張る烏哭。
「ちょ、逃げなくていいの?」
「落ち着いて。こんな時こそ冷静に、ってね。人と同じように行動してれば気づかれない。逆に焦って目立つようなことしちゃうと……」
烏哭はなまえの手首を掴んだ。
「捕まっちゃうよ」
「……、」
なまえはなぜか背筋が凍るような感覚に襲われ、息を飲んだ。
改めて実感する。烏哭は日本に逃げてきても正体不明の黒づくめたちに狙われ、こうして身を隠している。彼と一緒にいる限りはなまえも烏哭と同じ危険を伴うはずだ。気を抜いてはいられない。
そう思った。
なまえは一度深呼吸して、肩の力を抜く。
「そ、そろそろここ出る?」
「そうだね、腹も膨れたし」
と、烏哭は立ち上がり際に。
「あいつらとは逆のほうに歩くよ。平常心平常心」
耳打ちした。
なまえも小さく頷いてから立ち上がった。烏哭はしっかりとウサギのおもちゃを持っている。
ゴミやらを片付けて、メックから出た。
「周りのペースからずれないようにね」
「わ、わかってるよ」
烏哭はくすりと笑った。
この人混みが救いだ。それにうまく紛れながら、黒いスーツの姿が見えなくなるまで歩いた。……しかし、なぜこの場所がわかるのだろう。日本だって狭くはない。確かにここへ到着してから日は浅いが、それにしては黒スーツをよく見る。これも組織の力だというのか?
「なまえ、見えなくなったよ」
「え? あ、うん」
「じゃあ、走ろうか」
と突然手首を掴まれ、
「は、走るの!?」
「うん」
「い、いや、ちょっと……!」
烏哭はなまえを引っ張るようにして、走り出した。
もつれそうになる足を一生懸命動かして彼の背中について走った。