serial | ナノ ひそかな夜。
なまえは静かに障子を開けて、縁側に出た。見上げると、薄っぺらい雲が未完成の月を覆っていた。淡く、かすんだ光。それはまるで自分を生かさせるもののようだ、と錯覚させる。
腰を下ろして足を曲げて座った。背中の障子に軽く体重を預けた。
もうすぐ緑が映える季節がやってくる。なまえは、それをあとどのくらい迎えられるのだろう、と考えると唇をそっと細めた。
とその時。

「やあ、こんばんは」

縁側の向こうからそんな声が静かにやってきて、そっちに顔を向けた。なまえは声の主が彼だったことに驚いてかすかに背筋をぴっと伸ばした。

「半兵衛、様。こんばんは」

一度瞬きをすると、彼はすでに真横に立っていた。

「ここ、座るね」

微笑を浮かべた半兵衛はゆっくりと腰を下ろした。
しばらく横顔に見とれていると、それに気づいた彼はまた目を細めて美しく微笑む。

「驚かせてしまったかな?」
「あ、いいえ。……でも、ちょっとだけ」
「ふふ、そうだろうね」

急に姿を見せてそれは驚いたけれど、理由なく現れることはないと思った。

「仲睦まじくやってるみたいだね、彼とは」
「三成様、のことでしょうか」
「え? そうだよ。他に誰がいるんだい?」

ほんと天然だなぁ、とクスクスと笑う半兵衛。

「す、すみません。……はい、とても、幸せです」

頭の中で三成の姿を思い描くと、自然となまえの表情はふわりと微笑んでしまう。しかし、足元を見つめるその瞳は、どこか物寂しそうな色をしていた。

「もう少し表に出してあげればいいのに。君に対する想いとかね」
「いいえ、もう十分に伝わっています。私のことを大事に思って下さって。……そうですね、欲を言うならば、私にもっと甘えてもよろしいのに、と」
「いいね。僕が耳打ちしといてあげるよ」
「うふふ、お気持ちだけで」

二つの微笑が小さくこだまする。
しばらく夜空を見上げていると、なまえはふと半兵衛の横顔に視線を落とした。

「そういえば、なにか用があってここに? ただただ雑談、という風ではないような気がして。冷たい空気に長くさらしていますとお体にも障ります」
「うん、ありがとう」

半兵衛は自分の胸に手をあてがって、一度深く呼吸した。

「大丈夫だよ。……でも、僕の心配よりも、君は自分の体を心配しなさい」
「……はい?」

一瞬、なまえは思考が停止した。
二つの視線が絡まる。じっと見つめてくる瞳はとても鋭い。まるで、すべてを見透かされているかのような錯覚を起こさせる。
なまえは無意識に、下腹部に手を置いてそこを強く押し込んでいた。そう、奥にと隠すように。
半兵衛から顔をそらせて足元に目を泳がせた。

「な、なにを、おっしゃっているのか、私には……」
「動揺してるね。僕には隠せないよ」

手が震える。隠せない。やはり、見透かされている。

「話はしたのかい? 三成くんには」

なまえはゆっくりと頭を左右に振った。

「どうするんだい?」
「わ、私も、私自身もまだどうすればよいのか、わからないのです。まだ、途方にくれています……。愛する三成様の子孫を残せるのだろうか、そして、私の命は――え?」

ふと横を見ると、半兵衛の姿がなかった。立ち上がって辺りを見回すが、人の影さえない。彼は消えていた。
怖くなった。

「いや……っ」

唐突に、恐怖という言葉が脳内を埋め尽くした。じわりと目が熱くなり、涙が溢れ出す。両手で顔を覆った。
誰にも打ち明けられない、己の中だけに潜んでいる闇。いつこれが暴れだすのかわからない。今は静かに居座っているが、いつどこで動き出すのか。今まさに己の体を蝕んでいるのかもしれない。怖い。怖い。

「み、みつなり、様。たすけて、くださ……っ」

嗚咽に言葉が負けてしまう。
目を強く閉じると、ふと意識がどこかへ飛んだ気がした。

次に瞳を開けたとき、目の前にあったのは部屋の天井だった。
上体を起こす。障子の向こうでは朝日が降り注いでいるようだ。

「あ、れ? 夢……?」

はっとして、下腹部に手を置く。
なまえは顔をしかめた。

「これも、夢で終わってしまえばいいのに」

誰にも聞こえないような、小さな声でつぶやいた。
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