serial | ナノ
書簡が広げられた机の側で手元を照らす灯が微かな風の流れで揺らめいていた。
この時期は、専らほのかな風が薫る。昼間、それが肌に心地好いと言って身を風にあてているなまえの横顔が目に浮かんだ。
三成は自分の顔が緩んでいることにも気づかないまま、頬杖をついて列する文字を読み込んでいった。
「……?」
そこで三成はふと顔を持ち上げる。
肌を掠めていた風の感触が変わった。冷えたすき間風だったものが、いつからか温みを孕んだまるで優しく包み込むようなそれに変わっていた。――なまえの言う心地好い、というのはこれのことだろうか。
障子に隔たれた向こうを見据えて、三成は目を細めた。
「まさか、な」
気のせいだ、と思いつつも三成は吸い込まれるようにそれを見据えている。馬鹿がと心の中で嘆いたが、無駄だった。ついには机に体重をかけ立ち上がってしまったのだ。
薄紫に身をまとめた細身が障子を目前にし、足を止める。そこで三成は思わず己に嘲笑を見舞いした。だがそんな思いとは裏腹に、体はなにかに操られ先を進めとうずき出す。
「……」
障子を開けると、その瞬間、三成を待っていたが如く豊満な空気が全身を撫で上げた。そのとき一瞬だけ、思考もろとも静止し、麻痺した。
葉擦れの音が直接脳に響く。
風に揺れている花びらは自由だった。
そして、美しい満天の――
そこで三成ははっと我に返り、視界の隅に置かれた物体に気がついた。
三成は目を疑った。
『まさか』が現実になった。
「……なまえ」
少し離れたところの縁側に腰を下ろし風景を眺めていたなまえが、ゆっくりと孤を描きながらこちらを見遣った。
「こんばんは、三成様」
真夜中の暗さのせいで曖昧だったが、なまえはふわりと微笑みを顔に浮かべているようだった。
こんばんは、ではないだろう。なぜこんな夜中にそんなところにいる。今まで一体なにをしていた。
など、口に出す言葉があまりに多くて舌が回らなかった。そのせいで挙動不審に陥っていると、なまえがちょいちょいと手招きをしてきた。
「ちっ」
次の一手を先に越され、三成はバツが悪そうに舌打ちをしてから足を動かした。
どか、となまえの隣に座れば、また先ほどの感触がやってきた。
気が鎮まる。
「いったい貴様はこんな夜分になにを」
「ここにいれば、出てきて下さると思っていました」
三成を見上げた目に、眉間にしわを寄せた自分が映った。
「ほら、ね? 出てきてくれましたもん」
なまえは可愛らしく首を傾げにこりと笑った。それを見た三成はなにを言うこともできなくなって、やっとの思いで空に顔を逃がした。
視線の先に現れたのは、空に浮かぶ満月。
「三成様、今日は満月です」
「……ああ」
「とてもきれいですね」
なまえは肩にかけた羽織りの中に小さく身をたたんで、満月に見とれる。
元から小さな図体のくせに、そうしたら余計に小さく見えた。
「冷えるのか」
「いいえ、温かいですよ」
「温かい?」
「はい」
一体なにを企んでこんなところに居座っていたのか……。
わからない。
「真ん丸ですね」
満月。
さっきまで暗かった風景がいつの間にか明るくなっている。肩の高さに位置するなまえの顔も、今ははっきりと見えていた。
「丸いな」
「三成様のことですよ」
「なに……?」
すると、三成の手の上になにかが重なった。包み込むような温かさを孕んで。
「あのお月様と同じように、今の三成様も真ん丸です」
「なっ……、どういう意味だ」
「三成様のご普段は、そうね……家康様のお髪のような」
「っ家康だと!?」
家康のイの字を聞いた途端に声を張り上げた三成だが、口元に一本の指が立てられたことによって喉にまで迫っていた叫喚を飲み込んだ。
「しー、ここにいることがばれたらお尻を叩かれてしまいますよ」
「す、すまん。い、いや、貴様が悪いのだろう!」
焦りに焦る三成を見てか、なまえは口に指を当てて笑いを堪え始めた。
「ふふ、すみません。でも、本当のことですよ」
「だ、黙れ」
三成は複雑な心境で涙の溜まったなまえの瞳を一瞥し空にぷいと顔を投げた。
隣から心地好い呼吸を感じながら、空に丸く埋まった光彩をいつまでも見つめていた。