「付き合ってください」
「いいでしょう」


淡々としたやり取りだった。感情的な内容にも関わらず感情の無いような響きが王城高校の廊下に落ちる。お互い面と向かってまともに話すのも初めてだったが、あらかじめ台本で決められていたかのようにスムーズに言葉が交わされていく。


「よろしくお願いします。失礼します」


律儀に腰を折ってお辞儀をしてから身を翻し、ぐんぐん廊下の奥へ消えていく後ろ姿。告白を受けてたった今自分の恋人となった男、進清十郎を見送ってから苗字名前はすぐ脇にある窓に手をかける。


(暑い)


初夏だった。緑葉が眩く、視界に光を届ける。いつ蝉は鳴くのだろう。遠くのグラウンドから威勢の良い掛け声が飛んでくる。


(進清十郎)


名前は彼の去った方向と逆へ歩を進めた。すれ違う生徒は皆彼女を目に留める。きゃあ、と騒ぐ女子。顔を赤らめる男子。丁寧すぎる挨拶を寄越す後輩。何もかもを薄い微笑み一つでやり通す。

自分たちが巻き起こした状況がいかに驚愕的なことであるか、まだ二人は知る由もなかった。










「あの進が!」
「あの苗字と!」
「付き合うだァー!?」


人の口に立てる戸などない。一体どこから火が点いたのかあっという間に進と名前の交際の話は広がっていった。進の所属するアメフト部も例に漏れない。


「意外すぎる!」
「そんなあー俺の苗字先輩がああー」
「こいつは事件だな…なあ桜庭!」
「え、あ、ああ…」


(ていうか俺?俺が火種?)

一人顔をひきつらせる桜庭。進の数少ない友人である彼には電撃交際に関して思い当たる節があった。






朝練、まだ早い時間だというのに桜庭へ黄色い声援を届ける女子達に苦笑いで手を振ってみせたときのこと。


「毎度のことながら大変だな」


トラックを走りながら、滅多に話しかけてこない進が滅多にしない話題で桜庭にそう呟いたのだ。おや、と目を丸くして隣をキープしたまま走る桜庭、ただのマラソンとはいえ仮にもトレーニング中、無駄口叩くなんてらしくないなと思いつつ進はまだまだ余裕であることが窺え、せっかくだから貴重な話を続けてみようと答える。


「前の仕事が仕事だったからね。でも応援してくれるのはありがたいよ。力が湧く」
「そうか」
「進にはいないの?気になる女子とか…」
「いる」
「あーやっぱりね進だもんね、いるわけな……え!?いるの!?」
「いる」


答えの見え透いた問いに意外な返事をもらい動揺してリズムを崩されるも桜庭は追いすがる。


「…聞いていい?」
「構わない」
「誰?」
「三年生の苗字さん」
「どえっ」


いつの間にかゴール地点を走り抜けていた。スピードを緩めつつも競歩のように先へ行く進になおも付きまといながら混乱する頭の中身を整理する。王城の苗字名前と言ったら進に勝らずとも劣らない有名人なのだ。女子新体操、個人競技の覇者。全国区レベルでメディア露出もかなり多い。


「ちょっ、え、マジで?進、マジなの?」
「本気だが」
「はあー驚いた…でも納得。あのひとものすごい鉄人だって有名だけど」
「そうなのか?」
「進が言えた義理でもないけどね。そうかそうか、苗字先輩かー」


人間味の無い進の人間的な部分に触れられた気がして些か舞い上がってしまったのかもしれない。軽率だった…と今になって悔やむ彼だが、このときの桜庭を誰が責められようか。


「じゃあその想いを伝えないと!」


今度は進が目をみはった。前を向いたままだがしっかり桜庭の話は聞いている。


「伝える?」
「そうだよ、告白!苗字先輩今誰かと付き合ってるとか無いみたいだし…」
「告白…」


やや首を傾げた進。もう一押しするか、というところで無駄口叩くな!とショーグン監督に見つかり怒鳴られてしまい、そこで話は終わってしまった。






(でもでも!)


まさかそれから半日足らずで実行に至るとは思わず桜庭は混乱するばかりであった。


(そういえばはっきり好きだとは言ってない。でも『気になる』っていうのは…)

(俺とんでもないことしちゃったかも!)


「おーい桜庭ー部活始まってんぞー」
「どうしたんだ?あいつ」


まだストレッチすらしていないのにすでに冷や汗でユニフォームをぐっしょり濡らしている桜庭を後目に進は黙々といつも通りのトレーニングを開始していた。