「あ」


俺と名前が会うのは大体は委員会後の廊下だった。偶然会えたら一緒にいる、それが暗黙の了解で会えなきゃそのままだしきちんと約束を取り付けた逢瀬など一度もない。しかし沈黙はある。別に気にはならないが、いつも名前は間がもたないのが落ち着かないようで控えめに奇声を発している(なんだか凄い語列だ)。それは何かを訴えたい風に見え、普段ならこちらからきっかけを与えてやればいいだけの話なのだが、あえて暫く放っておくと青い顔でごめんなさいと言われた。なにがだ。俺はそんなに怖い顔をしているのか。


「…どうした」
「この前、の。手裏剣、の。洗ってきたから返し…ます」
「ああ」


名前のおかげで俺の中に僅かな単語から情報を読み取る力というものが着実に育っていく。そういえば手裏剣を運ぶ際に頭巾を貸してやったんだっけか、替えを使用していたのですっかり忘れていた。あれは危なっかしかったと回想していたら名前の胸元から布が引っ張り出され手渡された。なんか羨ましいところに入ってんなぁお前などと思いつつあたたかい頭巾を見つめる。妙な沈黙の再来。

あの、と呟かれたので顔を上げた。名前の顔は下を向いている。


「ずっと渡したかったんだけど…」
「だったらさっさと声かけりゃいいのに」
「き、昨日から話しかけてた、よ!」
「うそ、どっから」
「…天井裏から、とか」


わかんねーよ。
ただでさえ気配がないのに天井裏なんぞに忍ばれたらいくら俺でも気付くわけがない。どこぞの忍者馬鹿じゃあるまいし、奴とはわりかし近い距離にいるからもしかしたら少なからず影響を受けているのかもしれないが、妙な真似は控えていただきたい。否、あの野郎の真似だけは断固として許さん。隈なぞこしらえた日には付きっきりで解消してやる。

呆れた俺の胸中を察したのか、名前は両の手で頬を押さえ込むようにして身を縮めていた。女らしい仕種に少なからず心が揺らぎ(まぁ女だが。元から可愛いし)、よこしまな思考が若干勝り、頼りない肩に手を置いたら思いきりびびられた。俺もその反応にびびって反射的に手を引っ込める。行き場のないそれを名前はまるで化け物でも見るかのような丸い目と真っ青な顔で穴があくほど凝視し、明らかにこれまでとは違った種類の沈黙が訪れる。名前が息を吸った。


「…ごめ、なさ!」
「え、ちょっ」


そのまま一息、頭が取れるぐらいの勢いで深々と謝罪されたがそれは傷つく通り越してもはや泣ける。なんていうか、進展どころか色々退行していってないか、俺たちの関係。


「…あのさ」
「はい…」
「そんな無理するぐらいなら、さ」


語尾が濁ってそれきり無くなった。正直言いたくない。だが、不毛も過ぎていい加減辛い。名前だってかなり無理をしている。それって駄目だろ。そんな関係誰が望んでるんだ。

俺の言わんとしていることを感じたのか知らないが、名前はばっと顔を上げた。視線が。やっと合ったような。


「ちが、くて」
「違うって何が」
「わ、私が、…意識しすぎて……」
「意識、って」
「うっ」


おどおどとせわしなく右を見たり左を見たりしている。だから、食満くんを、その…。耳まで真っ赤にさせて何か言い淀んでいた。前述した通り俺はこいつのおかげで少ない情報処理を身につけている。なんだか話の行方が変わってきているが、それを良い方向に取っていいものか思案していると名前は言った。


「……好きです…」


確かに言った。いまいち確証が持てずに宙に浮いていた問題に決着を付けたのは名前のほうだった。俺は気が抜けて、今まで後ろ向きに悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えて、もう欲は止められなかった。腕を引っ張るとあっさり胸に倒れ込んできたので思いきり抱きしめる。


「あ、あああーうあぁー」
「変な声出すな!」
「ご、め、むぐぅ」


もっと腕の力を強めると、ばん!ばんばん!と背中を叩かれる。ギブアップのつもりらしいが暫くは離せそうにない。俺の顔がすごいことになっているからだ。