美しいものには須らく害が備わっている。薔薇には刺があるし、太陽を見つめていれば目が焼ける、猫を撫でようと出した手を爪で裂かれることもあるだろう。興味を惹くそれらは決して人に優しくない。だから虫はね、派手であればあるほど危険なのだと、教えてくれたのは貴方でしょう。だからこそ僕は理解が出来ないのです、貴方がそこに平伏す意味が。薄暗い部屋の中、散らした黒髪と薄い腹とを畳に付けて、その畳の憮然と整列している目に爪を食い込ませて、視線だけで呆然とこちらを見上げる意味が。蒼白な顔面、唇がわななく様さえ魅力的に思える、先輩、貴方はやっぱり。


「は、」
「なんです」
「はかっ、た、ね」


謀った、だと?可笑しな人だ、僕は何もしちゃいない、貴方が勝手にこの部屋へ踏み込んだのでしょう。
ずっと手に持っていた一冊の書物をわざとらしく落とした。貴方から借りた書物、今日授業で使うから返してよと散々言われたもの。視線が僕から外れて書物に移る、それすら口惜しい。貴方が今見つめるべき対象はなんですか。


「先輩…」


僕の表情は人と比べて遥かに乏しい。故に元から表情の変化などわかりにくいのだが、今ばかりは無表情を徹底しよう。普段自分と接する様子と落差の激しい僕に対して怯えが見て取れる先輩の肩口に、一匹の蝶が止まった。はたはたと自慢気に凶悪な色合いを点滅させる蝶。腰を屈めて指を出して、おいでと声を掛ければ大人しくこちらへ飛行する。ああ、いい子だ。


「悪、趣味、だ」


貴方は自分が落ちた原因である蝶を睨みつけてそう吐き捨てた。心外極まりないその言葉に僕は反応する。


「失礼ですね」
「毒虫…なんか、放し飼い…すんな」
「部屋主である僕に害がないのだから構わないでしょう」


淡々と告げた言葉に、丸っこくなった貴方の眼は硝子玉みたいだ。ゆらゆら僕を映して非常にやるせない。貴方はやっぱり、美しい。僕が見てきた誰よりも何よりも美しい。ずっと欲しくて堪らなかったんです。人の話なんてろくに聞かない僕が貴方の教えだけは一言一句全て忘れずに覚えている。これはもう、紛いなき事実でしょう。


「普通の人は面倒ですね」
「まごへ、い」
「しかし先輩なら持っているものだと思っていました」
「耐性なぞ、持つ筈が…」


極力優しさを保ちながら指を延ばして柔らかな頬に触れたら、ぎゅう、と眼をつぶった。長い睫毛が濡れている。苦しいでしょうね、既に手に力がないですもの。息も荒いし、可哀相。可哀相な先輩。


「僕は毒のあるものが大好きなんです」
「…………」
「というよりも、心を奪われるものが決まって毒を所有しているのです、不思議なことに。毒は確かに厄介です。いくら美しいと思っても、触れられない」


貴方は静かに息付くだけで何を語ることもなかった。
もう僕を見てはくれないのですか。


「ならばいっそのことあらゆる耐性を持っていたほうが、その場凌ぎで対処していくより幾分も便利だと思いました」


だって同じ毒に倒れることが二度とないのですから。

やっと貴方が笑った。途切れ途切れに言う、お前は恐ろしく頭がいいね、それもいつか聞いた台詞だった。


「怖いですか」
「…………」
「大丈夫、僕は毒なんて持ってないですから」


こうなることは全てわかっていました。書物も蝶も貴方の行動も、偶然ではないのです。僕ほど毒に傾倒してない貴方が耐性など持ち得ていないことは百も承知。貴方の全て、貴方の命を掌握できる日が来るのを、獲物が迫るまで一切動かぬ蛇のようにずっとずっと待っていた。ひっそりとした室内によく通る喘ぎ、さぞ苦しいでしょう、けれど限界はまだ先にある筈。解毒薬はあるのです。だから安心して存分に喉から僕の名前を捩り出して、泣きながらでもいいから懇願してください。想像するだけでも充分だった世界が目の当たりにできるだなんて、とても楽しみだ。

白い肌の上で眩しいような表情をする先輩は美しい。僕は貴方が欲しい。さて、貴方には一体どんな毒があるのでしょうね。