与四郎の声だけ落ちた。


こんなに悲しいことが今まで一度でもあっただろうか。とても深刻な事態に直面している私は絶望に呑まれまいと精一杯で、地面とにらめっこして、目の前にいる与四郎に見向きもしなかった。


「元気でなー」
「……………」
「泣くんか」
「…うるさい」


強がる声も震えている。馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しい私。
本当は喜ぶことなんじゃないの、みんな喜んでたし、与四郎もきっと笑ってる。

笑うと、釣りがちな目尻がほんの少しだけ下がるのが好きだった。そこだけじゃない、大雑把な性格とか案外優しかったりとか、どこにでも引っ張っていく温かい手とか、与四郎の全てが好きだった。
過去形は良くないけど、私と彼にはもう未来が無い。

「仕方なかんべぇ」と呟いたのが一体何に対してなのか。私の都合か彼の気持ちか。

与四郎は、悲しくないのだろうか。


「たまには忍んで会いに来っからよ」
「…仕事で?」
「んや、私事で」


やっとこっち見た、と嬉しそうだった。辛そうな笑顔だった。好きなのに、だからこそそんな顔は見たくなかった。
恐る恐る腕を伸ばして与四郎の胸元に顔を寄せれば、しっかりと抱き返される。

私は明日、遠い地の名も知らぬ城に嫁ぐ。あまり豊かでない家族が喜んでいるのは食い渕が減ったから。実際は建前上の妻が欲しいという相手の都合で、大きな城の若い息子なんて面識すらなかった。
そこに愛はあるだろうか?何度も自問しては首を横に振る。きっと、ない。今まさに与四郎からもらっているものは、これっぽっちもない。

いつまでも未練がましく与四郎にすがって泣いている訳にはいかない、それなのに。離れ難いのは悲しいだけじゃなくて。
普段通りの穏やかな声で、お前の綺麗な姿見たかったなぁ、なんて聞きたくなかった。


「な、もう行かんと」
「いやだ」
「…せーので一緒に言おう」


少しだけ離れて、見つめ合って、彼の口が一方的に動いた。せーの。私は知らない振りをする。


「さよなら」


当然、与四郎の声だけここに落ちた。黙ったきりの私に困った様に笑って、頭を掻いた。

言えない。
その「さよなら」という四文字が、私にはどうしても言えないのだ。