笑っていた、狂っていた。畳を這い回り、腹がいよいよねじ切れたかという頃合いでようやく起き上がる。
肩で息をしながら、ずっと立ち尽くしている(とはいえ肝心のあれがない)彼女を見上げると、青白い顔の普段と変わらない造形が冷たくこちらを見下ろしていた。


「あんた、なに?本当はあたしのこと嫌いだったの?」
「違うけど…あぁ、でも」


心もとない視線。

足がない。
彼女には足がなかった。
事故で失ったとか物理的ではなく、足そのものがこの空間に存在していなかった。
腰から上は何の苦も無く浮いているから、そこだけ見れば生きてるようにも思える。

(否、もう生きてはいない)

分けるならば幽霊というものの類だ。
化けて出たのだ、彼女は。

違う?

神経質に語尾が上がった。


「じゃあなんで人が死んだのに笑ってられるの」
「でも、おかしくって」


ははは。乾いた吐息で空間を震わせると、彼女は目元をきつく吊り上げ、これもお決まりでお得意の平手打ちを繰り出す。繰り出す振り。すっと僕の顔を擦り抜けて向こう側へ途方もない右手が宙に浮いた。
気まずい沈黙。
俯いた彼女のつむじを撫でようとしても、やっぱり向こう側に突き抜ける。


「最低よ、伊作」
「…だって」
「笑わないで、よ…」


ぼたぼたと大粒の水滴が畳に染みていく。
幽霊の涙って存在するのか。それなら足だって返してくれればいいんじゃないの?
誰に尋ねてるのかは、明確ではない。


「だって、よくわからないんだ」


ずっと夢だと思い込んでたのに。
昨晩の葬儀、棺桶を閉じる直前の顔はあんなに綺麗だったのに。
本当は寝てただけなんでしょ?
皆で、またタチの悪い冗談とかで、僕だけ騙してただけなんでしょう?
小平太はおとなしくって、あの仙蔵まで何だか泣いてたし、やけに留は優しかった。けど。

本当は、


「本当はわかってるくせに」


認められないんでしょう。

恨めしげに囁く。どちらからともなく合わせた手、絡まることはなく、繋がることもない。二度と、ない。


「うん…」


君がそうやって、化けて出るものだから。
全部本当、もう戻ってこないんだろう。わかってるわかってる。

祈るしかない。

(さすれば汝は救われよう)

さっきから、一体誰に縋ってるんだろう。
心から縋りたいと思う小さな体はもう触れられないというのに。

笑うしかない。
思いとは裏腹に溢れ出す涙の膜の向こう側で、彼女がより一層透けてみえた。