なんだか滑稽であった。
しんとした室内にひっそり息付いているのは二人きりの影。


「…知ってたのね」
「うん」
「いつから?」
「最初から、全部」
「へぇ…」


小さい影が傾いた。バツが悪いとでもいう様に頭を垂れている。少女。名前である。
対する大きめの影は微動だにしない。雷蔵。こちらは少年であった。

普段は互いに穏やかな雰囲気で周囲をも和ませるこの二人が何故こんなにも深刻な面持ちで対峙しているのか。


「私、謝らないから」


全く感情のこもっていない彼女の言葉に雷蔵は少しだけ反応した。


原因は名前の浮気だ。

先ほどまで『疑惑』という認識だけで済まされようとしていたのに、わざわざ混ぜ返したのは彼女の方だった。
雷蔵は気付いた素振りはせず、寧ろ知りたくなかったという風にその話題は極力避けていたのに。

波乱は御免だ。
いつだって、平和なままで過ごしたい。


「何か言うことは無いの、雷蔵」


(それは僕の台詞だろうに)

何か言おうとしても喉から上手く声が出ない。
情けないと焦って俯けば、揺れる影が近づいた。
反射的に避ければため息が空気を震わせてぞくぞくする。
真夜中の逢瀬、未だに慣れず。


「言うことって…」
「無いの?」


なぜ彼女はこうも悲しそうなのか。

名前がまた近づく。そっと頬に触れられるが今度は雷蔵は逃げなかった。


「なんで名前がそんなこと言うの」
「だって雷蔵が…」
「僕が?なに?」
「雷蔵は、私が他の人のところに行っても構わないんでしょ」
「…そ、」
「お別れする?」
「そんなこと!」


あってはならない。
焦って彼女の肩を掴めば、上から重ねられた柔らかな手。
この手が。離れるだなんて考えたくも無い。


「僕に悪いところがあるなら直すから」
「雷蔵、違うよ」
「違うもんか、ごめん 僕が悪かった、だから離れるだなんて、お別れだなんて言わないで!」
「雷蔵」
「大好きなのに」


そう悲痛に叫んだ後、また静寂が訪れた。

暫くしてから彼女が破る。


「…やっと言ってくれたね」
「え?」
「私は雷蔵の気が惹きたかっただけ」


それだけだから。
金輪際ないから安心して頂戴ね。

(平和のままはいけないことだろうか)

気が付けば頬が濡れていた。
そっと彼女の手に掬われた涙は闇の中でもわかるほどの薄い光。

全身を腕に包まれる。


「これから先は雷蔵だけをずっと抱いててあげるから」


ごめんね、ごめんね。

謝罪の言葉は呪詛の様で、緩やかに耳元を流れていく。
つまり彼女は自分を試したかっただけなのだ、と雷蔵は悟った。
愛しているのに価値観が少し違えばそれは悲劇的なことで。罪悪感にも似た熱い熱情。胸の内をゆっくり侵していく。

自分以外を好きにならないで。
いっそ殺めてくれてもいい。

(それでもまだ僕が悪いような気がして、浅ましい。でも、でも)

啜り泣きで闇は閉じた。