ぱん、と乾いた音で私はようやく現実へと引き戻された。
音の衝撃が意外に強くて、暫く耳がガンガンした後じわりと痛みがのぼった。


「いたい…」
「それで痛くなかったらとんだ不感症だ」


いつもより数段低く響く返事。
声音は少し震えていて怒りを殺しているかの様に思えた。否、実際に殺している。そしてきっと憎々しそうに私を見ているのだ。残念乍ら彼の顔を今日一度たりとまともに見ていないので確認は出来なかったけれど。


私が悪い。

その認識は間違っておらず、確かなものである。
別に浮気をした訳では無い。彼は常時涼しい顔を貼り付けながらも独占欲は桁外れなので、浮気なんてしたら秒殺はおろか埋めた墓の前ですら祟るに違いなかった。そんなのは全くもって御免だし第一迷惑極まりない。


「どうした」


叱りつけられた子どもの様にひたすら畳を見つめる。

要は、


(怖い人なのだ)


「何故眼を合わさない」
「………別に…」
「やましい事でもあるのか」
「ない」
「じゃあ顔を向けろ。いい加減腹が立つ」


殴っておいて今更立腹もないだろうに、失笑。

私の顎に手を当てて ぐい、と無理矢理顔を上げさせる。
それでも私の視線は意地でも畳から離れず、それが気に食わなかったらしい。
ごつ、と音をたてて額と額がくっつく。彼の冷えた体温は、痛みやら窮地やらで興奮しきった熱い私の肌を吸い取っていく。

私はいよいよ眼を閉じるに至った。


「…そこまで嫌われていたとは」
「だって、わかるんだもの」
「何が」
「……………」


彼は欲情している。

黙っていると、印象とは違う、大きな片手で目元を覆われた。
後はいつもと何等変わらぬ情事だ。やり過ごすのも慣れたこと。

何も見えない。


(やましいことがあるのはあなたのほうだ)


「仙蔵」


小さく呼べば闇の中 空気が微かに震え笑っている気配がした。