そんなこと知っている!
「潮江、あんた馬鹿だわ」
へっ、と鼻で笑われたのが勘に障り、思わず持っていた算盤を投げつけた。難無くキャッチされる。
腹立たしいが無言でやり過ごす。まだ帳簿の計算が終わっていない。
否、終わる筈がなかった。先ほどから今のようにずっと妨害されていたのだから。苛々する。
面白くないと背の後ろから罵られ暫くの沈黙。
しかし長くはもたない。
「潮江もう夕飯食べた?」
「……………」
無言。
名前は呟く。
まだなら一緒に食べよう。
女子からのお誘いならそりゃあ悪い気はしないけれど、如何せん名前となると話は別だった。
こいつは只の女子ではない(いやくの一を目指しているのだから`只の´では困るが)
彼女と飯を食べて随分体が難儀な事になったのはつい最近のことだ。
一服盛られたと気付いた時には枕元に笑顔の名前が座っていて飄々と「大丈夫?」だなんて聞くものだから中々肝が冷えた。今思い出してもゾッとする。
帳簿の上に墨が染みた。全く手が止まっている。
少し頭を振ると、計算の解も同様にふっ飛んでしまい腹立たしさは倍増した。
元より他人に振り回されるのは嫌いな性格である。なんでこんな女子一人こなせないのか。
出ていけ。
もう関わるな。
(それは、言えない)
何故か見当がつかない。
それさえ言えれば名前が出ていくのは確実だと解りきっていることなのに。
しくじった墨の行き渡る紙を後ろに放り投げた。「いて」という声から察するに命中したらしかった。
振り向く。
「やっとこっち見たね」
「……名前、お前一体何がしたいんだよ…」
「なんか反応してくれるなら私だってわざわざこんなことしないのに」
ばいばい。
今度はあっさり引き下がる彼女に、やはり訳もなく慌ててしまう。思う壷だとは承知なのに止められない。
掴んだ裾。汗ばんだ己の手。らしくない。
恐々と見上げれば、またひとつ「あんた馬鹿ねぇ」と笑われる。