「先輩、トリックオアトリート」
「わわっ」


廊下を歩いていると完璧に気配を絶った塊にいきなり後ろから抱きつかれた。驚くより早く抑揚の無い声に正体を掴む。綾部だ。
今日一日、聞き飽きた台詞に呆れて振り向けば、


「お菓子ー」


黒い塊。げぇ。


「どうしたの、その格好…」
「魔女です。本日の授業に仮装が組み込まれていたので」
「へぇ」
「滝と三木は吸血鬼でしたよ」
「じゃあ綾部も吸血鬼やれば良かったじゃない」
「女子に「こっちの方が似合う」と せがまれました」


思い出して嫌気が差したのか俯く彼には悪いが、私はくの一後輩連中に拍手を贈ってやりたかった。中々良いことしたじゃないの。グッジョブ!

黙っている私に綾部は小首を傾げる。装備は黒いマント、先端に星の付いた棒、そしてトンガリ帽子。可愛いなぁ。そのトンガリ帽子を摘んで持ち上げると、明るい髪が現れた。

あれ。


「…どうしたんですか」
「化粧もされてる?」
「これは立花先輩が」
「(さすがに余計な世話だこれは!)…後でご挨拶に伺わなきゃ」
「なぜ」
「あんたよく襲われなかったわね」


極めつけは真っ黒な袴だった。なにそれ股下一寸も無いんじゃないのってぐらい短い。白い細い足が露わにされ、足元もまたどこでこしらえたのか、黒い変な履物。


「ショートブーツと言うらしいですよ」
「ふーん…」
「なんで不機嫌なんですか」
「別に不機嫌じゃないし」
「……………」
「………ぎゃ、」


目線は合わせないように努力しながら丹念に化粧された綺麗な顔を見ていたら不意をついて口付けられた。おたつく私なんて構わず「お菓子ください」と本来の目的を冷静に告げる。なんて子だろう。
っていうか背中に担いでるその袋はなんなの。大量のお菓子が見えるんですけど。


「綾部のアホ!」
「お菓子ください」
「…一杯貰ってんじゃん」
「誤魔化さないでください」
「直に夕飯の時間だよ」
「お菓子ください」
「……ごめん。もうお菓子ないんだよ…」


しつこい応酬に音を上げたのは私のほうだった。観念して天井を仰げば、首筋に柔らかい髪の感触。同時に熱が伝わる。今度は前から抱きつかれていた。


「最初からそう言えばいいじゃないですか」
「ごめん」
「わかってますよ、名前先輩は優しいから」


全て下級生に与えてしまったのでしょう、とにっこりする。格好は魔女だというのに まるで天使の様な微笑を見せるから、ついついこちらの頬も緩んでしまった。
照れを隠そうと、持ったままだったトンガリ帽子を乱暴に彼の頭へ乗せた。目深に被さったそれに柄にも無く焦っていたのが何だかおかしかった。


「それじゃあさよなら。魔女っ子さん」
「そうはいきませんよ」


なんでよ。
一件落着かと思って体を離したというのに、彼は右手で私の肩、左手で目深な帽子をぐいと引き上げた。
不敵な笑み。おい、天使はどこ行った。


「お菓子が無いなら先輩を頂きます」
「いやぁもうドッキリはあんたの格好だけで充分ですよ」
「先輩は私より下級生の方が可愛いんですね」
「う」
「だったらいいです、この格好で外を出歩きます」
「それだけはやめて!」
「じゃあどうしますか」
「……………」


正直な話、私は君の格好に限界なのですよ。丸い目で見つめられて、白い足で、あーあーもう。
最後の抵抗のつもりで「手加減できないかもよ」と言ったら「好きにしてください」と満足げに魔女は返した。