「こんにちは」
「はい、こんにちは」


遠目に見掛けたので近寄った文次郎。事務の制服を着ている人物は男、ではなく。


「名前さん」
「今日予算会議でしたっけ。頑張ってください」
「それ、うちの帳簿ですよね」


彼女が大量に抱えているのは見覚えのある書物。


「学園長先生に印をもらったものを吉野先生が預かっていたのです」


だから今から運ぶところなのです、と説明されて文次郎は納得した。しかし重そうだ。第一自分のものを人に持たせるというのは申し訳ない。


「あの」
「はい?」
「ありがとうございました。持ちます」
「わ、お願いします」


名前は顔を綻ばせて書物の半分を託し、それを慎重に受け取った文次郎は俯いた。なぜか胸と顔が熱い。

並んで廊下を歩く。風が吹くと傍らから良い匂いが香り、文次郎は益々ぼうっとした。無言。名前が笑った。


「?」
「いや、さっき外で七松君がね、穴を深く掘りすぎて出られなくなってたんです」
「あいつ…」
「で、助けようとしたら私まで落ちちゃって」
「あ」


よくよく見れば笑う頬には土が付いていた。反射的に指で拭ってやると名前の眼は丸くなって文次郎を映す。急激に恥ずかしくなり、慌てた文次郎は思わず手を緩めてしまった。落下する書物、その角が足の甲を直撃して奇声を発し悶絶する。
優しい人だと思う。しょうもない失態を見せても仙蔵のように高笑いするでもなく、伊作みたいに呆れたため息を吐くでもなく。ただ心配してくれる。
拾い集めた書物を渡された瞬間、少しでも長く傍らにいてほしいと願ってしまった。好きだ。名前が好きなのだ。今まで色恋に惚けたことなど一度もなかったが、それでも自分の女の趣味は中々悪くないと文次郎は改めて思い知った。

体育委員の予算削っておきますよ、と言ったら非道だね、と笑われたが。





*年上相手だと敬語な潮江が好きだ