投げ焙烙の破裂音を合図と決めた。草蔭に身を隠し、息を殺してひたすら待つ。隣に目をやると何を考えているのか一向わからず仕舞いの表情を張り付けて自分の手裏剣をただ眺めているばかりの彼女がいた。話しかけようとしたけれどきっと二言も続かないのでやめておく。作戦決行は夜に差し掛かるあたりなのに依然陽は高く、用心に越したことはないがいくらなんでも早急が過ぎた。合図はまだか。間が持たない。隣人、今度はおもむろに足袋を履き直している。荒れ地に似つかわしくない生白い足に妙な気を起こしてしまいそうでただ黙するばかりだ。




最初は単なる派遣忍者だった。礼儀正しく仕事は一切抜かりなく、非常によく動いた彼女は一人でうちの忍者十人分の働きをしてみせた。決して弛んだ人材ではなかったのに彼女のずば抜けたセンスには遠く及ばずの連中達。組頭は感心したようにふんふん頷いて、彼女を忍者隊に本採用、他の連中には即解雇の通達を出した。


「少し横暴が過ぎやしませんか、組頭」
「何か不満でも?」
「ありませんけど…」
「いいじゃないの、うちも財政難だしねぇ」


使えない忍者を体よく切り捨てられて都合が良かったという。その中には戦地を共に駆けた友人もちらほらいたのだが、上司命令。仕方ない。不況は辛い…。

彼女は本当によく働いた。長い間この隊でやってきた俺でさえ危うきを感じる場面も多々あれど、こちらを差し置いて前に出ることは決してなかった。されど自己顕示も嫌味のひとつもない。若干表情は固いが仕事だけの付き合いだからさして支障もない。元からそういう風に出来ている人なんだろうと思っていた。

その仕事っぷりからいつしか鉄人と異名付けられた彼女に、休みの日は何をしているのか、と聞いたことがある。


「ただごろごろ寝ています」


不意に振った話題の糸口とはいえ、その回答はあまりにも無機質的なものである。言ってしまえばつまらない。冗談などではなく本当にそうらしい。それなら今度外に出掛けましょうよとこれも興味本意で誘ったら出掛けようにも着物がないんですよと返された。これも冗談ではなく本当にそうらしい。年齢を尋ねたことは無かったが同い年ぐらいだと思う、一応若い女性が身具を忍者服と寝着しか持ち得てないというのは少し異常じゃなかろうか。そもそも休日の使い道自体間違えている気もするがそれは自分の口出しの及ぶ範囲ではない。こちらは相当困惑した顔をしていたのか、彼女はため息を吐いた。


「必要なものしか持たないんですよ」
「普段着は必要ないんですか」
「だってごろごろしてるし…」
「町に忍ぶときとかどうしてるんですか」
「借りますね。あ、ちゃんと洗って返しますよ」


彼女と会話をすると大体話の方向がずれて終了する、それだけはわかった。結局休日に出掛ける話は流されてしまった。

こんなこともあった。
ある日彼女が右腕を不自然にぶらぶらさせていたので訝しんでいた。食事の際観察していたら利き手ではない左手でも上手く箸を操っている。器用なものだと呆れ半分でまた変な顔をしていたら彼女はこちらの視線に気づいて、ああ、折れているのですと事もなげに報告をしたので驚いた。


「ちょっとなに普通の顔して飯食ってるんですか!おかしいだろ!」
「いやそんな痛くないし折れてるならそのうちくっつくんじゃないかと」
「変なつきかたしたら戻らなくなりますよ!」
「あ、そうなんですか?」
「そうなんですかって…」
「今まで怪我したこととかなかったので。味噌汁ひっくり返ってますよ」
「え、熱っ!…じゃなくてええと、見せてください!」
「嫌です、あっ」


無理矢理忍者服の肩を脱がせると二の腕が変色して膨れていた。いつ怪我したものか知らないが既に炎症が起きている。眩暈を感じたが彼女は俺の突拍子もない行動に憤慨しながらもまだ左手で飯を食い続けていた。まさか放っておくわけにもいかないので急いで処置を施したその間もずっと飯食ってた。

鉄人なんてあだ名は嘘だ、そもそも人じゃない。骨折の一件から気にかけて気にかけて気にかけているうちわかってしまった。仕事は出来ても普段は物ぐさで不器用である、彼女の本質。元派遣忍者の実態見たりといったら大袈裟だろうか。…中々人の裏側は透けないものだ。

それでも、ふと笑う。他の誰ともあまり馴れ合わない彼女が、自分だけには少しでも気を許してくれたのかと思い上がってしまう。その後真顔で「変な顔ですよ」と指摘を受けるがそんなことはどうでもよろしい。肝心なのは。







「好きです」


草の匂いに紛れて呟いた言葉はさりげなかったがそれでもしっかり彼女の耳には届き、あまつさえ理解もしてくれたようだった。相変わらずの無表情で断られるかの覚悟はあったが、実際は予想していたものとはまるで対極の反応だった。冬原のような真白い足はすっかり黒足袋で覆い隠され、座り込んでいる状況でこちらが一寸近寄れば一歩退く、彼女はどうしようかと考えあぐねて口を開いてまた閉じる。こうも赤い顔は酒の入った席でも見たことがない。ただ唸っている。困惑を張り付けて頼りない声で。性急な俺は早く返事を確かめたくて手を伸ばして繋いだら強く握り返された。


「も、もろいずみ、どの…」


後ろから待ち侘びた爆発音が届いた。都合の良いところで彼女は現実に引き戻される。俺はいつまでも冷静なままだった。
さぁ仕事です切り替えましょう。まさにこれが始まりの合図だ。