まるで当然のように大きな目が、ぼた、と涙を流したので名前は、これもまた当然とため息を一つ吐くのであった。


「…おい、小松田くん」
「えぐっ、」
「参ったなぁ」



今日の業務に『小松田の世話』なんてものは組み込まれていないのだが。

またしても、何かやらかした彼が名前の元へ訪れ飛びつき今の有様に至るまで一寸の出来事。
同僚の失敗を同じ立場の事務員として名前が始末するのも、もう慣れたこと。

只、一つ扱い難いと感じるのは。


「ほら、もう、…泣き止みたまえよ。みっともない」
「うぅ、名前ちゃん、…ひっく」


(よく泣く男だなあ)


手拭いで些か乱暴に顔をこすると「ぐひぃ」などとまるで蛙を踏んだ様な声が踊り出たが、もうとっくに呆れ果てているので今更なんとも感じない。
布を顔から離せば、赤い顔。鼻の頭。頬。あぁ みっともない。
名前がじいっと見詰めていると彼は申し訳なさそうな上目使いで返す。


「ごめんなさい」
「何の予行演習だ?言う相手は私じゃないだろうよ…今日は一体何をしたんだい」
「…怒らない?」
「だから相手は私じゃないって」
「あのね………割っちゃった、壺」
「どこの」
「学園長室」
「はて、学園長室にはとても値打ちが付けられないような大層厳めしい壺しか無かったと思うんだが」
「割っちゃった」
「……………」


自分で言っておきながらその事実に対する恐怖に駆られ、また泣き出す。
ぼたり、ぼたりと大きな目から落ちるそれは畳にでかい染みを作った。

ここで泣きたいのは私の方だよ。なんて言えばさらに大号泣、悲惨なことになるのは間違いない。

しかし彼女も途方に暮れてしまう。
私だって泣きたいよ。何してくれてんだよ、君は。


「…今の予行練習が無駄にならないと良いが」
「ぅ、え?」
「行こう、謝らないといけない」
「ひっく」


腕を引いて廊下を歩けば注目の的で、一年生がきゃあきゃあ騒ぐ。


おい、あれ小松田さんだぜ

また泣いてる

今日は何をやらかしたんだろ

名前さんはすっかりお守り役だね―…



「聞こえるか、小松田くん」
「え、え、なにが」
「………はあ」


どうも彼と知り合ってからため息を吐く頻度が格段に増えた様に名前は感じていた。
実際、増えていた。


「(誹謗中傷もおせっかいも本人に届かなければ意味はない)」
「名前ちゃん?」
「泣き止んだな?もう一人で歩けるだろう」
「あ」


手を離すと、所在なさ気に彼の腕が揺れた。名前が視線を離して背を向け先に踏み出すと 後ろから、ずべっと音がした。
早速転んだに違いなかった。前々から呆れ果ててはいるので無視して歩を進めた。





「失礼しました」


肝を冷やしながら切り抜けた学園長室。
そりゃあ学園長はカンカンだったけれど、名前が「私の過失でした」とひたすら謝ったので丸く収まった。


また軋む廊下。今度は小松田が先を歩いている。
唐突に名前に声をかけた。


「名前ちゃん、なんで嘘吐いたの」


立ち止まる。


「嘘?心外だな、一つも吐いてない」
「だって過失って…壺割ったのは名前ちゃんじゃなくて僕なのに」
「あぁ、君を一人で大事なところに掃除へ行かせたのは私の責任だから。それが過失」
「うん」
「罪悪感を感じたのならば、これからはもっと注意することだ」
「うん」
「君ほど進歩のない人間は初めて見るよ、毎度同じことを繰り返すどころか酷くなる一方で」
「……うん」


後ろから。攻撃。

彼はといえば変わらない相槌で、話を聞いているのか疑わしかったのだが、…最後の方は声が震えていた。
出かけたため息を名前はこらえる。さすがに今回ばかりは普段ぼけっとしている彼にも応えたようだった。


「名前ちゃん、いつもごめん、ごめんね」


あぁ、また泣いてるな。


「小松田くん」
「っ、え?」


振り向き様に、頬へ触れた手が鮮やかに涙を拭って離れた。
彼は一瞬間を置いてからその場にへたりこむ。名前はしゃがんで顔を近付ける。

大きな目は一度、瞬きをするとまた大粒の涙が床に落ちた。
そっと囁くように声を潜めて、一つ問い掛けた。


「君は私が居なかったら一体どうなるんだい」


はっとした彼はぐいぐいと両の拳で目を擦った。

答える。


「死んじゃう!」
「…ああ、そう。君らしくていいと思うよ」
「えへ」
「照れる所じゃない……どうも君を見てるとねぇ、加虐心が湧いていけないな」
「かぎゃ…なに?」
「解らないならその方がいい。ほら、早く戻らないと吉野先生にどやされるよ」
「はぁい」


にこにこと、手が絡まる。振りほどきもしない名前の優しさに遠慮なく甘える小松田、なんとも微妙な関係だがとても心地が良い。

どうせまた明日飛びついてくるのだろう。あんまり甘やかすのも良くないが、それでも優しくしてしまうのは好きになった弱みもあるのだろうな、と名前は思った。