お前にはわからない、そう言うとたいてい女達の反応は二分され、嬉しそうに笑んで己の気概を格好が良いだのと陳腐な台詞で讃えるか、ガキのくせに馬鹿にするな驕りが過ぎるとただ感情的に憤慨するかのどちらかだった。どの反応も結構だがいずれも己の予想の範疇を越えず物足りなく感じる。
女が無ければ生きていけない身頃ではない、が、あるならあるに越したことはなかった。けれど一度足りと溺れた覚えはなかった。肉体が柔らかいばかりで中は狡猾な女などよりももっとずっと細身で鋭利で魅了される物がいつでも傍らにあった。これを携えてあても無く孤独に行きずるのが好きだった。己は人斬りが趣味だという酔狂ではないので持ったところで護身の他にあまり使い道はなかった。かつての同級生が蛞蝓を友にしているのと同様で単なる相棒に過ぎない。生命を搾取する凶器、根底がことなかれ主義の人間にはおおよそ不要なのだろう。
そんな己を女達は容易くお侍様と呼ぶ。笑ってしまう。別にどうとでも呼べばいい、一度きりの脆い縁なのだから名称などはまるで意味を成さない。

ただお前だけには名を教えた。お前の所だけには幾度も帰った。相棒であるこの刀を預けたことも、なにもかも弛緩させてそのぬくもりの傍ら眠りに落ちたこともあった。
お前といるときにふと安寧の背後から上る、ここを出て駆けねばならぬ、そんな焦りが心地よかった。

時は訪れる。





「で?」
「つまり、だ。おれはお前を捨てるつもりだが最後にお前の気持ちが聞きたい」
「相変わらず自分の勝手が過ぎるね金吾は」
「どうなんだ」
「何と言おうと変わらないでしょ」
「ああ」
「どこぞでくたばれ」


いずれ帰る、と。お前に限らずどこそこの女に言い捨てて流れるように去る。最低な野郎と裏で罵られているかも知れないが全く構わない。何事も余韻がなければならない、後引かねば世には還れないのだから。
武士道などは考えたこともないが、この刃が閃く刹那にやっと己の生き様を振り返ることが出来る、それは確かだ。そのときはお前のことを思いながら斬ろう。人も気持ちもなにもかも。

女にはわからぬ。死んでも譲れないものがあるのだ。