季節は空気を簡単に染め上げてしまう。その中でも夏は、格別だ。ぎらぎらと刺すような太陽が、沈む瞬間にみせるあたたかい色は、小さな頃から大好きだった。
「ちょっと!バス乗り遅れるから早く」
「やだ、もうちょっと写真撮る」
「もー置いてくよー」
私の中のちいさなわたしが、まだ帰ってはいけないと諭すので、出来る限り、この景色をたくさんフィルムに焼きつけることにした。夕日に照らされる甲子園球場は、見たこともない威圧感と儚さで、まっすぐ見つめるのが苦しいくらいに輝いていた。
夢中でシャッターを切るうちに、いつかこの場所に立ちたいと言っていた、浜田くんを思い出した。いつも真っ黒で、すりむいた膝や、泥のついたグローブが、今でも簡単に瞼に浮かぶ。小学5年の夏に転校していった私を、浜田くんは覚えているだろうか。私は、いつまでたっても、彼は私のヒーローで大好きだった人。それだけは、何年たっても変わらなかった。
近くの通路から、さっき試合を終えたであろう野球部が出てくるのが見えた。西浦高校。硬式野球部が強くなったのは最近のことで、2年生だけで勝ち上がってきたこのチームを、テレビや雑誌はこぞって取り上げた。確かに、すごいことだ。夏をさらに熱くしたのは彼らかもしれない。ぼんやり、そこへ走っていく友達の背中を見送って、空を仰いだ。今この場所で感じた空気なんて、あっという間に消えてしまう。本当は、空の色や空気の匂いごと鞄に詰め込んで持ち帰りたいくらい。
「あ、すいません」
男の人にしては、少し高い声。私はふとその声の方に、顔を向ける。どうやら、どこかの高校の応援団らしき人だった。こんなに暑いというのに、学ランを着ている。帽子もかぶっていない。はちまきが、はたはたと風に揺れて、会わせるように襟足の長い髪がなびいた。一見夏とアンバランスなこの組み合わせさえ、夕焼けに美しく映えた。ものすごく綺麗。でも、なんだか違和感がある。なんだろう。胸に引っ掛かるこの感じ。
「すみません」
「あ、はい。なんでしょうか」
「写真撮ってもらっていっすか」
「はい」
その男の人は、私にカメラを手渡すと、同じように学ランを着た男の人と、近くにいたチアガールの女の子たちを、呼び寄せた。
渡されたカメラを構える。まっすぐレンズの向こうを見つめる。あ、と小さな声が漏れてしまう。探していたものは、いつも意外なところに転がっていて、何気ない顔で私の日常に舞い戻ってくる。さっき感じた何かの答えが分かってしまった。
「ありがとうございました」
「…もしかして、浜田くん?」
「そうですけど…えっと…」
「小さい頃向かいの家に住んでた」
「おお!久しぶり!びっくりした」
浜田くんは、すっかり大人になって、(当たり前だけど)背も高くて、手もおっきい。遠い存在になってしまっていた。
でも。どうして、浜田くんはここにいて、それでいて野球部のユニフォームじゃなくて、応援団の学ランを着ているのか。私には、まったく分からなかった。それが、とてつもなく悲しい。笑った顔は昔のままなのに、今の彼は、私の知っている浜田くんではないみたいだ。苦しかった。息が詰まるような想いで、撮り終えたデジカメを浜田くんに渡した。
「あ、俺ね、野球できなくなったんだ」
夕焼けに響くのは蝉の声。どうして、なんでって聞きたかったけれど、唇をぎゅっと噛み締めた。
「でも、応援する側もなかなか楽しいのな」
浜田くんは、笑っていたけれど、泣きたかったのかもしれない。胸をぐっと掴まれるような、そんな息苦しさは、何を話しても消えてはくれなかった。
「浜田くん」
「ん?」
「やっぱりなんでもない」
向こうで、誰かが浜田くんを呼んでいる。誰かの夢を叶えるために必死になれるって、難しいけれど。とても切なくて、とても幸せなことなんだと思った。浜田くんの笑顔を見て、私も誰かのために生きたいと思えた。
夏は終わってしまうけれど、きっとまた、どこかで会える気がしてる。長い一瞬の先には、ちゃんと未来は待っているものなのだ。
(20111011)