夏の終わりの匂いがするなあ。その成分について考えながら、電車に乗り込む。どうしたら、あんなに胸が苦しくなれるのだろうか。切なくて、苦しくて、でも懐かしい。そんな空気で満たされて、ふとした瞬間、目に映った景色に泣きそうになる。今も、窓の向こうに広がる街並み、ビルが反射する淡い光に、心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられる。夏の終わりは、いつもやさしくしてはくれない。


振り返れば、私の夏はいつもたった1人の男の人によって、輝かされていた。私だけじゃ、きっとだめだった。何も残らなかった。その時間は、いくら願っても戻ってこない。だから、愛しいんだろう。でも、今私が想うのは、彼じゃない。



「疲れたか?」
「え、全然大丈夫だよ!元気元気!」
「それならいいけど、ぼーっとしてたから」
「そんなことない!ホントに大丈夫!」
「…まあ、肩ならいつでも貸すから言えよ」


なんで、慌ててしまうんだろう。まるでやましいことを隠しているみたい。あの思い出は、決してそういうものではないし、もちろん、その中に当然阿部だっていた。全てではないにしても、共通している記憶だってある。それでも、こんな自分を知られたくなかった。隣の彼の方が、ずっとずっと大きい存在になっているのに、過去にすがりついてるみたいで情けない。浸るのは、もう辞めよう。大切な思い出に変わりはないけれど。


「そういや、花井から連絡来た」
「へえ、珍しい。何だって?」
「俺んちの近くに引っ越してくるらしい」
「なんでー?」
「大学のキャンパスが変わったとか言ってた。んで、暇なとき飯食おうって」
「良かったね」
「花井から誘われて、嬉しくなんかねえよ」


そう言ってるくせに、嬉しそう。阿部のこういうところは、昔のまま。素直になったら、もっと女の子から人気でるのに。高校のときは口癖みたいに言っていたのに、今は私の前だけでいいや。私は、変わったなあ。阿部のこと、好きになったんだもんなあ。花井は、変わったんだろうか。個人的には、あのままでいて欲しいと思う。女の子に慣れてたら楽しくないけど、さすがに大学生なんだし、あのすぐ赤くなる癖くらいは治っているといい。そういえば、そのほかの野球部メンバーにも、しばらく会っていない。まあ、まだ卒業して半年だ。そんなもんかな。


「近いうちに集まれたらいいな」

私が思っていたことを口にしたのは、阿部だった。驚いてまじまじと顔を見つめたら、おでこを指で弾かれる。じわじわ広がってくる痛みを手のひらで、押さえて、前に向き直った。ちょうど私たちが降りる駅の、ふたつ前の駅に停車したところだった。


「なんだよ」
「いやあ、私も同じこと考えてたから」
「だからって、そんな見んな」「はいはい」


照れてんだろうなあ。阿部って意外とそういうツボが浅いから、可愛いと思う。怒られたくないからと、阿部ではなく、向かいの駅のホームに目をむけながら、誰はどうなっているとか、そんな予想をたてて話した。誰に彼女がいて、合コン行ってそうなのは誰、とか。くだらない話の途中、阿部は何度か黙りかけていたので、どうしたのか問いかけてみた。



「…田島、にも一応声かけるけど」


発車のベルが鳴る。やけにうるさく感じたのは、急に阿部があんなこと言うからだ、きっと。

「うん。私は大丈夫」

本当は、心臓が締め付けられて、身体の奥につんとした痛みがはしった。でも、知らないふりをして、頷く。もう終わったこと。それなのに、そう遠くないうちに、何かが変わる予感がする。

夏は、まだ終わっていなかったんだ。

20100912
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