「お疲れさま」
「悪い、負けた」


顔を上げた田島の表情は、予想外のものだった。目の縁いっぱいに溜め込んだ涙も、下唇を噛む仕草も、初めて見た。あの田島が、泣いている。まだあと一年あるじゃない、と声をかけたかったけれど、何も言うことが出来なかった。いつもは騒がしい学校のグラウンドに響くのは、蝉の声だけで、田島だけがはっきり映り込むふたりだけの世界。こんなに息が苦しいのに、私は何もできない。


「甲子園連れて行くって言ったのに」


そのときの言葉は、どんな雑誌のどんな評価より頼もしくて、一年前に逃した夢が叶うような気がしていた。私だけじゃなく、田島も、野球部のみんなも、誰もがそう同じ気持ちだったと思う。あの言葉は、今でもとけない魔法のように、私の気持ちに絡みついてほどけない。本当に最後の最後で、交わした約束が淡いオレンジに溶けて消えた。喜ぶ相手校の選手たち。今でも思い出すと、胸がえぐれるように痛む。あそこで笑うのは、田島たちじゃないんだ。見慣れないユニフォームが踊るのを、私はフェンスから少し離れた場所から見ていた。そのとき周りで飛び交った言葉が、何なのかは分からない。ただ、頭の中で響くのは、あの田島の声。甲子園って、ほんとに遠いね。


夕焼けの空が影を伸ばす。オレンジ色とか、少しぬるい風も、どうぞ泣いてくださいとばかりに、私を包んでくる。でも、意地でも泣くもんかと、強く手を握った。泣きたいのは私じゃない、田島の方だ。


「だったら、」


もう繰り返したくない。悔しいのも、苦しいのも、今年でさよならしよう。


「連れて行ってよ、甲子園」
「でも、俺約束守れなかった、し」


田島の言葉は、まるで魔法のようだけど、魔法つかいなんかじゃなくて、普通の男の子だ。約束なんか、破ったっていいよ。何度でも私は繋ぎ直すから。笑って、言ってほしい。


「来年待ってるから」


約束、と小指を差し出すと、少しだけ驚いた顔をされた。泣きたいけど、泣かない。だって、田島が言うんだもん。泣いたら悔しさ忘れちゃうんだって。指を絡める前、田島は肩で鼻のあたりを拭った。それは、汗かもしれないし、涙かもしれない。でも、そんなことは、今の私たちには関係ない。私の頬を伝うのも、汗だといいなあ。


いつもみたいに笑った瞳が、あの日より強く光ったのを感じて、また夏が始まったと胸が騒がしくなった。



(20100810)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -