「まだ泣いてんの?大丈夫か?」


顔を上げたら、すっかり日は落ちていて、薄紫の空が広がっていた。涙はすっかり乾いていたけれど、泉の言葉にまた泣きそうになる。こんなに人の優しさが痛いだなんて、私相当弱ってるんだな。でも、泉だから、なのかも。こんな苦しくなる理由。唇に張り付いていた髪を、指ですくって、笑顔を向けた。


「もう泣いてない」
「そう」


泉はそれだけ言うと、くるりと背中を向けて、自分の机の中をごそごそと漁った。忘れ物?と聞くと、まあ、とか素っ気ない返事が返ってくる。こんな静かな教室に2人きり。それでもお互いの話が続かないのは、泉が私に気をつかってくれているからだ。きっと。彼氏と別れた、なんて言ったら、あいつのことだ。私が振られたと思っているに違いない。だって、あんなに泣いてたんだし。知らなかった、別れを告げることがこんなにつらいなんて。




彼は、何も悪くなかった。私にはもったいないくらい優しかったし、何でも一生懸命な人だった。そういうところが好きだった。私たちは、本当にしあわせだったし、ずっとこれからも続いていくと思っていた。それなのに。いつからか、私の中での泉の存在がすごく大きくなっていった。口が悪くても、泉と話がしたい。例え、優しい彼からの誘いを断ってでも。それが、別れを決めた何よりの理由だった。もっと早く気づいていたら、私も彼もこんな気持ちにはならなかったんだろうと思うと、それが悔しい。最後に見た寂しそうに笑う顔が、頭を離れないよ。


「俺帰るけど、まだここいんの?」
「ううん、帰る」
「じゃあ、行くぞ」


薄暗い教室のドアに、泉がもたれかかっている。こういうときに、何気なく優しさを見せられたら、余計好きになってしまう。泉に、甘えてしまいたくなる。その気持ちを抑えながら、ぎこちなく隣に並ぶ。月が欠けながらも、やさしく廊下を照らしていた。あ、泣きそうだ、私。


「お前振られたわけじゃないんだってな」
「え、な、なんで知ってるの…?」
「秘密だぞ!ゲンミツに!って言われた」


田島かあ、と思うと何となく怒る気にもなれなくて、軽く笑ってみせた。


「あ、あのさあ。泉は、意外と優しいとこあるよね」
「は?」
「気の遣い方が上手いっていうかさ」
「はあ……」
「それは、友達だから?それとも私だから?」


賭け、だった。友達だからって言ってくれたら。少なくとも今は、泉のことそういう風に見なくて済む。だいたい別れてすぐふらふらなんて、人としてどうかと思うし。なんて、綺麗事を並べてみても、心のどこかで期待している自分がいたりして。人間なんか、思うより立派には出来ていないのだ。


「何言ってんだよ」


はあ、と大きなため息をついたあと、泉が立ち止まった。私も同じように立ち止まる。やっぱりさっきの取り消そうかな、とも思ったけれど、一瞬で目の前が真っ暗になって、言いかけた言葉を飲み込んでしまった。あったかい泉の空気が、私の周りいっぱいに広がる。すぐそばの泉は、いつもの泉より、とても大きく感じる。こんなんじゃ、もう、後戻りできないよ。


「お前ずりーよ」
「な、何が…?」
「人が我慢してたのに、勝手に振り回して、その気にさせて。マジ最悪」


え、最悪っていうのは、悪い意味じゃないんだよね、たぶん…。いいんだよ、ね。「最悪」の真意を確かめたくて、少し身体を離そうとしてみる(顔にすぐ出るからね)。でも、鍛えられた泉の腕には敵うわけがなくて、またさっきの距離に戻ってしまった。



「あーもう!知らねえ!


まるでメリーゴーランドみたいに、ゆっくり世界が回る。泉と初めて重ねた唇は、ぶっきらぼうな言葉とは違って、やさしくて少しだけ切ない。すぐそこにある呼吸に、目一杯すがりつきたくなる。泉が、ときどき耳元で囁く「好き」という声は、今まで聞いたことがないくらい甘くて、目眩がしそうだった。


20100706
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