偉人はこう説く。天罰は下る。受け入れなければならない。
俺はこう思う。天罰なんてものはいつ下るかわからない。不運と天罰の違いって何だ?



トロヴァトーレの花




ジーン・ケリーの映画に出てきそうなレインコートを身に纏った女が、長めの袖から覗く細い指を小振りに動かして手招きする。彼女の片手にはミュージカルのチラシ、腰にぶら下げているポシェットからはチケットのようなものがはみ出している。俺は苦笑を浮かべて首を振った。女は肩をすくめ、別の男に向かって同じように手招きをした。
後頭部のあたりに手をあててテンガロンハットのつばをずらすと、劇場の全容を見ることができた。建築物自体は素晴らしい。しかし俺にはこんな趣味はない。きれいに整えられた街路を、磨かれたハイヒールを履いた女のきれいな足が闊歩するような街に俺は興味なんてないのだ。
土のにおいが懐かしい。そのにおいを思いだそうと鼻から大きく息を吸えば、雨のにおいだけが感じられた。強いにおいだ。コーヒーショップやバーから流れ出る香りをすべて打ち消してしまうくらいには。


街灯が灯り始めている。
街灯の光に照らされる小雨の粒とはきれいなものだ。俺はちょっと満足する。小さな物事に心を動かされてこそ、旅をしている甲斐があるというものだ。有名建築や誰もが感動する壮大な自然を感じるだけなら、旅行者にだってできる。俺みたいな放浪者は、日常に何かを感じてこそ移動している意味がある。

メインストリートと裏路地の境になるコーナーの壁に背を預け、煙草を吸った。白い煙を吐き出しながら、さてどうしようかと考える。
とりあえず腹が減ったなあと立ち並ぶ店の看板を流し見ていると、知った顔がこちらに向かって手を振った。

「…サッチ?」

両手をポケットに突っ込んだまま、スキップするような軽い足取りで車の間を縫って道路を横断する男は、さすが都会に慣れている。
俺を街まで送ってくれた男だった。ヒッチハイクをしたのだ。名をサッチと言った。彼についてはそれしか知らない。

「よお、エース。なんだ、行くとこ決まんねえのか」

「…サッチ、あんたつけてたな」

「よくおわかりで」

紳士ぶって片手を胸にあててお辞儀をするサッチに鼻を鳴らすと、彼は俺の指から煙草を抜き取って自分の口に運んだ。車を降りる際に彼からもらったものだったので、まあいいかと手持ちぶさたになった右手をポケットに突っ込んだ。

「何の用だよ?俺は面倒事はごめんだぜ」

「なあに、別にお前に用があるとかそんなんじゃねえ。ただ、興味あんだろ?」

「何に?」

「放浪者の生活ってやつ?」

全身を白い服でまとめた男にまともな奴はいない。けれどサッチは2時間のドライブを楽しいものにしてくれたし、俺の素性には触れないでいてくれた。いい男だ。しかし嘘をついている。

「あんただって流れ者のくせに」

顎を引いてそう言ってやると、サッチは目を見開いて驚いたように固まった。煙草の灰が散る。

「…何でわかる?」

「え?いや、だって、この街の生まれには見えねえから」

サッチがあまりに驚いているのでなんだか余計なことを言ってしまった気になってくる。その後ろめたさをごまかすように鼻をかくと、小雨にあたっていたせいで指先はびしょびしょだった。服もすっかり水分を吸って変色してしまっている。
俺はさりげなく視線を流して屋根を探す。レインコートのチケット売りが立っている場所が唯一屋根らしきものに守られている場所だった。俺は諦めた。

「それにしても、おまえびしょびしょだなあ。俺ん家来るか?」

「あぁ?いやいやお気遣いなく。これ以上世話になる気もうさんくせえおっさんの家に連れ込まれる気もねえ」

「エースてめえ本当にかわいくねえな」

男がかわいい必要があるか?と両手を広げて首を傾げれば、サッチは半笑いでため息を吐いた。
昔は俺も、あまり人間を信用していなかったものだ。しかしこうして旅を続けるうちに、本能的に敵と味方がわかるようになってしまった。これが良いことなのかはわからない。人を見る目が養われると、その分隙だって生まれてしまうし、何よりも甘えが出てくる。それだけはいけない、と俺は拳を握りしめる。
うさんくさくはあるがサッチが純粋な厚意を持っているのはわかっている。だけど俺はそれに甘えたくはなかった。

「ま、それじゃ1時間だけくれよ。いいだろ?待ち合わせをしてんだが、まだ早くて暇なんだよ。付き合え」

俺は帽子のつばをつまみ、それを上下させることでオーケーのあいさつをした。サッチは笑った。

「なんだその合図、やけにクールじゃねえか」

「だろ?夏に滞在してた町で覚えたんだよ」

待ち合わせ場所だというコーヒーショップに向かう途中、サッチは足元も見ずに器用に水たまりを避けた。それもクールだ、と俺は思った。









11.02.10




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