いつもあんなに暴れていたエースがやけにおとなしいので、サッチもつられたのか黙りこくってしまい、助けを求めるようにこちらを盗み見た。俺は眉を上げて大げさに肩をすくめる。サッチも肩をすくめて、諦めたようにエースに視線を戻した。前を歩くエースは一度も振り返らない。
エースの背から伝わる緊張は彼の背中を小さく見せた。口に出せば怒られるだろうが、その背の小ささは彼を守ってやらなければという庇護欲を存分に掻き立てる。俺は見ていられなくなって歩調を早め、エースに追いつくとその髪を掻き撫でた。エースの表情は堅いままだった。
先ほどまでの穏やかな空気が嘘みたいに、冷たい夜を運ぶ風が肌に痛みを感じさせる。暗くなってきたなと思ったら、日が落ちるのはあっという間だ。俺は明るいうちに彼にそれを見せてやりたかったので、急かすみたいにその腕を掴みぐいと引いた。

「うわ、マルコ、待てって。引っ張んなよ」

「うるせえよい。ちんたら歩いてんじゃねえ」

傍観に徹していたサッチを顎で呼び寄せると、彼は両手を胸の前に突き出して慌てて拒否していたが、エースの無防備な右手を指し示せば楽しそうな笑顔を浮かべて駆け寄って来る。

「おい!なんだよサッチ!」

「いいじゃねえか。っておい、暴れるなって!なんでマルコはいいのに俺は駄目なんだよエースくん」

必死にサッチに握られた右手を振りほどこうと暴れていたエースはとたんに気まずそうに動きを止めて、顔を赤くした。

「はっはっはっは」

「うはは、照れちゃって、もう、うぶだなあお前!」

「うるっせえ!なんなんだよあんたら!おい、うるせえっつってんだろ!笑ってんじゃねえ!」

腹が立つ、そう言って唇を曲げたエースの体はもう小さくはない。立派な男の体だ。そう思った瞬間、たいして体格の変わらないがたいの良い男が3人手をつないで歩くさまは恐ろしいと思ったが、そのうちのひとりがエースならば問題はないようにも思えた。欲目だろうか。まあそれでもいい。

サッチがかけ声をかけると、作業をしていた数人の男たちは片づけを始めた。彼はなめられがちだがやはり立派な隊長なのだ。笑顔を浮かべて、何か言いたくて仕方がないというような顔でちらちらとこちらの様子を伺っていたが、いつの間にかサッチの手を振りほどくことに成功したエースが俺と繋がれたままの左手を隠すみたいにして男たちを睨みつけると、仕方がなさそうに肩をおとして視線を外す。

「威嚇すんじゃねえよい。みんな怯えてんじゃねえか」

「どこがだよ!おもしろがってんじゃねえか!なんなんだよ、こんなの俺、どんな顔してたらいいかわかんねえじゃねえかよ」

エースが本気で困ったような顔をするので頬にキスをしようとしたら思い切り顔面を押し返された。そうは言いつつも、エースの視線は彼の城に釘付けで、おもしろくないくらいに俺を見ようともしなかった。道具を抱えた男たちが車のほうへ歩き出すのを見送って、エースはようやく唇をうれしそうに歪ませた。
俺の記憶にある空き家は20年も前のものだけれど、それはやはりこんなふうにしっかりと屋根があって、雑草にまみれず蔓にも巻かれず、その趣のある壁を燦々とした太陽のもと輝かせていた。エースの年齢を考えれば、きっと彼が住んでいた頃はこんなかんじだったのだろう。きれいすぎず、かと言ってとても寝ることなどできないほどに荒れ果てもせず。作業途中のその家はまだとてもきれいとは呼べない有様であるけれど、それを見つめるエースの瞳はひどく懐かしそうだった。

「なあ、マルコ!俺も帰ったほうがいいの?」

「おう、さっさと帰れよい!」

大きな声に負けじと叫べば遠くでサッチが悪態をつくのがわかった。エースは声を出して笑う。

「エース!おまえ、明日はちゃんと顔見せろよな!」

「ありがとう、サッチ!」

エースは満面の笑みでそう叫んだ。サッチは大げさにその体を揺らして、しばらくこちらを見つめたあとゆっくりと車に乗り込んでいく。その表情までは見えなかったが、きっとにっこり笑っていることだろう。


車が行ってしまうと、俺とエースは手をつないだまま残りの坂をおりた。視界に問題が生じるほどではないがやはり少々薄暗くなってきた庭を、彼らが置いていったランプが照らす。その光景はおそらく普通に見たら相当不気味なものだったが、俺たちにはとても美しく見えた。
エースはしばらく庭をうろうろしていた。俺は崩れた塀の一部がちょうどいい高さだったので、そこに腰掛けて煙草を吸いながら、エースがうろうろしているのを眺めた。雑草は茂ったままで、茶色く荒廃とした雰囲気を助長させていたが、それは春がくればきれいに色づくのだろう。外科医の不思議な裏庭のように。
しばらくするとエースがちょこちょこと寄ってきて、俺の足下にしゃがみこんだ。

「サボの墓はあそこにする」

エースが指さした先は、この庭で俺とエースがはち合わせたとき、ちょうど俺が立っていた場所だった。

「そうかい」

「うん」

ぶらりと垂らした俺の足に寄りかかるエースの体温が心地良い。どうしようもなく愛おしかった。彼に触れたかったが、身をかがめても俺の手はエースの体まで届きそうになかったので諦めた。
俺は春が訪れたとき、この場所がどうなっているかを想像した。青々と茂る草木、ちゃんと世話をすれば果実を実らせるであろう果樹、隠れ家のような背徳的な高揚をうかがわせる石垣は、きっとこのままでいいだろう。家の中はまだうまく想像ができない。大きなランプの照らす明るい俺の部屋に立つエースを思い浮かべる。それはそれでよかったが、昨夜の、小さなランプひとつの暗い部屋に浮かび上がるエースの姿も好きだと思った。

「家の中を見るのがちょっともったいねえな」

とエースは言った。言葉通り、しゃがみこんだまままだ動く気はないようだった。じっと家を見つめるエースは、俺と同じようにこの先この家がどうなるのかを想像しているのかもしれない。

「でも、ひとりにはちょっと大きいかな」

「そんなことはねえだろい。おまえには仕事がある」

「おお。仕事部屋か。なんかかっこいいな」

エースははにかむように笑った。冬の終わりを告げるような笑顔だった。

「俺の居場所もあると嬉しいんだが」

塀を降り、エースの隣にしゃがみこむ。彼の顔をのぞきこむように首を傾げると、エースは一瞬驚いたような顔をして、ひととおり視線を泳がせたあと近すぎた距離を調整するように体を動かした。頬を撫でると、うっとりと目を細める。俺の手はひどく冷たかっただろうが、エースの頬もずいぶんと冷たくなっていた。

「大きいベッドを買うよ。春の間、マルコが好きなだけ蝶を追っかけられるように」

「そりゃあ…いいな」

想像して、しみじみとそう言えば、エースは大きな声で笑う。よく笑ってくれるようになった。彼はほんとうに楽しそうに笑うので、普段あまりつられて笑うことなどない俺でもやはりつられてしまうのだった。

「俺の家はオヤジのところで、そこを離れる気はまるで無えが…春はここに住むってのも、悪くねえよい。昼は好きなだけ蝶を追っかけて、夜は好きなだけお前を抱く」

「最低。仕事しろよ」

「夢くらい見させろよい。…さて、エース、現実的な話だが」

「ん?」

額をはたいたその手をそのまま髪に滑らせると、痛いとぶすくれたエースは素直に顔をあげて疑問符を飛ばした瞳で俺を見た。

「2番隊の隊長部屋が空き部屋だ」

途端にエースは普段鋭さの目立つ目玉をまんまるにして呆然と俺を見つめた後、激しく眉間に皺を寄せた。俺はとっさに彼の肩を掴む。今までの経験からして、隙を見せたらエースは逃げてしまうことを俺は知っていた。

「あんたがそんな馬鹿だとは思わなかった」

その顔は嫌悪に歪んでいたが、その声に滲む震えは怒りから来るものではなく、無理矢理に喉を走らせた声の生理現象のようなものだった。からからに喉がかわいているときに出した第一声に混じる、つっかえたような震えの響き。

「何もおまえを隊長にしようってんじゃねえよい。慣れるまで一人部屋をやるから、仲間にならねえかってことだ」

「なるわけねえだろ。あんたが言ったんだ。俺には仕事がある」

エースは表情を一変させて、得意げに笑った。あんたが惚れたのはこういう俺だろ?と見せつけるみたいに。正直言って憎たらしいが、その憎たらしい表情がもっともエースをエースらしく見せるのだった。

「でもあんたには感謝してるし、あんたの仲間にも感謝してるし、ちゃんと会いに行くよ。明日は挨拶をする」

優しげに家を眺めるエースの横顔に、俺は何も言えなくなった。彼のその横顔は、この話は彼の中で既に完結した物事であることを如実に語っている。ため息を吐くと、エースも小さく息を吐いた。
まるで世間知らずのくせに、俺が本気で勧誘しているわけでも彼との関係を急いでいるわけでもないことをきちんとわかっているのだ。わかりにくい冗談をわかりにくい冗談で返してくる人間とはなかなかに恐ろしいものである。普段は素直なくせに裏を読ませないところがあるからどうにもペースを乱されてしまう。やっぱりこいつは面倒くさい男だ。俺は緩く首を振って、がちがち歯を鳴らした。エースはやはりこちらを見なかったが、笑いを堪えるみたいに頬袋をちょっぴり膨張させた。

「エース、おまえは幸せか?」

「どうかな。俺が望んでいたのとはやっぱりちょっと違うから、よくわかんねえな」

俺の問いにエースは悩むこともなく素早く返す。表情はやわらかかったが、幼いそばかすの散るその頬には微かな緊張が走っていた。

「でも、やっとサボの墓をつくれるし、あんたが隣にいるから、俺は嬉しいよ」

単純で幼稚な言葉なのに、その言葉はとても甘美なもののように聞こえた。
冬が終われば春が来る。
一面に蝶が舞うその季節を俺は愛していたが、きっとこれからも愛するだろう。きっとこれから毎年この季節、美しく蝶たちが舞うだろうこの彼の城で、皮膚にしみついたかぐわしいにおいを放つ彼を腕に抱いたまま春光に目覚めるのだ。




冬の蝶





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