暗くなるまで眠ったというのに食事をしたらやっぱり眠くて、マルコも疲れていたのだろう、ふたりともふつうに眠ってしまった。寒かったので、ベッドのマットレスとシーツをすべて床におろしてくっついて眠った。うたた寝ならまだしも、しっかりと眠るとなれば男ふたりの体格に俺のベッドは耐えきれないだろう。セックスの後だって、俺はベッドから落ちて起きたのだ。
今度はマルコの方が先に起きていた。ずいぶんと早起きだ。彼は絶対に言わないけれど、おそらく寒すぎてよく眠れなかったに違いない。おととい泊めた姐さんもそう言っていたから。

風が強く吹いていた。布でいくら拭いてもぴかぴかにならない窓ガラスが怪物が襲ってくる前触れのような不吉な音を立てている。
マルコはひたすら家の中を眺めたり外に出てみたり、きょろきょろ、うろうろしていた。落ち着かないその様子がかわいく見えてしまって、俺はつい笑ってしまいそうになるのを堪えるように毛布を口元まで引き上げる。じっとマルコを見ていると目が合った。彼は一度流しそうになった視線をすこし驚いたみたいに慌てて俺に戻す。

「おい、見てんじゃねえよい」

「あんたも昨日同じことをしていたくせに」

勢いよく毛布を捲って状態を起こすと、彼は寝起きがいいなと呟いて椅子に座り、俺から視線を外さないまま頬杖をつく。ソファに放ってあったブランケットを肩から掛けて、棚に置いてあったバスケットをテーブルに置くとマルコの目が嬉しそうに細められた。

「朝飯。バターを切らしてるんだけど、チーズならある」

バケットをつかみ上げてその下に隠れていたチーズを取り出すと、マルコは両手の小指をくっつけて手のひらを差し出すちょうだいのジェスチャーをした。俺は小さく笑ってその大きな手にフルーツナイフとチーズの塊を乗せてやる。

「コーヒーいれてくるから、先に食ってていいぜ」

人差し指と中指の先で軽くマルコの肩に触れ、その横を過ぎる。俺の指先には確かに現実が宿っていた。感じた微かな体温を、身に纏う服のその感触を逃さないように拳を握り、肩からずり落ちたブランケットをかけ直す。足で薪を寄せてそこにしゃがみこむと、無言でマルコが俺を追い越した。

「マルコ?」

「なんだよい」

「寒いだろ。中にいろって」

「いや」

肩を抱くようなポーズをとっているマルコは見るからに寒そうなのに、彼はただ突っ立って煙草を吸った。これはきっと俺に気を遣ってくれているのだろうとわかったけれど、理由を語らない彼にそれを尋ねたら台無しになってしまう気がして、俺は黙って水が沸騰するのを待つしかなかった。

「中にいるより火の側にいるほうがあったけえじゃねえか。狡いなお前」

「なんでだよ!あんたのためにやってんだろ!」

「ははっ」

マルコは口の端に煙草をくわえたままで器用に笑った。その後じっと俺に視線を注いでいるのがわかったが、なんとなくめんどうくさかったので無視しているとこめかみにキスがおりてくる。触れているだけなのだけれど、長いキスだった。

「おい、やめろよ。俺、そういう甘ったるいの似合わねえ」

「いいじゃねえか。してえんだ」

唇を落としたあたりの髪をくしゃくしゃと握り込むように撫でるマルコに抵抗する術は、視線を合わせないことくらいのものだった。しかしどうしたって視界に入ってくるマルコの顔は正面から見据えなくても微笑んでいるのがわかってしまって、唇を歪めていたのだけれど、やっぱり耐えきれなくてつられてちょっぴり微笑んでしまったところを見咎められて悔しくなる。

コーヒーができると、マルコの希望で結局火を囲んで外でパンをかじることになった。風は強いが、ここに住み始めて一週間も経つ頃には火が風を受けにくい安全な配置がわかったし、雨の日でも濡れずに済む、屋根代わりの葉が特に厚い場所も把握していた。このあたりの木は冬でもほとんど葉が散らない。なんという木なのだろうとたまに考えもしたが、香りの立たない植物には結局たいした興味がないのだった。



「ちょっと風が強すぎるかな」

「無理そうかい」

「いや、逆に場所が絞られるから、手間がはぶける」

長いコートにトランクを持ったマルコは、忘れたものがないか確かめるように振り返って部屋の中にまんべんなく視線を巡らせた。今夜ここへ帰っても彼はいないのだ。
マルコはこの先を望む言葉を何度もくれたけれど、それでもまだ完全には信じられないと言ったらマルコは怒るだろう。しかし人間というのはある程度、他人や物事を疑うようにできている。犬だって人間を疑いの眼差しで見るのだ。人間が人間を見るならなおさらのこと。
俺はたっぷり水の入ったボトルを鞄に入れて肩に背負った。



「空き屋の話をしよう」

湖まで山を一度おりることを説明すると、マルコはおとなしく一歩後ろをついてきた。隣に並ばないのがすこし寂しいと思ったが、そもそもこんな獣道では横並びになるほうが難しかった。いちいち振り向くのもめんどうくさいので俺はほとんど無言になり、俺が無言ならマルコも何も言わなかった。
湖に着くとマルコは俺の横に並んだ。ここからどっちに行くんだと俺のようすを伺っているのがわかる。彼の気が急いているのを知っていながら、俺は笑顔で先ほどの言葉を口にしたのだった。

「俺たちが偶然会ったあの庭のことかい」

「そうだ。俺10年前までそこに住んでたんだ」

マルコは顎を掻きながら右目を細め、俺を見た。

「俺の記憶だとあそこは20年前から廃屋のはずだが」

「うん。でも住めた。今はもう住めそうにねえけど、10年前はまだ住めたんだ」

「そういうことじゃあねえだろい。まあ、今更10歳のおまえに社会の制度ってもんを説教しても仕方ねえ」

マルコは指先で軽く俺の額を叩いてため息をついた。俺は笑って、ゆっくりと歩き出す。まだ日はずいぶんと高い。急ぐことはない。
マルコが煙草に火をつけるため立ち止まると、俺も立ち止まって湖を眺めた。秋には波打ち際が落ち葉でいっぱいになる岸沿いも今は寂しく、海ほどの勢いがない静かでおざなりなかんじのする波音を立てるだけだ。

「同居人はサボという名の男」

「サボ」

マルコはぽつりと呟いた。サボの名を口にするその声には疑問も、言いよどむかんじも、理解したような高揚も感じられない。ただ確認のために繰り返した、といういかにも事務的な響きだけが乗っていた。

「あんたなら、知ってるんじゃないかな。街の貴族の…」

俺は足をいっぱいに伸ばし、ブーツの踵で地面にスペルを描いた。サボはこの名を嫌っていて、二度と口にするなと言った。だから俺は決してこれを口にしないのだ。これはサボの名前なんかではなく、ただの呪いの記号でしかない。
マルコは思い当たったように表情を動かしたが、すぐに怪訝な顔をして、唇の端に親指をあてる。

「確かに、知っちゃあいるけどよい、息子は確か…」

マルコははっきりと口にしていいものかどうか悩むみたいに語尾を伸ばしていたが、ぷつんとやめて口を閉じた。彼を見つめると、マルコは眉を下げて小さく微笑み、頭をくしゃくしゃと撫でてつむじにキスをした。最後に耳を手の甲でぺんぺん叩き、再び煙草を吸い始める。

「遺体はあがってねえんだ。だからサボに墓はない」

マルコはもうだいたいわかった、っていうみたいに、また頭を数度叩いた。
俺は幼き日を過ごしたあの家にサボの墓を建ててやりたいだけではない。もちろんそれは最大の目標できっかけであるし、俺はそのために貧しい生活に耐えてきたのだ。しかしそれとはまた別に、俺もそこで幸せになりたかった。塀の苔のにおいを、青青と茂った草花に乗る朝露の香りを、誰かと共有したかった。
ひとりでいることにはすこし疲れてしまった。素晴らしいものを見つけるたびに、「誰か」を求めるように肺がうずく。ヤニ切れのような、どうしようもない焦燥感に襲われる。

もし叶ったら、俺は泣くだろうか。





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