慰めるみたいにマルコの背をさすると、彼は俺の体に押しつけていた顔を話した。鼻が鳴る。甘えているようで恥ずかしかったのかもしれない。俺はここには他に誰もいないから、と諭すように彼の背を撫で続け、少々体勢に無理があったけれどがんばってその肩に口付けた。マルコが俺の肩に唇を押しつけたのを真似するみたいに。
俺はマルコの言葉で彼を傷つけたことに初めて気が付いたが、どうしようもなかったので、ひたすら痛む首を無理に曲げながら彼の体にキスをすることしかできなかった。どうすればいいのかわからなかったのだ。マルコのキスはいつも何よりも俺に安心をくれるから、俺のキスもそうなればいいと願う。

互いにこのあとどうしたらいいのかわからずに、状況に収拾がつかなくなってきた頃、マルコがくしゃみをした。

「俺の服に唾飛ばすなよ」

「いいじゃねえか。もともと汚い」

彼の頭を平手で叩くと、マルコは鼻をすすりながらもぞもぞと俺の腕から抜け出した。寒い、と小さく呟いて髪の生え際をさするように掻いていたが、俺と目を合わせないことでやはり彼も少々ばつが悪いと思っていることが伺えた。

「あー…マルコ。その、俺はこの後どうすりゃいいんだ」

「俺が聞きてえよい」

マルコは大きなあくびをしたが、その目元はもともとくぼんでいるせいで、目の下が他の部位より色濃く感じるのはくぼんでいるためにできる日の陰なのか、それとも隈なのか、まったく判別がつかなかった。ほんのすこしの常との異常に気がつけるほど、俺は彼と過ごした時間は長くはなかった。

「疲れてるのか」

眠れなかったのか、とは聞けなかった。しかしこう聞けば、それは仕事のことを言っていると逃げることができると思った。
マルコは唇を開き、その瞬間歯にあたった粘膜が舌打ちのような音を立てる。
その後の沈黙が少々長く感じたので、俺は伺うみたいに亀のように首をすぼめてみた。俺を横目で見たマルコは指の腹で鼻の下を掻き、湖に視線を移したかと思うと、手で片目を覆った。

「普段はこんなこと、なんともなしに言えるんだがなあ。おまえは俺の体温は自分を変にする、って言ったが、おまえも俺を変にする」

俺から見て今のマルコがどうおかしいのかよくわからなかったので、ふうん、と気のない返事をすると鋭い視線が返ってきた。俺は眉を上げて肩の高さで両手を広げる。マルコは表情を変えぬまま口だけを開いて器用にため息を吐いた。ため息を吐くとき、大抵表情は少々情けないものに変わるものだが彼は相変わらず俺を睨んでいる。

「おまえと会えるのが最後かもしれないのに、眠るなんてできるわけがねえだろうよい」

俺は嬉しくて緩んだ口元を隠すように頬杖をつき、またマルコとの距離をつめた。お話聞きますよ、っていうみたいに。

「それで?眠らずに何をしてた?」

マルコは明らかにそこをつっこむのか、と嫌そうな顔をした。からかうようにマルコの毛先をつまむようにいじると結構な力で振り払われた。機嫌を損ねてしまったかなとほんの少し不安になったが、急に冷たい風が吹いたので、寒さに気を取られてどうでもよくなった。

「おまえを逃がさないために」

「俺を逃がさないために?」

「ああ、もういいだろうが。そんなに情けねえ俺が見てえのか」

荒い声を上げたと思うと、マルコは勢いよく唇にキスをした。鼻から荒い息が漏れるような、美しくない、本能的なキス。俺は何も考えられなくなってしまう。不安定な丸太に座っているのがつらくなってきて、ふたりで滑るようにして地面に直に体をつけた。背もたれ代わりになった丸太からは苔のにおいがした。丸太のすぐ下の地面はまだ濡れていて、思わずそこに手をついてしまった俺の左手は泥だらけだ。何も考えられはしないけれどとりあえず自分の手が汚いことはわかったので、その手は丸太に置いたのだが、すぐにマルコの右手に捕まってしまった。マルコは服が汚れるのも厭わずに、掴んだ俺の手を自分の首のあたりに押しつける。俺は理性を飛ばして、汚れた手で必死にマルコの背中を掻き抱いた。

「エース」

「ん?」

「おまえの家、近えんだろう」

「近い、けど…暗くなったら、蝶が」

「明日は無いのか」

俺は彼の言葉の真意を探るため、マルコの顔を見ようと肩に手を置いて距離を取ろうとしたが、すぐに強い力で抱き寄せられてしまったので彼の表情を伺うことはできなかった。
彼の手と肩のあたりは泥で汚れているからそのあたりに顔を押しつけられている俺はたいへん泥臭かったし、顔についた泥が乾き始めているのがわかった。まばたきをすると頬の皮が引っ張られるようなかんじがする。
マルコの手が俺の首のあたりの髪を撫でる。おいその手泥だらけの方じゃあねえだろうなと思うだけの余裕ができると、深く息を吐いた。思い切り吸うと、泥のにおいに混ざって彼のにおいを感じることができた。彼の部屋のにおいだ。俺はマルコにあげた香水を彼が使っていないことに少々落胆したが、当然だと気を持ち直した。使ってほしくて彼に渡したわけではない。

「明日も、あるんだろ」

囁くように耳元で呟かれたその言葉に誘惑の色は一切なく、むしろ懇願に近い、縋るような声色だった。俺がすぐに返事をしないでいると、イエスと言うまで離さないっていうふうにぎゅうぎゅうと締め付けられてしまった。
俺はどうしようもなく笑いたくなったが、先ほどマルコが俺の手を導いたように、自分の後頭部のあたりで固定されているマルコの手を取った。そのままぎゅっと握ると体を拘束する力が緩んだので、マルコの胸に手を置いて体を離す。手を繋いだまま歩き出すと、マルコは荷物を取るために一度立ち止まったがその後は素直についてきた。
無言だった。



姐さんの煙草があちらこちらに落ちている。俺はそれを知っていたが、拾うことをしなかった。俺はすっかり体が覚えているから大丈夫なのだけれど、姐さんはこの道しるべがなくては道に迷ってしまう。ビビットなローズピンクは秋冬の色味のない地面でとても頼れる存在のように見えた。
とてもよく目立つからマルコも気が付いているはずだ。姐さんがマルコに怒られなきゃいいけれど、と考えたが、別に怒られるようなことをしたわけではない。ただ隠していただけだ。俺の存在を。
ふたりとも手汗をじっとりとかいていた。いくら寒い日だとは言っても緩やかな上り坂を、それも足場の安定しない山道を歩いていれば体はぽかぽかする。
もう居場所をさらけ出すことに不安はなかった。むしろ、どこへ隠れてもマルコが見つけてくれるだろうという安心の気持ちすらあった。



訪問者なんていないから家に鍵なんてものはない。
片手で扉を押すとそれは容易に開いた。そのまま部屋の中心まで歩く。さて。ゆっくりと手を離し、マルコの方を振り向くと、いきなりベッドに押し倒される。

「えっ、マルコ、ちょっと急すぎ、」

「うるせえよい。ちんたら歩きやがって」

「はあ!?そりゃあんたが慣れない山道で大変だろうなって気遣いだろこの恩知らず!」

「よけいなお世話だっての」

「何度か濡れた木の根っこで滑りかけてたくせに!」

「うるせえっつってんだろ。おまえもう黙れ」

手で口を覆われて、噛みつくどころか唾を吐きつけることすらできやしない。俺は必死にもがいたがひっぱたこうとした手はマルコの顔の位置まで及ばず、足はマルコが乗り上げているせいで完全に押さえ込まれてしまっている。
マルコの手が俺の抵抗も厭わずに服をたくし上げたので、俺の体は見事にびくりと飛び跳ねてしまった。おおげさすぎるくらいに。
マルコはほとんど無表情で俺を見下ろし、押さえつけていたが、その瞬間ひどく困ったような顔をした。

「エース、暴れるな。悪いことしてる気になるだろい」

抵抗をやめてただマルコを見上げていると、もう大丈夫だと思ったのか、マルコはゆっくりとシーツに押しつけられてぐしゃぐしゃになった俺の髪に指を通す。俺の口に当てていた手も、名残惜しそうに指で唇を撫でるようにしながら、外してくれた。

「…あんた、焦りすぎ」

「焦りもするよい。今またおまえを逃したら、俺は次こそおまえに乱暴しちまう。これでも、傷つけたくねえと思ってんだ」

「そりゃ、困るな」

なるべくそっけなく言ったつもりだったけれど、マルコが微笑んだので、きっと俺は赤い顔をしているのだろう。
求められることがこんなに嬉しいとは思わなかった。どんな形にせよ人から求められたいと、思っていなかったわけではないけれど。しかしそれが現実に起こるということを、きっとどこかで信じられていなかったのかもしれない。
差し込む光でドアすらも開けっ放しだということに気付いたが、見なかったふりをして、マルコのシャツのボタンに手をかけた。




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