「あんたが俺の名前を呼ぶたびに、自分が変わっていくのがわかる」

マルコの太い指が俺の手の水かきをぎゅっと握るたびうっとりする。他人の指が俺の手のこんなにも奥深くに入り込んだのは初めてだ。それはとても気持ちがいい。深いキスをするときの性的な侵略や、ただ手をにぎるときの先の読めない誠実さよりもそれはずっと純粋で、堅固で、そして無意味だった。互いの皮膚は風にさらされた痩せた土壌の粉末のようにかさかさとしていたけれど、握っている間にじんわりといやらしくしっとりし、互いの息がすこしずつ荒くなるのがわかる。
マルコは目を細め、すん、と鼻を鳴らした。切なげにリズムを刻む指先は冷え切っている。俺が指をぎゅっと縮こませると彼もそれにこたえてくれる。

「あんたが恋しかった」

正直に告げれば、俺を見つめるマルコの瞳が隠そうともせず俺を愛おしいというので、もったいなくて目を閉じることができなかった。そんな俺に彼もちょっと怖気づいたみたいに一瞬動きを止めたけれど、ごくんと喉仏を主張させたかと思えば思い直したように再び顔を近づけた。マルコの瞳がそのくぼんだ瞼に隠されてしまうと、自然と俺も目を閉じていた。
何をされてもいいように薄く唇を開いていたけれどマルコはそこへは入り込んで来ず、優しく唇を押し付けたり、下唇のいちばん肉の厚い部分を食んだり、口角を舐めたりした。泣いてしまうのではないかと錯覚するくらいに優しいキスだった。
組んだ手を離そうとはしなかったが、あいた手でしきりに俺の背を愛撫する。コートの上からであるにも関わらず、まるで裸の肌を撫でられているようなかんじがした。目をつぶったままマルコの胸を撫でれば、彼もまたずんぐりと着込んでいるはずなのに、彼の裸の胸を想像することができた。

「おまえだけじゃない。エース、おまえだけじゃない」

キスの合間にマルコは急いたような声で呟いた。その息遣いの生々しさが、マルコもまた俺を求めていたのだと如実に表していた。

気が付けば俺は壁に寄りかかるように座り込んでいて、マルコは俺を壁に押し付けるようにして膝を付いていた。俺は浅はかにもここがマルコの部屋だったのなら、きっと俺は毛足の長い上品な猫のような床に、もしくはライトの光で上品に光るベルベットのシーツに、この背を預けていたのだと思った。そしてもし俺の家だったのなら、朝露を夜まで残す苔くさい日の当たらぬ、しかし図太く美しく成長した雑草のふさふさとした地面に、少々かびくさい、寝返りを打つとほつれ目に足の指が引っかかってしまう中綿の潰れたシーツに、この背を埋めているだろうと思った。そして想像した。それはどちらもとても魅力的だと思った。

「俺の部屋に来るか」

俺は喉を鳴らした。ごくりと唾を飲み込むと、マルコの視線がそこに釘付けになったのがわかった。彼が何を想像しているのかはその表情から手に取るようにわかる。きっとそれは俺の仰け反る喉、そこを滑る汗、それを舐め取る彼の舌。

「やめとく」

わざと耳元で囁いてみれば、マルコはキスを深くした。びっくりして声を漏らすと、マルコは興奮したみたいに俺の髪を掴んで、前からも後ろからも彼の分厚い唇に押し付けた。俺は唇が薄いけど、舌は長いから、マルコはそっちのほうが気に入ったみたいだった。

「俺とは嫌か。そんなはずないだろ、なあ、エース」

「そんな声で言うなよ。その気になっちまう」

一年中、決して陽のあたることのない小道は錯覚を起こさせるが、意識的に理性を取り戻してみれば聞こえる活気ある喧騒や汽笛、モーター音、柑橘類のおいしそうな果汁のにおい、教会の鐘の音、映写機のようなジージーした何かの活動する音。今はまだ昼間なのだ、世界が働いている時間帯なのだ。そして俺にも仕事がある。
唇から耳に移動したマルコの唇から逃れるように身を捩り、一瞬開いた距離に無理やり制止の手を差し入れる。

「駄目なんだって。約束がある。仕事なんだよ」

「やめちまえ」

俺は呆れるより先に笑ってしまった。

「白ひげの片腕、一番隊隊長がそんな無責任なこと言うなんてな」

「幻滅したか?」

反省したようすも見せず俺のてのひらを舐める彼の額にでこぴんをかますと、彼はようやく顔をあげた。そして舌なめずり、ぺろり。まったくこの男は、どうしようもなく今は性的なことしか考えていないなと半ば呆れ始めたところで、タイミングを見計らったかのようにマルコはそろりと離れて襟を正す。巻いていたマフラーに手を差し込んで、力の象徴のような太い首に冷たい風を送り込み、そして簡単に巻きなおす。

「お前の嫌がることはしたくねえ。おとなしくしてるよい」

「はは。なんだよ、ずいぶん俺に甘いじゃねえか」

「そりゃあ、それが愛おしいっていうもんだろうが」

俺はどうしたらいいかわからなくて、マルコの顔を見つめたまま鼻をすすった。マルコは相変わらず細めた目で、じっと俺を見返している。俺は降参のポーズをとって、肩をすくめた。

「ごめん。喜び方も、照れ方もわからない」

あまい言葉を囁いても俺がこんなに無反応じゃあマルコも気分を害すだろうかととりあえず謝ってみると、彼は優しく微笑んだ。その微笑みは、人を緊張させる類の笑みだった。手の甲に浮き出た血管が熱く脈をうつのがわかり、心臓のどくんどくんとした動きが肺のあたりで感じられる。

「好きだ」

「はあ?」

「…おまえさすがにその反応はねえだろうよい」

びっくりしすぎて思わず飛び出した声ははからずも間抜けで傲慢な響きを含み、それに対するマルコの呆れ声に慌てて、俺は顔を真っ赤にする。するとそれを見たマルコが薄く唇を開いたまま、驚いたように俺を凝視した。

「な、何言ってるんだよ、だめだってそういうの、俺わかんなくて」

混乱してしどろもどろになる俺の口を止めるように、マルコの人差し指が俺の唇を押さえつける。思わず黙ってマルコを見ると、彼は自分の唇にも人差し指をあてている。シー。黙れ。そんなかんじ。

「わかってんじゃねえか」

「え?」

「照れ方」

拭うように頬を撫で、真っ赤だ、と呟くマルコは嬉しそうだった。なるほど顔を赤くすればこの男は喜ぶのか、と頭の隅で他人事のように考えながら、潮風のにおいを嗅ぐ。
マルコのくすんだ金髪に潮の香りはとても似合うと思った。この香りはどうやったら作り出せるのだろう?そう考えるのがおこがましいほど、潮の香りは潮の香りでしかなかった。作り出せるはずがない、広大な海、海を形成する海水、人々の憧れ、空の色を映した世界そのものの液体、肌を滑る浜の砂、すべてが美しい。貝殻の破片でさえも。

「何を考えてる?俺のことじゃあねえな」

顎を掴まれてはっと現実を見ると、そこにあったのは不機嫌なマルコの顔だった。

「仕事のこと」

「…てめえもう一回言ってみろ」

「痛い痛い!すいません!」

髪を引っ張られて俺は慌てて両手でマルコの手を引きはがそうとする。素直に謝れば、マルコも素直に手を離した。

「まったく、おまえ相手じゃ何言ってもムードも何も出ねえよい」

「だから俺そういうのわかんねえって言ってんだろ」

唇を尖らせると、マルコはくすりと笑ってわざとらしく突き出した唇をちょんと合わせてきた。真正面から来たものだから、鼻と鼻が密着する。マルコの鼻のあたまはとても冷たかった。

「キッドと会うんだ。キッド知ってるか?」

「ユースタス?」

「よくわかんねえ」

「なんだそれ」

口では俺と会話をしながら、その視線は逃すまいと、俺の表情や声色をいちいち探っているのがわかる。嫌な感じだ。鼻がむず痒くなる感覚に似ている。

「今夜、行くから。楽しみにしてろよ」

にっこり笑ってそう言えば、マルコの表情がまた一気に不埒なものになったので、そういう意味じゃねえよと脛を思いきり蹴り飛ばした。



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