「おまえはずるい子どもだよい」

マルコは苦笑して俺の額に手を当てた。マルコの大きい手は額だけにおさまらず、俺は半ば押されるかたちで目を細める。

「ずるくねえよ」

「よく言う」

額に当てた手で髪をすくい上げ、髪にくっついた米粒をひとつひとつ取ってくれているマルコは、取った食べかすをペーパーナプキンで拭って、また同じことを繰り返す。

「まだ終わんねえの。どんだけ米粒くっついてんだよ俺の髪」

「砂鉄くっつけた磁石みてえだぞ」

「なんだそれ。よくわかんねえけど面倒くさい」

「…おまえがその入れ墨隠して俺と10メートル以上の距離を保つってんなら俺だって放っとくよいこんなもん」

天下の白ひげ海賊団2番隊隊長が米粒だらけってんじゃあ示しがつかない、とマルコは難しい顔をして俺の髪をひとつひとつきれいにしていく。今更そんなこと言ったってこの店の客は皿に顔つっこんで眠りこけていた俺をばっちり目撃しているんだけど。外を歩くには帽子かぶるからこのままでもいいじゃねえか、とは言わないでおく。どうせ取らなきゃいけない米粒、マルコが取ってくれるっていうのなら任せておこうじゃないか。

「そういうところがちゃっかりしてるっつうんだよい」

「思考を読むなよ」

マルコは片眉をつり上げて会話を終了させると、再び作業に集中した。
仲間に髪をきれいにしてもらっている姿のほうが米粒まみれで出歩くよりも情けないとは思わないのだろうか。思わないんだろう。マルコの考えていることはよくわからない。
マルコは当然のように俺を甘やかすし、俺は当然のようにそれに甘える。ふつうだ。


マルコは一旦手を休め、ペーパーナプキンを握ったままコーヒーに口をつけた。顔を顰めるのを見て、コーヒーに火をつけてやった。ブランデー入りのそれはよく燃える。

「ありがとよい」

「いーえ」

再び熱さを取り戻したそれを今度はうまそうに飲むマルコを見て俺は笑う。彼は長い息を吐いた。

「こんなところにいたかカルガモ親子」

「サッチ」

入り口の壁に肘をついたサッチは呆れ顔で微笑んだ。明らかにずっとここにいましたと言わんばかりのそのポーズを崩し、カウンターに寄りかかるとマルコのコーヒーを一気に飲み干す。気持ちいいくらいに喉が鳴った。

「いい子だからそろそろ戻りな。航海士が貧乏ゆすりしてるぞ」

「今夜は荒れるか」

「この島は雨期だからな」

風が強い、と呟いたサッチは外を見る。誰かの帽子が窓の外を通り過ぎた。なにかの予感みたいに。

「サッチ、てめえも手伝えよい。この米粒小僧の大掃除」

「…ネコのノミ取りだなこりゃ」

「ひでえなおまえら」





店を出ると、風の強さは入る前より数倍ひどかった。湿っぽいにおいがする。道のあちこちに残った前日の雨の名残がゆらゆらと揺れ、水鏡の役割を放棄する。

「ほーれさっさと歩け末っ子」

「水樽運ぶのって普通に考えてサッチの役じゃねえ?」

「おまえ水ならこぼさねえだろい」

「マルコは味方だと思ってた」

いちばん軽い紙袋を小脇に抱えたマルコは笑ってさっさと先を行く。林檎がまんたんに詰まった木箱を抱えたサッチはときどき振り向いては野次を飛ばした。
風に煽られるので首に引っかけただけの帽子が強風の叫びを拾う。顔のすぐ後ろでごうごうと音がする。自然の音は嫌いじゃない。

「なんかマルコ、最近よく笑うなあ」

自分の耳元に響く風音のせいで自然と大きくなった俺の声を拾ったのはサッチだった。一瞬驚いたような顔を見せると、いつものしたり顔になり、俺の横に並ぶ。

「楽しいんだろ、おまえが懐いたから」

よくわからなくてサッチを見上げると、サッチはマルコとの距離を確認し、膝で支えながら木箱を片手に抱えなおした。空いた手で俺の頭をかき回す。そしてまた両手で木箱を抱えた。

「おまえが笑うとみんなが喜ぶ」

土のにおいがした。そっと足をゆるめると、路地の先に広い庭が見える。男が立てた鍬に寄りかかって笑っている。しゃがみこんだ女が両手を広げて笑っている。小さな子どもが花を持って笑っている。
見てはいけない、と俺は思う。体は素直に言うことをきく。俺の体だ。あたりまえ。
あの子どもが笑えば両親も笑う。――おまえが笑うと、みんながよろこぶ。


「忘れたとは言わせねえぞ、おまえが船に来た当初。こんなに根暗な海賊がいんのかと俺は我が目を疑ったよ」

海賊ってのは陽気なもんだろう。演技かかったようすで腕を広げたサッチは林檎をひとつ落とした。泥の上で潰れてしまったそれはもうどうしようもない。

「おい、サッチ」

「み、見てんじゃねーよマルコ…」

「ははっ。サッチ、マルコにびびってやんの」

ふと、マルコが空を見上げた。空は青い。風の強い日特有の、すこし薄く見える青色、肌を撫でるような不思議な空気、喉の乾き。きれいな青色のむこうには確かに暗雲が見えた。

「そろそろやべえな」

サッチは低い声で呟くと足を早めた。助けろよと俺は思うが、仕方なく舌打ちをして心持ち足を早める。樽の重さなんてどうということはないけれど、俺がいつものようにさくさく歩いたら水がこぼれる。水をこぼすとちいさい罪悪感に苛まれる。あれってなんでなんだろう。生命の本能かな。お水は大切に。

「何考えてる」

「どうしてこの島の奴らは水を密封してくれないんだろう」

「そりゃあ、こんな田舎じゃ遠出する奴もいねえからだろい」

「まじめに返すなよ。てきとうに言ったのに」

樽を抱え直すと、中で液体がたぷんと揺れた。それに伴って水のにおいがする。いいにおいだ。透明なにおい。サッチいわくこれは飲むための水じゃないらしいけれど、この透き通ったにおいは17まで住んでいた島の森の湧き水を彷彿とさせた。
顔を上げるとマルコと目があった。その瞬間俺は自分の頬が緩んでいたことに気付いて赤くなる。

「おまえもよく笑うようになったよい」

「なんだよ。聞こえてたのかよ」

「あの大声聞き逃すほど年老いちゃいねえぞ」

マルコは手首のスナップを利かせ、手の甲で俺の額を叩いた。痛い。

「そういう自然な顔してりゃあいいんだよい。無理に甘えようとするな。俺たちを甘やかそうなんざ10年早え」

わざとでも俺に甘えられるとうれしいくせに、とは言えなかった。そう言ったマルコの表情が、ひどく穏やかだったからだろうか。

「次からはまたちゃんと自分の顔くらい自分できれいにするからよ!」

「…歯に青海苔ついてんぞ」

呆れ顔で指をさすマルコに苦笑でごまかす。本気で甘えられる日が近いと感じたのはきっと俺だけじゃなかったはずだ。



風と足音






11.02.01

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