今回の航海に参加しなかった仲間たちの激しい歓迎は早朝からやむことはない。この家が好きだし、この町が好きだし、この仕事が好きだし、この仲間たちが好きだ。しかしさすがに13時間も騒ぎ通しでは、体力的な疲労が顔を出す。夕方ごろから中心を抜けてちまちまとのん気に酒をあおっていたが、そろそろ冷たく澄んだ空気が恋しくなった。
俺やイゾウやビスタなどの隅っこ組とオヤジやハルタやラクヨウなどの真ん中組の間を行ったり来たりしていたサッチが煙草の箱でこん、と俺の肩を叩く。目線を遣ると、ピクルスをくわえたまま顎でドアのほうを示したので、俺も眉を上げて同意を示すと腰を浮かせた。
無言のまま肩を並べて廊下を進むと、ロビーではひどく強い薔薇のにおいがした。

「どこか行くのかい」

ベイは足首まである長いアイスブルーのガウンを着込み、完全に眠る準備を済ませている。サッチが相変わらずだなと笑えば、ベイは鼻を鳴らした。煙草くささより薔薇のにおいが強く香る彼女のショッキングピンクの煙草は仲間うけが非常に悪いので、彼女はいつも喧騒から離れてそれを吸う。しかしそのスタイルはクールな彼女のスタイルに合っているように思えた。

「外の空気を吸いにな。中はひどいぜ」

「知ってるさ。だからここにいる」

「いつもだろい」

「あたしは明日が早いんだよ。ジンベエのところに行くからね」

ここら一帯の土地は白ひげの管轄だけれど、湖のあたりはむかしからずっとジンベエの土地だった。そこにはかんたんな鉱物が採れる、鉱山と呼ぶにはおおげさな洞窟のようなものがあって、俺たちはそこで採鉱させてもらっている。それを取り仕切っているのがベイだ。彼女にはそれだけの能力がある。

「ジンベエの湖か。俺も行くよい」

「起きれんのか」

「うるせえ、サッチ。こんだけ騒いどいて起きられるわけねえだろ。そんな朝っぱらから行かねえよい。ベイ、ジンベエに久しぶりに昼飯でもどうかと伝えておいてくれ」

ベイは無言で薔薇の息を吐き、その煙が飽和する空気と融解したところでようやく了承の意を示すように二度頷き、吸殻をロビーの花瓶に捨てた。ああ、ほらまたビスタが怒る。
ハイヒールを履いているのに足音を立てずに階段をのぼっていくベイはとても神秘的だったけれど、それ以上にやっぱりクールだった。いい女だ。しかし関わりたくないと思わせるくらいに狡猾な女。そうでなければこの家に住んではいられない。

「この家には華はあるけど癒しがねえ」

そう言ったサッチの頭上にはベイの吐いた唾が降ってきて、俺は思い切り笑った。

サッチがベイと喧嘩をしに階段をのぼって行ってしまったので、俺はひとりでポーチに出ることにする。外は静かだった。大広間は玄関の反対側に面しているので、ドアを閉めてしまえば喧騒は遠のく。俺は思い切り息を吸った。土のにおいと、枯草のにおいだ。すこし強く感じるほどの風が、ほとんど葉を散らしてしまった木々を揺らす。
ポーチに腰をおろし、さて煙草でも吸うかと顔を上げると、非日常的なとんでもない音がした。

「いってえ!」

暗くてよく見えないが、独特に鈍く響く音は門に何かが盛大にぶつかったことを示しているし、聞こえる声はそこに人間がいることを示している。めんどうくさい。俺はサッチが出て来はしないかと僅かな希望を持ってドアのほうを振り向くが、そこに人の気配はない。当然だ。ベイとサッチの喧嘩は長い。イゾウとサッチの喧嘩も長い。拳より口で勝負する喧嘩は長引く傾向がある。
仕方がねえなあ。寒さにただでさえ自覚があるほどの猫背をさらに丸めて門に近寄ると、見事にハンドルがひん曲がった自転車とその横でしりもちをつく男の姿がある。

「何やってんだよい」

「いや、だってよ、俺こんなの乗ったことねえから止まり方がわかんなかったんだよ」

聞いているのはそこではないが、確かに自転車なんてこの町では珍しい。中心部ではたまに見かけるが、基本的に道ががたがただから自転車には向かないのだ。

「その、ハンドルってわかるか?持つところ。そこ握ればブレーキかかって止まるんだよい」

「先に言えよ」

「どうやって」

「そりゃそうだ」

自分が言い出したことのくせに、青年は盛大に肩をすくめた。俺は門の鉄格子の隙間から煙草の箱を差し出してやった。青年は頬の怪我を擦りながら、もらいます、と1本摘みあげて口にくわえた。火をやろうと思ったが、その前に彼はポケットから自分のマッチを取り出して擦った。一瞬明るくなった視界で鮮明に見えた青年はひどく精悍な顔立ちをしていたけれど目を伏せる仕草はどこか闇に手練れた部分が垣間見え、俺はふとワイルド劇を思い出す。どうしてかはわからない。しかし青年の薄い唇が笑みを形どり歪むその瞬間はたいそう幻想的に見え、これが現実であることを確かめるため俺はずずっと鼻をすする。必然的にたっぷり吸いこんだ冬の棘は冷たく鼻孔を刺激する。

「あんたが白ひげ?」

「おれに白いひげがあるか?」

「暗くて色までわかんねえよ。違った?そりゃ悪かった」

まったく悪気がなさそうに笑う青年はとても幼く見えた。俺はそれにほっとする。この門の向こう側にいる青年はまだ幼さを残した、俺からすれば子どもの年齢なのだ。

「俺は白ひげに用があるんだ。入れてくれよ」

「嫌だよい」

「なんで」

「おまえがどこの誰かもわからねえ」

「どこの誰でもねえからな」

そう言ってまた唇を歪ませるように微笑む。きっと彼のこの薄い唇が悪いのだ。それともこの夕暮のせいか。薄暗い笑みといやらしい笑みと子どものようなまんてんの笑みを使い分けるアンバランスさのせいか。彼は現実であり幻のようにも見えた。俺は吸い込んだ冷たい空気が胃の底まで流れ落ちていくのを感じる。途方に暮れた。どう対応するのが正解なのかわからない。めんどうくさい。関わりたくない。しかしこの場を動く気にもなれない。
どうしろってんだ、と心の中で頭を抱えたところで古い扉の軋む音がする。

「マルコ?いるか?」

「いるよい」

半分だけ振り向いて手を振ると、明るいところにいるせいでよく見えるサッチの表情があからさまに不審そうに歪んだ。まあ当然だ。俺は今ひとりじゃないんだから。

「マルコおまえ逢引きならもっとうまくやれよ」

「誰がだよい。ぶん殴るぞ。オヤジに用があるんだそうだ」

のこのこと近寄ってきたサッチの脛に足を入れると彼は思い切りつんのめり、おまえはいつも殴ると言いつつ足を出すと文句を言った。倒れるのを防ごうと門についた手のにおいをかいで眉を顰めている。すっかりさびついてしまっているこの鉄柵がどれほど鉄臭いかは想像に難くない。
サッチはじいっと青年をみおろしている。青年もじいっとサッチを見上げている。俺は飽きて煙草を吸った。するとサッチが門の錠に手を伸ばし、それをいじりながら問いかけた。

「俺たちは白ひげの家族みてえなもんだ。言ったっていいだろ?オヤジに何の用だ」

「ああ。土地がほしいんだ」

俺とサッチは思わず横目で視線を交わす。目の前の坊主が金を持っているようにはどうにも見えないし、何かをたくらんでいるようにも見えない。俺たちのようすに構いもせずに目を細めて煙を吐き出す姿はただの放埓なティーンエイジャーだ。
真意が読めないというのは厄介だ。それは思考の邪魔をする。数ある可能性を思い浮かべるも、結局そこに行きついてしまうのだ。それでこいつはどうしたいんだ?そして疑問のサドンデス。それが起こった場合の対処の仕方は人によって変わる。つまりはこうだ。
俺の場合はめんどうくさくなって興味をなくす。サッチの場合はおもしろがって興味を持つ。

「まあ入れよ!おまえ名前は?」

「てめえは何やってんだよいサッチ!招きいれてんじゃねえ!」

「ありがとうサッチ。うるせえよマルコ」

「おまえはおまえで何馴染んでんだよい。腹が立つ」

「そう言うおまえもなかなか馴染んでるぜマルコ」

にやりと笑って肩を組んでくるサッチの腕を思い切り払うと彼は両手を挙げて降参のポーズをした。顔は笑っている。まったく本当に腹が立つ。
近くで見ると精悍な顔立ちをした青年はやはりすらりと長身でしっかりと筋肉のついた体つきをしていた。少々目つきの悪い目元はしっかりとした眉骨のおかげで多少柄が悪いが、自然な癖っ毛と頬に散るそばかすが彼の男らしい雰囲気に純粋さとあどけなさを添え、やはり俺はワイルド劇を思い出すのだった。

「マルコ、行かねえのか?」

「ああ、俺はもうすこし休んでいくよい。先行ってろ」

結局名乗らぬままの青年は肩越しにちらりとこちらを見たけれどすぐに前に向き直る。きっと今の彼にはオヤジに会うことしか頭にないのだろう。にやにやし通しのサッチに少々嫌な予感を覚えつつ、ポーチにのぼって窓の横の壁に寄りかかった。中のようすは聞こえない。
ゆっくりと目を閉じ、ゆっくりと鼻から息を吸うと、アルコールの香りがした。俺はそのにおいを嗅ぎながら、むかし読んだフランスのイマージュ、賛美、ストイシズムの世界に酔う。何よりも紙のにおいを嗅ぎたかった。今日は確かに楽しかったが、やはり少々疲れてしまった。毛穴から流れ出るアルコールのにおいや体にしみついた退廃的な香りを洗い流し、ゆったりとした服に身を包み、あたたかな毛布で下半身を暖め、ゆっくりと本を読んで眠りたい。
体の力を抜くと、前頭部に鈍く思い痛み。このまま眠ってしまいそうだ。まだまだ冬はこれからだけれどここで眠ったらどうなるかはわかっている。しかし酒で火照った体にはこの寒ささえ心地良い。
すこしだけだ、と後頭部をこつんと壁に寄りかからせた途端、真横に位置する窓ガラスが盛大に割れて青年が吹き飛んできた。
俺は今度こそ本格的にうんざりした。




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