それはいつもの夜だったはずだ。完全に同じ夜などない。しかしその夜はいままでどおりの、ふつうの夜だったはずなのだ。歩くときに右腕と左足が一緒に前へ出るような、とりとめのない当たり前の、特に気にとめることもなく過ぎていく夜である。
彼と夜を共にするのがそんなふうに、まるで当然のように思えるようになってしまってどれくらい経つのだろう。思い返してみればずいぶん昔のことのような気もするが、昨年のこの時期もちょうど冬島の海域を航海していて、そのとき俺はひどくふるえながら寝返りが打てないほどの大量の毛布にくるまって、夜中に寝苦しくて何度もシーツから顔を出すため目覚めなければならなかったことを思い出す。夜の情事がシーツの海と称されることが多々あるが、毛布の海からはい出る瞬間は確かに息継ぎのため水面に顔を出す感覚に似ていた。
因果律に基づいて考えるも、現在の状況すら把握しきれていないこの状態では何の意味もない。俺は額に手をあてて、仰向けに寝転んだまま煙草を吸った。
抵抗しているわけでもないのに、セックスのときのエースはいつもひどく暴れた。手癖より足癖が最悪だ。おかげでいつも俺のシーツは半分ほど剥がれた状態になるのだけれど、直すのも面倒くさくてそのまま眠ってしまうから、腰のあたりにくしゃくしゃに寄せられたシーツの凹凸を、ふくらはぎから下にはマットレスのざらつきを感じることが常である。しかし今はシーツのなめらかでひんやりとした、一流のハードボイルド小説のような無機質な質感が剥き出しの足を包む。下半身に集まりだした赤黒い血液は集まりきるまえにきれいに霧散してしまったけれど、服を着る気にもなれないし床でまるまっている毛布に腕を伸ばす気にもなれなくて、灰皿に手が届かないのでベッドヘッドで吸殻を押しつぶしてそのへんに放った。こうして俺の部屋は汚れていく。





服を脱がせる間、エースはおとなしかった。俺は彼の腹を手のひらで撫でながら、時折唇をそこらじゅうに押し付けながら、すっかり脱がし慣れてしまったスタイルの服を脱がせていく。

「なあ、マルコ。どうして服を脱がせるんだ。男同士なんて膝までズボン下げればじゅうぶんだろう」

エースの疑問に俺は答えられなかったから、何も言わずに全裸になったエースの体を片手でうつぶせにひっくり返した。いきなり後ろかよ、最低、という呟きが聞こえたけど無視をする。しかしエースは自力で無理やり仰向けに転がった。エースの足がやんわりと俺の顔をかすったけれど、そんなに小さなことで文句を言わないことにする。
裸でくっついているというのに、俺もエースも目に見えた性的な高ぶりは表れない。今日はエースがそんな気分なんだなと溜息を吐いて、俺はゆっくり進めることにする。
エースは俺の手の動きに性急さが見て取れないことにちょっとぽかんとした表情を浮かべたあと、うれしそうに口を引き結んだ。微笑んでしまうのをがまんするみたいに。
彼はその長い腕をベッドの下へとだらりと垂らす。力の抜けた彼の腕はしっかりと筋肉がついているのにとても無力に見えた。その手は一握りの砂すら掴めないように思えた。

「ベッドの下には何も置かない」

とエースは言った。彼の無力に見えた腕はがさがさ音を立てている。俺のベッドの下をいじっているらしい。たしかそこには適当に紙袋に詰めた書類があったはずだ。必要か不必要かあとで整理しようとしたまま一週間以上放置されているそれは処理し終えた報告書であったり新聞の切り抜きであったり新しい手配書の束であったり手紙であったり海図であったりした。
そんなかんじで俺のベッドの下はほとんど書類でいっぱいになっている。他の隊長のぶんの書類まで全部最終的には俺のもとへと集まってくるのでこうなってしまうのは致し方ない。
俺はエースの部屋を思い浮かべた。そして彼の部屋へ入ったことなど数えるほどしかないことに気が付いた。エースとセックスをするときは必ず角部屋である俺の部屋だし、ふたりで飲むことはほとんどない。話をするのは大抵が甲板か食堂である。そんなわけでほとんど記憶にないエースの部屋は、ひどくさっぱりとしていることくらいしか特徴が思い浮かばない。そういえば彼の部屋の床には夜にはくかかとのつぶれたデッキシューズくらいしか転がっていなかったような気がする。

「なあマルコ、聞いたことはねえか」

「何を」

「死はベッドの下に住み着くということ」

寒気がした。その言葉が理解できたとき、俺の頭はエースの部屋のひどく冷たいかんじのする何もない床を思い浮かべたままだった。そのせいで、彼がいなくなっても何も変わらないあの部屋を鮮明に想像することができた。
エースは俺のようすをちらと横目で伺っただけで、ごろりと横になってより奥深くまでベッド下をあさり始める。そして安心したように笑った。彼が夜にしか見せない、すこしの艶やかさを含んだ、しっとりとした、冬の夜にマフラーに口元をうずめたときに香る、あの独特のあたたかなにおいを放つような笑みだった。

「さすが不死鳥のベッド下ってかんじ」

そう言って今度は無邪気に笑ったエースの肩を、俺は思いきりつかんでベッドに押し付けた。エースは痛そうに顔を歪ませたけれど、瞳は俺を見て驚いていた。しかしそこに怯えはなく、微かな愛情を見てとった。たまらなくなって彼の顔中に唇を押しあてるだけの、かんたんなキスを落としていく。
エースの首に顔を埋めると、彼は彼を押し付けている俺の腕に手を添えて、リズムをとるみたいにばらばらに動かした。そうすることで何かから意識を逸らすみたいに。

「マルコ、俺のことが好きなのか」

「どう見える」

「そう見える」

「そうだったら、どうだってんだよい」

「それは、すごく、困る」

俺は思わず固まってしまって、エースはそんな俺の腕と体をやんわりと除けると振り向きもせずに服を抱えて出て行ってしまった。全裸のままだが彼の部屋はすぐ隣なのでとくに問題もないだろう。
さて。ところで残された俺は、これはふられたということになるのだろうか。なんだかその表現がしっくりこないのは俺が彼に比べ歳をとりすぎているからか。ふられた、なんて甘酸っぱい響きは似合わない。拒否された、というほうが似合うような気がするが、なんだかいやな響きである。
じっとしていたってどうしようもない。俺はようやく思考を働かせて、立ち上がって服を着た。ほとぼりが冷める前に、エースの部屋に行かなければならない。そうでなくてはあの男はすべてをなかったことにしてしまうから。まったく似ていないのに、そういうところばかり俺と彼は似ているから、その厄介さは身に染みてわかる。面倒な男だ。俺もあいつも。





ドアを開けると、エースは頭から足首まであるブランケットを羽織ってベッドに座り、片膝を立て、煙草を吸っていた。月のない夜だけれど、もし今宵あの円形の窓から月明かりが差し込んでいたならば、ひどく美しい光景だったに違いない。月明かりは、夜中に眠らずに暗闇の中佇む人間すべてを美しく見せる素晴らしい力を持っている。
ガウンの合せ目からのぞく引き締まった足は何も纏っていないけれど、彼は常にハーフパンツか、七分丈のリラックスパンツを好むので服を着ているかどうかまではわからない。
エースは俺の顔を見ても驚かなかったが、俺が抱えているものを見ると驚きに目を開き、不審そうに眉を寄せた。
俺は紙袋を6袋ほどエースの部屋に押し込むとドアを閉めた。エースは俺を見たまま煙草を持っていることすら忘れたようすで戸惑っている。俺は構わずに持ち込んだ紙袋をエースのベッド下に押し込んだ。

「おいマルコ、何やってんだあんた」

「うるせえよい。てめえら隊長共15人分の書類まで俺が抱えこんでんだ。おまえの部屋さっぱりじゃねえか。すこしくらい置かせろよい」

エースは俺の真意を探るように、膝の上で頬杖をついて口元を隠し、じっと俺のようすを観察している。最後の紙袋を足で仕上げにと押し込みエースを見る。彼はまだじっと同じ体勢で俺を見ていた。
エースは感情を悟られまいといつも口元を隠すけれど、彼の瞳がひどく素直であることを彼自身は知らないのかもしれない。俺を見つめるエースの瞳には愛しさが溢れている。この瞳を見ていれば彼が俺に抱く感情など明白で、だからこそ俺はこの男に手を出したのだ。エースのほうは体だけの関係だと思っているだろうが、俺からすれば初めから感情的な繋がりのあるセックスだった。それを今まで口にせずにいたのは、エースのほうも薄々それに気付いているけれど準備ができていない、といったふうだったからだ。気付きたくないと彼の全身が訴え、暴れていた。エースが夜にひどく暴れるとき、それは俺が感情のこもりすぎた愛撫やキスを与えたときだった。

「なあエース、おまえ、いつまで俺を待たせんだよい」

「いつまで、って…」

「今の俺には嫉妬する権利もセックスの時以外にキスする権利もねえ」

エースは一瞬あせったみたいな声を出したが、次いですぐに笑い出した。

「そんなもんが欲しいのかよ、マルコ」

「おまえは欲しくねえのかよい。俺に肩組んで触れてくる奴の手の甲つねって堂々と追い払えるんだぞ」

「はははっ。俺はそこまで嫉妬深くねえよ」

「俺はやるよい」

「絶対やめろよ!俺が恥ずかしいって!」

エースはしばらく楽しそうに笑っていたが、俺がエースを見つめているのを見て恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「俺のベッドの下が、マルコみたいにいっぱいになったら、信じられるかもしれねえな」

顔を寄せたらふいと逸らされたので、俺はエースの足首をとってすこし持ち上げる。それによって太ももまであらわになったエースはしっかりハーフパンツを着込んでいてすこしだけ残念に思う。

「マルコ!何やってんだよ」

「おまえの足首は貴重だからなあ。ブーツなんてやめちまえ。サンダルでいいよい」

足首にキスをしたり舐めまわしたりしていると、エースはまったく色気のない笑い声をあげるので、今日のところはもうそういう雰囲気に持っていくのは無理そうだなと諦める。
大切なものを彼のベッド下にしまっていくことで信頼が得られるのなら、もういっそ毛布を持ってきて俺がそこで眠ろうかとさえ思ったけれど、やはりこの凍えるような気候ではそんなことはできそうもないと、馬鹿な思考を振り払った。



ベッドの下






11.12.01



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