「最近おまえら仲良しじゃないか?」

器用に両手にフォークを持って麻婆豆腐の豆腐をすくうイゾウが、料理から目を離さないままに言った。スプーンを使えばいいものを、と思うけれど、どうも彼は麻婆豆腐の片栗粉部分が嫌いらしい。ひき肉も嫌だと言った。彼はベジタリアンの気がある。それでも彼が必死に豆腐だけを追うのはひとえに今日のメニューが麻婆豆腐しかないからだ。海賊の食事にオートキュイジーヌを求められても困る。量ばかり多くて、メニューは簡素だ。
マルコはちらりと俺に目配せしたあと、何食わぬ顔ですくった豆腐をイゾウの皿に投げ入れ、スプーンを舐めた。イゾウはいまだ顔を上げない。俺はジョッキに口をつける。

「サッチにも言われたな、それ」

「だっておまえら気付けばいつも一緒にいるだろう」

「この船の配置じゃあ別におかしいこともねえだろい」

「まあ、そりゃな」

ようやく豆腐にありついたイゾウは左手に持っていたフォークをテーブルに放って、右手に持ったフォークはそのままに頬杖をついた。にこりと笑っておかしそうに瞳を細めるその表情は、ちょっぴり嫌なかんじだ。俺は思わず顎をひいて、またジョッキに口をつけた。ちらりと視線をやればマルコもまたすこしだけ居心地悪そうに姿勢を正した。

「ほどほどにしとけよ。みんな寂しがってんだぜ。最近ふたりが夕食済ませりゃすぐ部屋に引きこもっちまって相手してくんねえってよ」

イゾウは両手を広げてにっこり笑った。食事をしてもたいした崩れを見せない唇の紅は、彼の造形の美しさを際立たせた。マルコはため息を吐いたが、別段気にしていないようだった。俺はあくびをしながら伸びをした。
イゾウの指摘がそのままの意味だけじゃないということがわからないほど俺も馬鹿ではない。推測や謎解きが好きなのは人間の性だ。だからみんなサスペンスが好きだ。どの島でもサスペンスだけは流行る。それがより身近な下世話な噂話に変遷したってなんら不思議はないのだ。
マルコはコーヒーのたっぷり入った大きなマグカップを持ったまま立ち上がり、俺の頭をぽんと撫でる。俺は視線だけでマルコを見上げた。

「イゾウもこう言ってることだし、遊んでろよい。俺はちょっと航海士と話があるから」

わざとらしいふくれっ面をつくってみたら、マルコは苦笑いでその顔やめろと頭を叩き、イゾウは腹を抱えて喉を仰け反らせて笑った。マルコの去り際に香ったのはいつもの煙草のにおいじゃなくていかにも彼らしい、爽やかすぎず甘すぎず、ちょっと辛口の香水のにおいだった。



ベッドに置いた図鑑の読みかけのページに右足を置き、立てたその膝の上で煙草を吸う。俺はたいして煙草なんて好きじゃあないけど、自身の持つ特性のためか、時折煙が恋しくなった。そして1番手軽に煙をたてる煙草に手を出してしまうのだ。
そんなもん吸うくらいなら料理をしろと以前のクルーは言った。しかし俺が欲しているのはそんなきれいな煙じゃない。退廃的なかおりのする煙だ。何かを作り出すのではなく、何かを消し去る不条理な煙だ。
マルコの部屋からくすねた煙草を吸いきってしまうと、俺はそのまま図鑑を閉じた。べつに見たくて見ていたわけでもない。ただ、一人で過ごす夜が久しぶりすぎて、なんとなく手持無沙汰になってなぜかマルコの部屋にあった魚の図鑑を眺めていたのだった。
俺はしっかりと食堂で遊んできたけれど、マルコの帰りはもっと遅かった。風呂を済ませて戻ってみれば隣の部屋からは人の気配がして、俺はドアの前に立ったけれど、寝息が聞こえてきたのでおとなしく自室に引っ込んだ。でもどうしても、日課がずれるとどうにもうまく眠るタイミングがつかめない。
俺は立ち上がり、腰に手をあて、そのままちょっと考えた。親指の爪で顎を掻く。俺がマルコが入ってきても気付かなかったんだ。マルコも起きねえだろう。そう勝手に結論付けて、彼が起きたとき理由は何にしよう、本を借りに来たとか煙草切れたとかそんなことを適当に言っておけばいい。俺はブーツを履かずに裸足のまま自室のドアを開けた。

風が吹いていた。
くるぶしが剥き出しになるくらいの丈しかない俺の寝間着は風にうたれて裾を翻し、足首をこそこそとくすぐった。上半身には何も着ていないけれど、風呂からあがったときのまま首に掛けられているタオルがばさばさと体を打つので、俺はそれをくるくるまるめて端を渦の中心にねじ込み、そのままぽいと部屋の中に向かって放り投げた。そしてそうっとドアを閉めた。


マルコの部屋に入っても、その傍らに腰掛けても、彼は吐息のリズムを崩さなかった。
俺はしばらくそのままマルコの寝顔を眺めた。そのときの俺は特に何も考えていなかった。無感情、という言葉が1番簡単で的確かもしれない。俺はただそこで眠るマルコを眺めていた。何も感じはしなかったし、なぜこんなことをしているのかも、これからどうするのかも考えてすらいなかった。俺はただそこで息をする男を見ていたに過ぎない。
毛布を手繰り寄せてもマルコの呼吸は乱れない。俺はぎりぎりの幅だったけれど、無理やり隣に寝転んだ。シーツは冷たくない。しかしあたたかくもない。眠る男の体温が熱気のようにじわりと、男の体だけでなくそのまわりまで温度をあげている。
俺は仰向けになったので、マルコの姿は見えなくなってしまった。首を傾ければ彼を見ることはできるけど、そうすれば俺の髪が彼の顔をくすぐって彼を起こしてしまうかもしれないし、何よりそうする必要がないように思えた。
くん、と空気を嗅ぎ、風呂くらい入れよ、と笑ってしまう。マルコからは夕食のときに香った香水と同じ香りがした。この数日で、マルコがナイトフレグランスなんて洒落たものを使う習慣がないことを俺は知っていた。そもそも彼が香水を纏うのも、本当に気が向いたときだけである。彼にとって香水とは自分をよく見せるためのものではなく、自分のためのものなのだ。これは俺の憶測に過ぎないけれど。なぜかって、仕事が多くて忙しくなるとわかっている日だけ、彼からはスパイシーな香りがするからだ。きっと一種のけじめなのだ、彼にとって。仕事が少ない日は彼からは酒と煙草の駄目人間の香りしかしない。

寒くはない。しかしぶるりと体が震えた。何かの暗示みたいに。
わりと大げさに体が揺れてしまったので、俺はそうっとマルコのようすをうかがった。
マルコの目じりには水滴の通り道があった。それは足跡でしかない。ただ一粒だけこぼれ、流れてしまった、というようなそれは今夜の月がこんなに明るくなければ見逃していたはずだ。
俺は彼の涙を見てもとくに驚きはしなかった。それはなぜだかとても自然なかんじがした。鰐が溺れた鹿の肉を食いつくしたその川辺で夜明けを告げる鳥のさえずり、人の死んだ荒野を死体を隠すみたいに走る砂塵のヴェール、それらに似た落莫とした美しさを思わせた。

俺は一層体を寄せ、顔を近づけた。それは指で触れるにはあまりに神聖なもののように思えたからだ。
俺は唇でそこに触れた。俺の体の中で唯一そこだけが、彼の涙の神聖さを汚さずにすむ場所のように思えた。彼の目じりは冷たかった。俺は早くそこがあたたかくなるように、じっと唇を押し当てた。そしてシーツに触れる彼のこめかみのあたりから、跡を消し去るみたいにそうっと舌で舐め上げた。目じりまで舐めきると、俺はいつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開く。
マルコはぼんやりと俺を見つめていた。そして唇の動きだけで、エース、と呼んだ。
俺はどうしてそんなことをしたのか、よくわからないのだけれど。俺の名前を紡いだそこにゆっくりと唇を押し当てた。マルコは当然のように受け入れた。先に瞳を閉じたのは、マルコのほうだった。






11.09.21





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