「何で笑うんだよ」
「いや、ははっ。おまえがあんまりにも潔く開き直ったもんだからよい」
マルコは声をあげて笑うと、普段より若々しく見えた。笑う仕草が豪快だからかもしれない。クールそうに見えて、彼は楽しいことが好きだ。無論、そうでなければ海賊の桁外れの陽気さになんてついていけないのかもしれないけれど。
「俺は死ぬまでここを出ていく気は無え。だから身軽になる必要もねえ。このままでいいよい」
「それじゃ俺の居場所がねえよ」
指で自分のまわりを円で囲むジェスチャーをして、ベッドの一角にしかスペースのない現状を示し、肩をすくめる。マルコは重そうに瞼を落とし、目を細めた。じっとりとしたその瞳はまるで熱帯夜のどうしようもない空気のわだかまりのようにいやな気分を作り出す。マルコはひどくゆっくりと、くわえていた酒瓶から唇から離した。きゅぽん、と音が鳴る。
その視線と空気に気が付かないほど俺も鈍感ではない。
「マルコ、やめろ。何考えてる。考えんな。こっち見るな」
追い払うように手首を前後に振るとマルコは笑ったが、目の細さは変わらないし視線も俺から外れない。
「参ったな」
割と本気で困ってしまって、そう呟いて苦笑する。するとマルコは勢いよく横を向いて、今度は声を我慢するみたいに肩を震わせて笑った。
「…いちおう聞くけど何で笑うんだよ」
「おまえ、本気で困った顔するからよい。初めて見たよいあんな顔。おまえも困ることあるんだな」
「うるっせえよ!誰のせいだ」
掌にコルクを乗せて指ではじくとマルコの頬に命中した。地味だが腹いせだ。殴るにはここを動かなければならないが、そうまでするほど怒っているわけではなかったし、本を投げないくらいの分別は俺にもある。
「痛えなこのクソガキ」
「まさか顔に命中するとは思わなかったぜ」
「得意げに言うんじゃねえよい」
マルコが普通に投げ返したコルクは俺の額に命中した。笑っていたせいで避けられなかった。額を押さえてマルコを見ると、彼はもう欲望にまみれた空気をすっかり霧散させ、いつもみたいにクールに微笑んでいる。俺はひどく安心した。それを態度に表さないように額をさすって取り繕う。
「おまえのために、毎日ベッドだけは空けておくよい」
「…それは変な意味じゃねえよな?」
「こんな狭い部屋じゃベッド以外に選択肢ねえだろい。変な意味になるかどうかはおまえ次第」
マルコは両掌を上に向けるようにして両腕を広げた。ぽっかり開いた袖口のせいで、マルコの手首はいつもより細く見えた。
「黙れオッサン。おいマルコ、今日1日だけで俺のあんたのイメージぼろぼろだぜ」
「挽回するよい」
「がんばれ」
めんどうくさそうに言ったマルコに、俺もまたてきとうに親指を立てて突き出してみる。同じサインが返ってきた。そうして俺たちはまた酒瓶に口をつけた。
「おまえら最近ずいぶん仲良しじゃねえ?」
マルコとふたり並んで食堂へ向かっていると、後ろからサッチが俺とマルコの肩に腕をまわして真ん中に入り込んでくる。サッチからは塩水のにおいと、煙草のにおいと、あまいココナッツのにおいがした。
「おとなりさんだからな」
そう言って笑うと、サッチは引き攣った笑みを浮かべてマルコに目配せした。それがどういう意味を持っているのかわからなかったが、サッチのアイコンタクトに対しマルコはひょいと眉を上げただけで特に何も言わなかったので、まあいいかと気を逸らす。
くん、と鼻を鳴らすとパンのおいしそうなにおいがした。昼や夜はコックが腕をふるうけど、朝食のメニューは毎日たいして変わらない。パン、スープ、ベーコンエッグ、運がよければカットフルーツが無造作にテーブルに置かれており、俺たちは勝手にそれを手に取りジャムをつけたりバターを塗ったりしてかじる。飲み物はセルフ・サービスだ。コックの仕事は食事をつくることであり、テーブル・サービスを行うことじゃない。彼らは使用人ではない。立派なクルーである。彼らもまたオヤジの息子なのだ。
「よかったなあマルコ。ぜんぜん部屋に寄り付かなかった弟が毎朝朝食に誘ってくれて」
「誘ってはねえよ。起こしてるだけで」
「ティーンエイジャーに起こしてもらうオッサンか…」
「うるせえよいサッチ。そんな目で見るんじゃねえ。だいたいエース、頼んでねえよい」
俺は口笛を吹いて、ふたりを置いて食堂に足を踏み入れる。
大部屋を出てからというもの、俺はマルコの部屋で過ごす時間が多くなり、必然的に食堂や甲板で仲間たちと馬鹿をやる時間が減ったものだから、食堂に入ると俺はすぐにスペードの仲間や2番隊員や歳近いクルーに捕まってしまう。マルコはいつも微笑みに近い呆れ顔でそれを見送り、またあとでな、っていうみたいに右手を肩の高さに上げる。俺もそれに笑顔を返し、仲間の波にのまれるのだ。
しかし今日は違った。サッチがさっきみたいに後ろから俺の首に片腕をまわし、ずるずると1番奥のテーブルまで引っ張っていく。
「エース、たまにはサッチお兄さんにも寄り付きなさいよ。マルコとばっか仲良くしちゃってずりいだろ」
「別にずるくはねえだろい。うるせえぞこいつ」
「なんだよ。マルコが寂しいっていうからわざわざ大部屋出て個室移ったんじゃねえか」
「おいエース。書類出せよい」
「聞けよ!」
テーブルをばしんと叩くとサッチが笑った。マルコは横目で笑っているサッチを見、すぐに視線を正面に戻すとテーブルに肘をついたまま、どうでもよさそうにバスケットに積まれたパンをひとつ取った。半分になったフランスパンだった。切り口が最高にきれいなそれはとてもおいしそうだ。俺はレーズンパンをかじった。レーズン入りのパンにバターって、最高の組み合わせだと俺は思う。マルコは半分に切ったフランスパンにブルーベリージャムを薄く塗って食べた。サッチはパンには手を出さず、ずっとたまごをすくっている。同じテーブルに座っていたクルーがコーヒーポットを持ってきたので、俺たちは3人ともその好意にあまえてカップを掲げた。
「でもエースお前、大部屋出てから隊長らしくなったよ」
スプーンをかちゃかちゃいわせながらこちらを見もせず言い放ったサッチの言葉に、俺はどう反応したらいいのかわからなくて、とりあえずもくもくとパンを食べた。
11.08.22