陸の女は木々の葉擦れの音と早朝の鳥たちの囀りに平穏を感じ、海の男は荒れ狂う海面に鼓舞し穏やかな波音の安楽に酔う。のこす者、のこされる者、そういう見方もあるだろう。しかし俺はそうは思えず、俺にとってはただ別世界の人間だった。根本的な部分がうまくかみ合わない、住む世界のちがう人間。その違いを楽しめるのなら問題はない。けれど俺は何よりも海そのものを愛した。
幼いころ慣れ親しんだはずの土のにおいも、長く嗅いでいると無遠慮に俺を急かす。泥に捕まる前に、その足から根が生える前に、はやく海へ戻りなさいと。俺は一か所に留まっていてはいけないのだと。鳥のように自由になれ。


いつの間にか眠っていたようだった。目が覚めると、目の前に鳥がいた。
俺は寝転がったまますこしだけ頭を起こして、鳥の頭を撫でてやる。頭上にかぶった腕の影に驚いたのか、そいつはくちばしを天空に向けていやがるそぶりを見せたがいざ触れてしまえばおとなしくなった。
これは鳥だ。それならばこいつは自由なのだろうか。ふと、脳裏に自船の鳥が思い浮かぶ。彼は自由だろうか。ちょっと考えて、自嘲した。海賊なんてもの、みんな自由に決まっている。飲んで、笑って、酔っ払って、たまに闘争心を満たす。それだけが仕事なのだから。
俺は海賊だ。海賊なのに、どうしてこんなに縛られているのだろう。
自分の情けなさを隠すように、一度腕で視界を覆い、再び目を開けた。鳥を撫でようとしたら、それはもうどこかへ飛び立ってしまったあとだった。俺は仕方なく、自分の膝を撫でた。



「エース!ちょうどよかった、ちょっと手伝え!」

振り向くと、頭の位置よりも高く積んだ木箱を抱えたサッチがふらふらしている。顔は見えないけれど、箱の横からちょっぴりはみ出した茶色いリーゼントといつもの服を纏った足元と、その声で彼だと判断することができた。サッチはこの状態からどうやって俺の存在を感知し、俺だと認識できたのか甚だ疑問である。

「危ねえな。何事?」

ぐらりと揺れたので、慌てて駆け寄って積まれた木箱5段のうち上2段を持ってやれば、ようやくサッチの顔が見えた。彼の顔は汗だくで、腕には血管が浮いている。俺と顔を合わせると、サッチは笑顔を見せた。

「昨日の嵐で医務室が雨漏りしてんだよ。治るまで数日間俺の部屋を貸すことにしたから、大部屋に引っ越し中なわけ」

やさしい男だ、と俺は思う。敢えて口には出さずに微笑みだけ向けると、サッチのほうも歯を見せて笑った。伝わったみたいだ。

「今回医務室にこもりきりになってたの、4番隊の奴だからな。まあただの風邪だけど。それでだエース、こういうふうにいざって時使える部屋は多いほうがいいんだから、おまえいい加減大部屋出ろよ」

俺の笑顔が引き攣った。サッチは呆れたように肩を落とす。
俺が二番隊隊長に就任してもうすぐ半月が経つ。就任したその日に部屋を与えられたけれど、俺は未だ大部屋に居座ったままだった。荷物なんてリュックひとつぶんしかないから、移ろうと思えばすぐに移ることができる。つまり俺は移る気がなかったのだ。

「何をそんなに渋ってんだよ?快適だぜ、自分だけの部屋!それも16人にだけ許された特権だってのに、もったいないおばけが出るぜ」

「出ねえよ」

4番隊の大部屋のドアを開けると、サッチの荷物の多さに対する罵詈雑言が飛び交った。俺は笑って木箱を置いてそっとその場を離れた。サッチがありがとなと俺の背中に向かって叫ぶのが聞こえたので振り返るが、サッチは既に大部屋の中へ戻ってしまっていた。

この大所帯がおさまる場所など、この船内では寝室か食堂か甲板くらいしかない。だからある者は食堂で談笑やゲームを楽しむし、ある者は大部屋に戻ってくつろぐし、ある者は甲板に出て酒を飲んだり馬鹿騒ぎをしたりする。俺は大抵食堂でくだらない会話をしたりゲームをしたりしていた。この船にひとりを好む者は多くはない。
あちこちから馬鹿笑いや血気の多い怒声やへたくそな歌声が聞こえてくるというのに、通路はいやに静かだ。ビロードのような風が通る。俺はそれを肌に感じ、澎湃たる世界を生きているとは思えないほど穏やかな気持ちになる。
そして、思ってしまうのだ。ひとりでいるのも悪くない。
俺はそれが嫌だった。野頸がごとくふと訪れる孤独の平安を自覚するたび、俺は喧騒に逃げ込んだ。孤独でいたくない、しかし孤独を懐かしく思う、峻烈なジレンマ。それをやりすごすには俺はあまりに無知蒙昧であった。
ひとり部屋は怖い。そこに逃げ場はない。逃げられない、そしてなにより俺はそれから逃げてはいけないのだ。

夕食後はみんながひときわ騒ぐ時間だ。そんな時間に、マルコは自室の前でまるい窓を覗きながらひとりで煙草を吸っていた。俺は無意識に自分に割り振られた個室へと足を向けていたことに初めて気付き、あわてて足を止めた。不自然に阻害された足並みにより、ブーツがきゅっと音を立てた。

「エースか。珍しいな」

マルコがすこし驚いたように、すこし嬉しそうに、表情を崩した。たしかに珍しい。船のつくり上の関係により、マルコの部屋は端っこで、その隣に俺の部屋があり、その隣は大きな吹き抜けになっている。俺の部屋は空き部屋のままだから必然的にここへ来るのはマルコに用事がある者だけだ。俺はマルコの部屋に入ったことなんていまだ一度としてなかった。

「俺に何か用かよい」

「いや、特にあんたに…用事があったわけじゃなくて、俺は、さっき…サッチが」

俺らしくもなくしどろもどろになっていると、マルコは笑って空き部屋の扉をコンコンとノックした。それはどこにでもある無機質なノックのはずだけれど、どこかあたたかいようなかんじがする。この扉を開けたなら、クリームシチューを煮込んでいるお母さんがいますよ、っていうかんじだ。マルコは煙草を持った右手でノックをしたものだから、ばらばらと床に灰が散った。

「いい加減俺も寂しいんだがな」

「寂しい?マルコが?なんか似合わねえけど」

「足音が聞こえると期待するんだよい」

俺は思わず笑ってしまった。足音に敏感なマルコってうまく想像ができない。足音が聞こえるたび、来訪者だろうかと顔をあげて耳をすますマルコ、来訪者がノックをするのを待ちながらペンを置いて立ち上がる姿勢をつくるマルコ。それってすごくかわいい。

「ははっ。隠居かよ」

「うるせえよい」

「悪かった悪かったから蹴るなって!」

マルコは鼻を鳴らして、俺が隊長に就任したその日にしか開けられていない扉を押した。俺はさきほどまでのいやな気持ちを忘れたように、無感動に扉がぎいいと音を立てるのを聞いた。ああ、鍵は無えんだ、とどうでもいいことを考えながら。










11.08.16



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