サッチが帰ってしまうと、マルコは1時間くらいロッキングチェアに座ったままうとうとした。俺は暇だったので、家の中を探索したり庭をぐるりとまわってみたりした。川辺まで散歩に出ようかとも思ったが、俺は今までほど強く自然に惹かれなくなっていたので、ほとんど庭の外まで足を伸ばさなかった。
腕を組み、煙草を吸って、太い木の幹に寄りかかってうとうとしているマルコを眺める。俺が完全に自然に興味をなくしたとき、この退屈な風景に慣れてしまったとき、それが限界だろうとわかっていた。バスローブの合わせ目をぎゅうと握る。終わりを考えるこの切なさがある限り、俺はまだ俺でいられるだろう。切なさを越えて夢を見てしまったとき、俺は俺でなくなるのだ。

寝室に戻って着替えていると、マルコがのろのろと頭を掻きながら姿を見せた。開け放たれたままのドアに立ち、俺が着替えているのを見ると大きなあくびをし、そのまま下へ下りていった。あくびを見せにわざわざ寝室まで来たのかよと苦笑して後を追えば、洗面所からしゃこしゃこ歯を磨く音が聞こえた。

「マルコ」

「俺はこれから寝るよい。寝てねえんだ」

「知ってる」

「どうもなあ、自然の光より人工的な光のほうが集中できる」

マルコは鏡に向かってイーッと歯を見せて、きれいに磨かれていることを確かめた。洗面台の鏡張りになっている扉を閉めて、入り口によりかかる俺を見る。そしてやわらかに目じりをゆるめた。

「一緒に眠ってやれなくて悪いな」

追い越しざまに頭をやさしく撫でられて、俺は何も言えなくなった。どう反応したらいいのかわからなかったし、何より俺はその優しさがうれしいのか悲しいのかもわからなかった。
体を重ねるまで、彼は俺をいないものとして扱っていたくせに、今はどこまでも甘やかそうとする。胸を抉られるような感覚とはこういうことかと俺は思った。確かにこれは、慣用句にもなるはずだ。ほかに良いたとえが何も思い浮かばないのだから。



昼食の時間になってもマルコはいびきをかいていたので、俺は街まで行ってみることにした。テンガロンハットを被り、庭へ出て、ふと思いなおして家の中へ戻る。マルコからもらったスケッチブックはまだ真っ白だ。俺はそれを小脇に抱えて、また同じように外へ出た。
マルコのくれたスケッチブックは俺を楽しませた。俺の前で足を止めた人間の人相や仕草を観察して、きっとこういうのが好きなんだろうと絵に打算を加える必要性がまったくない。大きな橋の柵に寄りかかって絵を描きながら、俺は初めて自分は絵を描くことが好きなのだと知った。


日が暮れ始めて絵を描きにくくなってくると、俺は帽子を背中に落として手すりに腕をかけ、ただぼうっとした。30分くらいそうしていると、遠くに見慣れた男が見える。

「ここ、便利だな。このへんに橋はここしかないから、すれ違わないで済む」

声が届く程度に近づいてきたマルコに大きな声でそう言えば、マルコは呆れたように溜息を吐いた。

「おまえは目を離すとすぐにいなくなる」

「自由に過ごせって言ったのあんたじゃねえか」

「俺が身動き取れねえんだよい。おまえが街にいたら完全にすれ違ってただろい」

「これから迷子になったらここ来るよ」

マルコの、俺を見つけた瞬間のわずかな安堵の表情に怖れを見た。マルコは無意識かもしれないが、俺が帰らないことを恐れている。笑ってしまう。なぜなら俺もそれが怖いのだ。時折、自分でもなぜそうしたのかわからないような行動を取ってしまう自分を俺は知っている。俺はいつこの街を去ってもおかしくはないのだ。そして、去りたくない、という願望に恐怖する。

「肉食いてえな」

「野菜食え」

「自分だって滅多に野菜なんて食わねえだろ」

「いいんだよい。煙草が植物だ」

「よくねえよ」

「うるせえな」

「どっちがだよ!」

橋を渡りきると、街灯が一斉にあかりを灯した。



そのようにして1週間を過ごした。
俺は朝起きて朝食を食べた後は街へ出かけて昼食を食べたり絵を描いたり散歩したりして過ごし、てきとうな時間になるとそのへんで昼寝をした。マルコは俺が起き出すと眠り始めた。夕方になるとふたりで街へ出かけた。俺が家の近くにいるときは一緒に出掛けたし、俺がまだ街から帰っていないときは橋のあたりでなんとなく待ち合わせた。
あれから2回セックスをした。俺はかならずセックスのあとは自分の話をした。そうして日々は過ぎていく。

今夜は風がない満月で、なんとなく気味が悪かったけれど、窓から差し込む月明かりはなかなか美しい。シャワーを浴びた俺の姿を眺めるマルコの視線で、今日は抱く気だなあとすぐにわかる。ここまでわかりやすいのもどうかと思うが、俺たちの間には雰囲気も何もあったもんじゃないので、これくらいあからさまに示してもらわないと触れることさえできない。

「エース」

「…やりてえんだろ?いいよ」

挑発的にマルコの顎をざらりと撫でれば、彼の瞳はみるみるうちに欲を灯す。俺もきっと同じような目をしているんだろうと思う反面、いやもっとひどいかもしれないとも思う。
マルコに触れられると泣きたくなる。泣かないけれど。そしてこれが幸せというものなんだと考えて、また泣きたくなるのだ。
俺はいつからこうなってしまったのか、どうしてこうなってしまったのか、明確な線引きなどできるはずもない。俺は自然な流れでマルコを知り、自然と彼を愛した。出来事がこうさせたのじゃなくて、マルコがこうさせたのだ。きっかけなんてものはない。

「エース」

「ん、なに…」

「エース」

マルコは淡泊すぎやしないかと言いたくなるほど、セックスでは終始無言を通すのが常だった。しかし今夜は俺の名前をぽつりぽつりと無意味に零す。読めない、どうしたってこの男の心を、表情を、読むことができない。頭では絶望すら感じるのに、心は素直に歓喜する。

「マルコ」

俺が名を呼ぶと、マルコがたった一粒のしずくを落とした。







11.07.13



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