ベッドに腰掛けて、膝に肘を置き両掌で顔を覆った。汗はひいたが、べたつく感触は残っている。
はじめはベッドで横になっていたエースも、俺が再度寝転がる意思がないことを見て取るとベッドの反対側に足をおろした。すこしだけ振り返って覗き見たエースは左足を右足の腿に乗せる格好で前かがみになり、だらしなく煙草を吸っていた。
あと30分もすればタクシーが来る。その前にシャワーを浴びたいしビールを飲みたい。俺は立ち上がらなければならない。視界の端にトロコフォラが見える気がした。

「3人兄弟なんだ」

とエースが言った。俺がいい加減動き出そうと顔を覆っていた手を両膝に移動させたときだった。

「もちろん実際血は繋がってないけど、兄弟みたいに育ったんだ。ずうっと一緒。サボは同い年で、俺が家を出るずうっと前に家を出てこの国で働いてる。仕事は知らない。でもせっかくこの国に来たんだからいつか会いにいきたい。ルフィはみっつ下で、俺はあいつを置いてきた。電話をしたら繋がらなかった。だから今どうしてるのかはわからない」

煙草を1本くれと口を挟める雰囲気でも、ビール取ってきていいかと席を外すことができる雰囲気でもなかったので、俺は諦めてつばを飲み込んだ。エースは今この瞬間を逃したら、きっとこの話をしたがらないだろう。
話題と雰囲気の関係はとても密接である。ナスカの地上絵とナスカの気候みたいに、それはぴったり合えば永遠ともいえる記憶や模糊な感動やある種のコギトを生み出すが、均衡が崩れてしまえばそれはただその場しのぎの取るに足らぬ言葉の羅列であり記憶からは失われ、何も生み出すことはない。

「たくさんのものを捨ててきたし、これからも捨てていくことはわかってる。俺は自由でいられるならなんでもする」

ベッドに片膝を乗せてエースのほうを向くと、きしんだ音とマットレスのくぼんだ感覚に振り向いたエースと目が合った。彼の、常に孤独を滲ませる黒い瞳は細められ、頬の筋肉は健康的に持ち上がっている。虚偽や装飾を感じさせない、すなおな笑顔だった。

「重く考えるなよ、マルコ。俺はちゃんとわかってるんだから」

その言葉は、彼は自分が捨てられることをすっかりわかったうえでこうしているのだという告白だった。俺は自分の情けなさに、喉仏のあたりに強い圧迫を覚える。こんな、いまだ完全にはおとなになりきらない青年に俺はなんて汚いことを言わせたのかと。
それなのに俺自身、情けなさは感じていても罪悪感がないことに逆に罪を感じた。自己を正当化しようというのではない。ただエースという男の雰囲気が、彼の纏うどこか退廃的でありながら太陽のにおいをさせる至純なエゴイズムが、俺に訴えかけるのだ。
彼は俺である。同時にサッチであり、イゾウであり、温もりを愛する孤独な男のひとりである。

「あんたががんばるから、俺眠くなっちまったよ。シャワー浴びてくる。マルコは?」

「…俺も行くよい。時間がねえ」

「タオル貸して」

「洗濯してねえ。今朝の使え」

「湿ってる」

「俺のもだ。文句言うんじゃねえよい」

湿ったタオルで背中を叩けばエースは上機嫌に痛えよと笑いながらドアのむこうに姿を消した。俺も後を追う。シャワー風景はといえば、朝のデジャヴである。しかし俺は今朝よりも効率よくシャワーヘッドを操ることができた。





呼んだ車にトラベルケースを放り投げ、自分も乗り込む。自分のバッグを肩にしょったエースは俺が買ってやったオレンジ色の毛布を抱いたままシートに身を沈める。

「これやるよい」

無機質な紙袋に入れられたそれを手渡すと、エースは受け取ったはいいもののどうしたらいいのかわからないようで、俺に視線を寄越したり紙袋を見つめたり車内に視線をめぐらせたりした。

「おまえが俺を満足させるような絵を描いてくるって飛び出して行ったとき、買っておいたんだがなあ…それどころじゃなかったからよい」

「このエロオヤジ!」

太ももを撫でると爪を立ててつねられる。痛みに慌てて手を離せば、エースは鼻を鳴らした。

「スケッチブック」

「ああ。たまには人にやらねえ絵も描け。おまえ描いたらすぐ人にやっちまうから、俺はまだおまえの絵を見たことがないんだよい」

エースのような生き方をしている男にこんなものを持つ習慣があるはずもない。自分のためのスケッチブックなど持っていたって荷物になる一方だ。それをわかった上で買ってやったスケッチブックは、敢えてサイズは標準よりすこし小さめだけれど分厚いものを選んだ。

「俺にくれるための絵じゃなくて、俺に見せるための絵を描いてみろ」

この決定的な違いは彼に伝わるだろうか。エースは素直にありがとう!と元気よく礼を言ったので、たぶんわかっていないんだろう。
俺が気に入りそうなものをその黒い瞳で探しながら描かれた絵も魅力的だが、エースが自分のために描いた絵ならばその絵の中にはエースが宿る。俺はそれが見たかった。




30分もすると車は目的地に到着する。
敷地に入る5分ほど前から、エースは目を輝かせながら窓枠に手をかけて景色を眺めていた。彼はきっと気に入るだろうと思ったが、どうやら間違っていなかったらしい。
郊外のほんの入り口だというのに穴場的に存在する、都会の喧騒を忘れさせる森の中の家。街が発展すると共に自然は失われていったが、都心と郊外との間を流れる川の立地のせいで、このあたりだけまるで田舎町のような風体を守っていた。

「理解できた」

とエースは笑った。
それが街中の俺のアパートを見て「どうしてここであんな小説が書けるのか」と投げかけた疑問を示すと悟り、俺は思い切り息を吸った。自然のにおいより強く、お隣さんの夕飯のにおいが鼻を刺激する。エースも同じなのだろう、腹減った、と苦笑を浮かべた。







11.07.05




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