マルコの言う、つまらない仕事が終わると、翌日から彼はクローゼットを荒らしだした。彼は国境を越えた証だらけの赤茶色のトラベルケースをベッドの上に広げ、すばやく荷物を詰め込んだ。選ぶような仕草は見せない。あらかじめ入れるものと置いていくものを決めていたみたいだ。実際決めていたのかもしれない。彼は移動に慣れている。

俺たちはあのまま互いのことをちょっとずつ喋って、そのうち眠ってしまった。ソファもベッドもあいているのに、ふたりして床に転がっていたせいでいたいいたいと文句を言いながら起きあがるさまはなんだか笑える。
体中がべたべたのままであることに気付いて我先にとシャワールームへ走り出したのはほぼ同時で、鼻先で脱衣所のドアを閉められた俺はあきらめてキッチンのシンクに片足をかけたのだけれど、やけにおとなしい俺を不審に思ってロックを解除したマルコにあっさり見つかってしまって結局ふたりでシャワーを浴びた。マルコがシャワーを握ってバスタブに立ち、その足元にしゃがんだ俺にも湯をかけてくれた。まるでペットみたいだなと俺は思ったしマルコも思ったに違いないが、ふたりして立つと威圧感と息苦しさにどうにかなってしまいそうだったし、体格のいい男ふたりがしゃがめるほどの広さはない。結局その体勢がいちばん都合が良いのだった。


マルコはトラベルケースが半分ほど埋まったところでふいに手を止めた。太くしっかりとした首に手を当てて、1回ごほっと咳をする。そして俺を見る。

「朝飯がまだだった」

俺は笑って、見せつけるみたいに食べていたパンの最後の一口を頬袋をぱんぱんにさせながら口に押し込んだ。

「どうせおまえもそんだけじゃあ食った気にもならねえだろい。外行くぞ、服着ろ」

一足先にシャツを羽織ったマルコはつま先をとんとんさせてしっかりと靴を履きなおすと、煙草に火をつけて玄関を開けた。俺はシャツの袖に腕を通しながら、あわててその後を追った。


茫洋たる大空にはほとんど雲が見当たらない。マルコはぐっと眉間に皺を寄せ、サングラスをかけた。ずるいなと思いつつ、俺も帽子をすこし目深にかぶってみる。背徳的な行為をしたあとの太陽光というのはよけいに罪悪感を抱かせるものだ。太陽は好きだが今はあんまり浴びたくない。それは俺たちには眩しすぎた。

いつものバールは朝からなかなか繁盛している。テーブル席はいっぱいそうだったのでソファのボックス席に座り、マルコはベーコンエッグにサンドイッチ、ホットコーヒーをオーダーした。俺はちょっと迷って、コールスロー・サラダとハンバーガー、ポテトとソーセージの盛り合わせ、ミルクをオーダーする。

「そりゃあブランチっつうより完璧なランチじゃねえか?エース」

室内だからと外していた帽子を背後から力強く被せられる。俺は思わず間抜けな声を出した。マルコの片目がぴくりと痙攣するように小さく動き、なんでもなかったかのように灰皿をセットする。

「サッチ」

「おまえなあ、なんで昨日来なかったんだよ!気が向いたら、とか時間があったら、つうのは社交辞令っていうんだよ知ってっか?」

サッチが話しかけてきた勢いのまま当然のように俺の隣に滑り込んできたので、ソファの真ん中に座っていた俺は奥へと詰めなければならなかった。

「サッチ。おまえも今から朝飯かよい。会社務めのくせにずいぶん遅えじゃねえか」

「俺は今日は外だからいいんですぅー。おまえの仕事も貰ってくる予定だけど、」

サッチは不自然に言葉を切り、横目で俺を見た。

「…いらねえか」

「ああ。しばらくいらねえよい」

ふたりの会話が何を示しているのかがわかってしまったへんなところで敏い自分が嫌になる。それが顔に出てしまったのか、マルコが笑った。マルコの視線を追ったサッチも笑った。
マルコは小説を書き始めるのだ。

ウェイトレスがいろいろな法則を利用して効率よく運んできた皿をテーブルに並べている間、俺は彼女に煙がかからないようにドアの方角に顔を向けて煙草を吸う。考えていたのは今朝のマルコのトラベルケースのことだった。
マルコは言った。あのアパートはつまんねえ仕事を片付けるためのもの。それでは小説を書くときは?彼はどこで仕事をするのだろう?

コーヒーのにおいと、焼きたてのソーセージの肉汁がじゅうじゅういう音。それらを残して彼女は去った。

「今日にでも移るつもりだよい。おまえはもともと荷物がねえから、ただついてくりゃあいい」

「近えの?」

「ああ。イゾウの店に行くよりずいぶん近いよい」

マルコは穏やかに笑った。俺はなんだかんだ言いつつももうサッチに会えないとなると寂しいなと思っていたから、彼にもすぐに会える距離ならうれしい。そう思ってマルコに笑みを返し、サッチを見ると、彼は今まで俺に見せたことのない、堅い無表情でマルコを見ている。

「モンゴメリー・クリフト」

と俺は呟いた。小さな声で。距離が近いせいでその声を拾ったサッチが、さきまでの無表情を崩し不審そうにこちらを見たが、俺はなんでもないというふうに煙草を捨ててソーセージにフォークを突き刺す。
あの無表情はまるで、ヒッチコックの映画で殺人の告白を受けた神父の表情そのものだ。何か悪いことが起こるという戸惑いの段階をとっくにクリアし、確実に悪いことが起こるなという確信的な予感、それらを彷彿とさせる巧緻な表情。
サッチと話をする必要がありそうだ。もちろん相手は俺じゃない。
俺はできるだけスピードをあげて食事をたいらげると、常に持ち歩いている鉛筆を取り出してくるりと回した。

「いい天気だから、稼いでくるよ」

マルコのアパートを出たときよりもさらに目深に帽子をかぶって表情を隠す。どうしてだろう、ひとまずの宿をとのつもりで彼らに付き合っていたというのに今となっては変わるのが怖い。心臓がいやに早く脈打っているのがわかる。

「エース」

サッチをまたいでボックス席から抜け出したところでマルコが俺を呼んだ。

「夕飯までには帰ってこいよい」

思わず笑ってしまった。









11.06.28


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -