店の外に出ると、雨は本降りになっていた。水溜りに落ちた水滴が跳ね返り、道路をうるさく見せている。街灯の揺らめきが映りこみ、平衡感覚をおかしくし、ほんのすこしくらりとする。

「仕方ねえな。我慢しろ」

そう言ってマルコは屋根の下から雨の中へ歩み出る。俺もあわててついていった。このまま逃げ出すこともできたけれど彼には恩があるし、俺の荷物だって彼がその左手に無造作に掴んだままだ。マルコは一度だけ俺の存在を確認するみたいに半分だけ振り返ったけれど、あとはまっすぐ前だけを見つめて歩いていった。サッチと同じく、彼の歩き方はクールだった。下を見ず、歩調を乱さず、さりげなく水溜りをよけていく。このような街で暮らしていれば俺もこういった歩き方ができるようになるのだろうか。
体をうつ雨水への不快感から、俺もマルコも無言で道路を渡る。路地に入ると、雨音が反響してとても会話ができる状態じゃない。俺は思わず顔を顰める。そのやかましい路地を抜けると、ずらりとアパートメントの立ち並ぶ通りに出た。マルコはポケットに手を入れた。きっと家はこの中のどれかなのだろう。予想通り、ポケットから出てきた彼の手には鍵が握られている。
アパートの中に入りドアを閉めると、ようやく耳が雨音以外の物音を拾うようになった。マルコは手の甲で濡れた頬と顎を拭い、コートを脱いだ。俺は前髪をかき上げて水滴が目に入らないようにすると、マルコが動き出すのを待った。

「3階だよい」

とマルコは言った。俺の荷物を投げ寄越したので、俺はそれをキャッチする。見上げると、既にマルコは階段の踊り場を抜けたところで、コートの裾が視界から消えた。俺は一度鼻をすすってから後を追った。

深緑色をしているドアの横の壁に寄りかかり、マルコは俺を待っていた。彼の部屋はいちばん奥の角部屋だった。俺が彼の前に立つと、マルコはびしょびしょに濡れた俺の頭をくしゃりと撫でて、背中を押した。俺は逆らわずに部屋に入る。視線だけくるりと見回してみても、何の変哲もないふつうの部屋だった。

「作家の部屋ってどんなもんかと思ったんだけど、普通なんだな」

「ああ、俺はここじゃああんまり仕事しねえからなァ。趣味で読む本が数冊ありゃあ十分だよい」

ドアがみっつある。それらはすべて開け放たれている。ひとつはバスルームで、ひとつは寝室のようだった。ベッドの端が見える。そしてもうひとつの部屋の中はここからじゃよく見えないけれど、おそらく書斎だろうと思う。

「仕事場、他にあんのか?」

「俺は書きたいときにしか書かねえからな。書きたくなったらそっちの家へ行く。普段はここで小説以外のつまんねえ仕事だとかこなして、あとは気ままに過ごしてるよい」

マルコの部屋にはスチーム・ストーブがあった。彼が電源を入れると、ヴヴヴ、カンカンカン、とそれが動き出す合図となる音が響く。マルコはタオルを貸してくれた。俺はシャツを脱いで頭から拭き、ストーブの前にあぐらをかいた。酒はすっかり抜けてしまっている。振り返ってみると、首にタオルをひっかけたマルコが湯を沸かしていた。

「マルコ、なんで俺を連れてきたんだよ」

と俺は言った。マルコはケトルの中を覗き込んだまま曖昧に唸り、こちらを見ない。俺も彼から視線を外し、正面を向く。荷物の中に入っていた、サッチからもらった煙草は無事だった。俺はそれをくわえて火をつけた。

「おまえが、俺の本の何が好きかちゃんと伝えられるようになったら離してやる」

「は?」

思わず振り返れば、しゃがみこんでコンロの火で煙草に火をつけていたマルコが立ち上がりながらこちらに体を向けた。目はおもしろそうに細め、口は楽しそうに弧を描いている。

「俺がてめえを教育してやるっつってんだよい」

「教育って…俺はちゃんと読み書きできるって言って」

「違えよい。そんなもんはたいした問題じゃねえ。むしろできなくたっていい。おまえの場合は話せねえことが問題なんだ」

俺は固まってしまって、きゅっと結んだ唇を開くことすらできなかった。
ちゃんと言葉喋ってるだろ、なんてとぼけた返答を返すことすらできない。俺はすべてわかっていたからだ。喉が張り付くようにいやに乾いて、俺は唾を飲み込んだ。
酒場で視線を合わせたとき、きっとマルコにはすべて知られてしまったのだろう。俺が人と距離を置かずにはいられないこと。自分のことを話すのが極端に苦手なこと。それらを隠すことばかりうまくなって、こんなにいびつな人間に育ってしまった。
しかし俺がどうにかなったとして、それがマルコの得になるだろうか。なるはずがない。伺うようにマルコを見れば、腕を組んだ彼は値踏みするように俺を見た。俺は反射的に顎を引き、すこし肩を下がらせる。

「なんだよ。俺はそんなこと頼んでねえよ」

「頼むのはこっちだよい」

「はあ?」

「おまえのことを教えてくれ、エース」

気付けば俺は思い切りマルコの顔を殴っていた。思い切り殴れば、さすが体格の良い男、他の男みたいに吹っ飛びはしなかったけれどふらりとよろけてシンクに捕まり体勢を整えた。首だけ後ろを向いて、血の混ざった唾を吐く。

「ふざけんじゃねえよ!」

暴れる腕を掴む彼の両手がどれほどの力を持っているかなんて俺は知っている。先ほども経験したそれに舌打ちをする。マルコは俺が暴れられないように、俺の体を自分とカウンターの間に挟みこんだ。

「俺から逃げても、サッチがおまえを逃がしはしねえ」

その言葉でなんとなく、さきほどのマルコの言葉の意味がわかってしまった俺は実はなかなかに賢いんじゃないだろうか。あきれ果てたあまり、力が抜けてしまった。その隙にマルコは掴んだ俺の両手を下へおろす。これではいよいよ力が入らない。

「次の作品は、おまえを題材にする。エース」

くそ。
ふたりから逃げられたとしたって、すぐに追いつかれるだろう。俺はこのあたりに詳しくないし、自覚があるくらいには目立ちすぎるし、まだ開発途中のこの国は、街と街の間が閑散としている。身を隠せるはずもない。オーケー。相手が諦めるまでの辛抱だ。一度、認めてしまおうじゃないか。

「しょうがねえなあ。暴いてみろよ」

満面の笑みでそう言って、いまだ俺をおさえこむ男の顔に唾を吐いた。








11.04.05




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