――どうして俺はここにいるんだろう。

 深い闇の中で浮かび上がった一つの問い。感覚は皆無。そこに自分が居るという確証はない。しかしその問いが浮かんだのは紛れもない事実だ。暗い暗い、黒の空間。実際に黒いのかはわからない。視覚すらも働いていない、そんな気がするから。
 
(どうして俺が此処にいるって?んなもん俺を生んだ親に聞いてくれ。どうして「俺」を生んだんだ?他の誰でもなく「俺」だったんだ?嗚呼、こっちが聞きてぇよ馬鹿野郎。)

 何故此処にいて、何故こんなにも苦しくて、何故自分が自分であるのか。そんなわかるはずのない問いは、結論までいっては始めに戻っての堂々巡りだ。面白くもなんともない、出口のない迷路のような感覚を味わう。
 と、突如感じた浮遊感。水底から引きずり出されるような。黒に白が侵入する。線は面となり、そして辺りを覆い始めた。黒が消えるのに比例して色が見えてくる。世界が、鮮やかになってゆく。眩しい。そこで初めて視覚が正常に機能していることに気付いた。
 今度は振動を感じた。ゆっくりと、だが確実に響く音。とくん、とくんと響くそれは、恐らく誰かの鼓動。誰?自分以外の誰かなど存在していただろうか。急に不安になった。
 そして、徐々に熱も感じる様になってきた。温かい。……背中、だろうか。熱という、確かに自分以外が存在しているという確固たる事実がすぐそばにある、そんな些細なことが堪らなく嬉しく感じた。

「……ん、」

 聞こえた声に、意識は完全に覚醒した。目をゆるりと開けるとそこには色が付いていた。
 身体を反転させると、そこにあったのはイヴェールの後姿だった。狭いベッドの中だ、きっと背中を合わせて寝ていたのだろう。イヴェールの肩から流れる朝日を反射する銀糸がきらきらと光って、純粋に綺麗だと思った。
 手を伸ばし触れようとした。が、なんだか神聖なものに触れるみたいで一度手を引いた。自分が穢してしまうのではないか、そんな予感がしたのだ。まじまじと見つめていたが、当然ながらそれは神聖という言葉とはかけ離れた職に就いているイヴェールのもので。まだ少し躊躇いはあるものの、そっと触れてみた。
 さらさらのそれは手に馴染み、よく手入れされているのがわかる。毛先もほとんど痛んでおらず自分のものとは大違いだ。髪質からして違うのだろうか、イヴェールのそれはとても柔らかかった。
 そのとき、イヴェールの身体がぴくんと動いた。思わず手に持っていた髪を離して様子を窺う。しばらくもぞもぞと動いた後に、また静かに背が上下し始めた。ほっと息を吐き、もう大人しくしていようと後ろを向いた。
 ぴたりと背中が合った。当然だ、こんなに狭いベッドを大の男二人が使っているのだから。必然的に伝わる熱に、鼓動に、とても安心する。

 ――ああ、そうか。さっきのもイヴェールのだったのか。

 考えれば当然だ。ここには自分かイヴェールしかいないはずなのだから。だけど、先程までえも言われぬ孤独に苛まれていた自分にとって、その存在はとてつもなく大きいものだった。
 安心する。不安が消える。存在を感じる。確かに此処に在るという実感。
 忘れていた現実が、目を背けていた現実が、色鮮やかに蘇る。

「……あ?」

 ぽたり。落ちた雫。シーツを濡らした温かいそれが涙だと気付くのに、相当な時間を費やした。自覚したところで止められないそれは後から後から溢れてくる。

 昔は、涙なんて流すこと、無かったのに。
 ああ、俺はこんなにも弱くなっていたのか。

 そこまで思ったところで、ふと自嘲の笑みが零れた。

 いや違うな。元々、俺は弱い存在だったんだ。強いと自分を偽って、それを頑なに信じてここまで生きてきて。

 なんてちっぽけで下らない存在だろう、と。改めて思った。
 思ったんだ、けれど。

「下手くそな狸寝入りしてんじゃねぇよ、馬鹿イヴェール。」
「……うっせ、馬鹿サン。」

 でもそれはきっと、見て見ぬふりをする、優しくて残酷な相方を持ったせいだと責任転嫁して。あと少しだけ、と自分に言い訳してみる。
 背中の鼓動と熱を感じながら目を閉じる。
 微温湯の優しさにつかりながら、再び意識を深淵へと沈めて行った。

 ――今度は良い夢が見れればいいのに。

 頬を撫でる指の感触を最後に、世界は再び閉ざされた。







微温湯
(お前の過去を知ることもなければ、知るつもりもない。)
(だから今はそれを忘れて、おやすみ。)



100402

……………………
なんとなく、イヴェールは過去の事情とかを聞かなさそう。代わりに何も言わずそばにいる、みたいな。判断基準は独断と偏見です←


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