「イヴェール。」

 ベッドの方から聞きなれた声。手元の本から目を離さずイヴェールが声を上げる。聞いている、というサインである。ページをめくる音が嫌に部屋に響く。

「おい、ちょっと聞けって。」
「聞いてる。」
「嘘つけ。」

 はぁ、と息を吐くローランサン。恐らくまだベッドの中でぬくぬくとしているのだろう、いつもに比べていささか機嫌が良い。ぽかぽかとした日の光が優しく照らし、その丁度良い暖かさがまたローランサンを眠りの世界へと誘う。閉じかける瞳を叱咤し、のそりと身体を起こす。目を擦り何度か瞬きをすれば眠気はあっという間
に飛んで行った。
 そのままイヴェールの元へ辿り着いたローランサンは向かいの椅子へ座った。

「飯は?」
「目の前にあるのが見えないのか?」
「……あ。」

 どうやら見えていなかったらしい。イヴェールはそこで初めて視線を上げローランサンと目を合わした。呆れた視線が妙に痛い。それを誤魔化すようにローランサンは遅すぎる朝食を食べ始めた。

「……肉少ねぇ。」
「文句あるなら食うな。」
「良いよ別に、まともな食事なだけマシだ。」

 よく炒められた野菜を咀嚼しながらローランサンはそう続けた。イヴェールも特に気にすることなくまた本を読み始める。静かな空間。落ち着いた雰囲気の中、時の流れはいつもよりも緩やかなように感じた。
 食事を食べ終わりローランサンは立ち上がる。食器を洗い場へ持っていき軽く洗う。空腹が収まったことによって再び襲う眠気を振り払うように頭を左右に振る。ついでに置いてあった水も飲んで、やっと完全に覚醒したような気分になった。
 部屋へ戻ると、先程までいた場所にイヴェールの姿は無く。買い出しかと思ったがそうではないらしい。ベッドの方からシーツの音が聞こえてきた。案の定ベッドの方を覗くと、そこにはイヴェールが転がっていた。銀の髪を惜しげもなく散らし横たわる姿は男のローランサンが見ても絵になった。
 イヴェールが座っていた席に腰を下ろし、机に頬杖を突く。じっと相方の様子を見ていたが、微動だにしないそれに飽きたらしい。ローランサンは机の上に置いてあった本を手に取った。
 先程までイヴェールが読んでいたその本はやけに難しい言葉が並んでいてローランサンが読めるような代物ではなかった。正直な話、読めたとしても子供用の絵本の文字が精一杯だ。それで仕方ない環境で育ってきたし、盗賊として必要だったのもお金の単位と数字の知識のみだった。今さら文字を覚える気にもなれない。それで
もこの本を手に取ったのは無意識のうちの暇つぶしのようなものだ。
 じっとその本の表紙を見ていてもなんの発見もなく。ものの数分で飽きたらしい、今度は本の中身をぱらぱらと読み始めた。読む、というより挿絵のようなものを見ているだけだが。
 が、残念なことにこの本に挿絵はほとんどなく。暇つぶしは結局数分程度で終わってしまった。何が楽しいのかさっぱりわからない。ローランサンは試しに文章を見てみることにした。無論読めないことが前提である。
 目で文字を追う。知っている単語が幾つか見受けられたがその他のものは全くわからない。勿論知っている単語なんて数えるほどしかないし、それらを繋げたところで文章が成り立つはずもない。

「意味わかんねぇ……よくこんなもん読めるな、アイツ。」
「お前が字、読めないからだろ。」

 急に聞こえた声に驚きベッドを見るとそこにはまたも呆れた視線でこちらを見る相方の姿。呆れを通り越していっそ憐みすら感じるそれに、ローランサンは今までの行動を思い出して急に恥ずかしくなった。

「……いつから起きてたんだよ。」
「元から起きてたさ。ただ動かなかっただけだよ。」
「チッ、性格悪ぃな。」
「お褒めいただき光栄だな。」

 口でイヴェールに勝てるはずがない。不利を悟ってさっさと言い合いを止めたローランサンは、本を再び机に鎮座させた。再び頬杖をつき文句ありげな視線をイヴェールに向けるが勿論意味はない。表面だけの愛想笑いを浮かべられた。

「気持ち悪ぃ。」
「ひどいな、これで俺はマダムにおまけを貰えるのに。」
「ッハ、中身を知らないっつーのは気の毒なもんだな。」

 嘲笑を浮かべたローランサン。イヴェールは「本当に。」と続けてくつくつと笑った。

「でもローランサンが本を見るなんて珍しいな。明日は世界の終わりなんじゃないか?」
「うるせーよ、暇だったんだっつの。」
「余程暇だったんだな。」
「暇すぎてお前の頭にコレ落としそうだった。」
「そんなことしたらローランサンの大切な大切なワインが全て俺の腹の中に収まるぞ。」
「……っげ、なんで知ってんだ。」

 イヴェールはふわりと笑みを浮かべた。非常に良い笑顔である。後ろに見えるどす黒い怒気を抜いたら、の話であるが。
 イヴェールはむくりと布団から起き上がりローランサンへと歩み寄る。ローランサンも立ちあがったことにより、ガタン、と椅子が鳴った。
 暫しの時間硬直状態が続く。出口はローランサン側。しかし鍵がかかっているため出ようにも出る前にイヴェールに捕まるのがオチだ。窓はベッド、つまりイヴェール側にある。ローランサンの逃げ場は窓しかないわけだが、そのためにはイヴェールを越えなければならない。微笑むイヴェールはじりじりとこちらへ寄ってくる。
しかし油断している様子はなく隙もない。ローランサンはまさに袋の鼠であった。

「観念しろ、ローランサン。別に取って食うわけじゃない。」
「いーや、お前の言うことは信用ならねぇな。」
「いやだな、俺は自分以上に信用のおける人物はいないと思ってるよ。」
「それはそれは立派な思い上がりだことで。」

 一歩、また一歩。イヴェールが進むたびにローランサンは後退りを繰り返す。そのとき、背中に何かが当たる感触。それが壁だと気づくより前にイヴェールはこちらへ走り出していた。腕を掴まれ、足を抑えられればもう降参するしかない。ローランサンは背中に冷たいものを感じた。

「さーて、捕まえたぞローランサン……。」
「っ……ヤローを捕まえて何が楽しいんだか……!」
「嫌だなぁ、楽しいわけないだろ?俺の顔がそんな楽しそうに見えるか?」
「ああ見えるね!超良い笑顔浮かべやがって、この女顔!!」

 はっと気付いたときには、時すでに遅し。みるみる間にイヴェールの顔に影が刻まれていく。冷えた笑顔がこれほどまでに恐ろしいとは思ってもみなかった。色違いの瞳からは笑みが消え去り今は冷たい炎を宿していた。

「……ローランサン、お前よっぽど俺の怒りの琴線に触れたいようだな。」
「触れたくねぇよ、つか放せ。ワインを黙って買ったのは悪かった。」
「もうそれはどうでもいい。」

 謝って終了というわけにはいかないらしい。ローランサンは思考をフル回転させてこの後の展開を予測した。
 一つ目。確実にこのままだと夕飯は抜き。若しくは夕飯までの間、時間にして約八時間ほど、コートなしで外に放り出される。
 二つ目。ヤられる。
 最悪の選択肢しか浮かばなかった。できれば前者の方がいいと祈りながら、ローランサンは再び口を開く。

「悪かった。俺が謝るから、放せ。」

 じっとイヴェールの目を見つめる。赤と青の色違いの瞳はじっとその視線を受け止める。半開きのそれに柄にもなく恐怖心を煽られた。主に、貞操面での。

「……ローランサン。」

 ぽんと頭に手を置かれ、ほっと息を吐いた。
 助かった。
 その考えが甘かったのだ。いや、甘すぎたのだ。

 ――相手がイヴェール・ローランであるということを、ローランサンは忘れていた。

「言いたいことは、それだけか?」

 すうっと細められた瞳と口端が釣りあげられた、不自然な微笑み。それと先の言葉を組み合わせて想像できるこの後など最早一つしかなくて。
 穏やかな時間には似つかわしくない悲鳴が一つ響いたのだった。







期待なんてするだけ無駄で
俺が馬鹿だった……!!
ローランサンが馬鹿?今さらだろ。
うるせぇ!本当に癇に障る奴だな!!



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