※ひとつ前の続き。サンにょイヴェです。






 テラスは中の喧騒とは打って変わって驚くほど静かだった。ガラス戸一枚隔てただけでこうも変わるものなのか、と少し驚いた。
 さて、彼は一体どこにいるだろうか。高揚している自分に気付かないふりをしながら視線を泳がせる。どうやらこのテラスは裏口側らしく、警備員の姿はほとんど見えず。なるほど彼が逃げるのに好都合ということだろうか、となるともういないかもしれない。そう思うと落胆してしまって、帰ろうかと踵を返そうとした。

「……なんか用?冬のお嬢さん。」

 真後ろから聞こえた声に驚いて振り返るとそこには彼が立っていた。先程盗んだペンダントをくるくると指にひっかけて回している様はいかにも盗賊らしい。軽く口端を上げる笑い方が、その思いをより一層増幅させた。綺麗な白髪は今度は月光の元に晒されて青白く光っていた。

「別に用は無い。……マスクに飽きただけ。」
「ふーん。まぁ、そりゃそうだろうな。あんな面倒なところ好き好んで行く奴いないだろうし。」
「でも、嫌でも一応社交の場だし、行かざるを得ないんだ。」
「お気の毒に。俺なら絶対無理。」

 手をひらひらと振って、先程の上品な仕草が嘘のように彼はテラスの柵に凭れかかる。辟易したように溜め息をついた後、彼はいかにもだるそうに口を開いた。

「香水臭いし、オヤジ臭いし、酒臭いし、料理は冷めてるし見た目の割には味もイマイチ。美食家と豪語している国としてどうかと思う。」
「元々権力の誇示と媚を売るだけに開かれたものだろうし、仕方ないよ。」
「それにしてもこの警備の緩さは馬鹿としか言いようがないな。ま、そのおかげでこっちとしては助かってるんだけど。」

 皮肉気に口端が上がる。逃げようとする気配はなくて、どうしてかそれに安堵している自分が居て、ああもうなんなんだろう。もやもやして離れない。

「逃げないの?」
「何、叫んで人呼んだりする?盗賊が出た―、って?」
「そんなこと、しないけど。」
「うん、だろうな。」

 だろうな、って。ついさっき初めて会った人間をよく信用できるな。ああでも、それ今の僕にも言えることじゃない?笑えない、笑えないのに不思議と今さらどうこうしようとは思わなかった。

「もう、帰るのか?」
「んー、ぼちぼち帰りだす。ずっといて、さっきのマダムが気付いたらまずいし。」
「……そう。」

 帰る。そう聞いた瞬間、落胆から俯いた。おかしいな、絶対におかしい。盗賊に帰って欲しくないなんておかしいんだ。盗賊は盗む賊、近くにいたらなにをされるかわからないんだから。ああ、なのに、どうして、

「……冬のお嬢さんは、随分と寂しがり屋だな。」

 苦笑した気配。ふわっと頬の横に風を感じてゆっくりと顔を上げた。そしたら、彼がすぐ目の前にいて。もうやだ、胸が高鳴る、きゅうと締まる。彼は仮面を未だつけたままだけど、どうしてか彼の瞳が見えた気がした。
 そっと、顔の上半分を覆っていた仮面を取られる。久しぶりに感じた外気が気持ちよくて少し目を伏せる。少し高い位置にある彼を見ると、微かに息をのんだ気配がして。どうしたのだろう、と思って様子をうかがうけど、仮面が邪魔をして表情が見えない。手をそっと、そっと伸ばして仮面に手をかける。手前に引けば、それはあっけなく外れていく。ゆっくりと現れる彼の顔に、隠して悪戯をしている子供みたいな高揚を覚えた。
 仮面を遂に外して、驚いた。隠れていた瞳はそれはそれは綺麗な藍色をしている。見たことはないけれど、きっと海というものはこういう色をしているんだろうな、と思った。夜明け前の、空の色。

「…仮面、取ったけど、よかった?」
「え?ああ、あんまり喜ばしくは無いけど。まぁいいや。」

 ぼうっとしていた彼だが、はっと気づいたように言葉を紡ぐ。仮面を取り去った彼の表情が意外に幼くて少し驚いた。

「……なんか、俺の顔についてる?冬のお嬢さん。」

 彼がそう苦笑して初めて自分がそれだけ彼を見つめていたことに気付いた。無性に恥ずかしくなってとりあえず顔を背けてみた。
 ところで、さっきからずっと思っていたけどなんかずるくないだろうか。彼は僕の名前を知っている、なのに僕は知らない。うん、フェアじゃない。だから名前を聞こうと思う。これは自己防衛のための情報なのであって別に個人的に知りたいわけではない。……と思う。

「盗賊さんは、なんて名前?」

 掌に汗がちょっとにじむ。うわあなに緊張してるイヴェール。別に僕はやましいことなんてなにもしてないし考えてないんだからそんなんになる必要ないぞ。そんな僕の心情を知ってか知らずか――恐らく後者だが――あっさりと答えた。

「俺?俺はローランサンだ。イヴェール?」

 口端をつりあげて笑うのは彼の癖なのか、妙に様になっているから止めてほしい。

「ローランサン。」
「そ。」
「ローランサン。ローランサンはこの辺出身なのか?」
「それは秘密。」
「けち。」
「盗賊なんてケチでなんぼ。」

 けらけらと笑って、彼は逃亡の為に柵の上に立った。その姿が妙に浮世離れしているように見えてどうしようもなく心が騒いだ。これは夢なんじゃないんだろうか。彼――ローランサンは始めからいなかったんじゃないだろうか。奇妙な不安にかられてしまう。

「ローランサンがいたら、毎日楽しいだろうな。」
「そっちの暮らしはつまんなそうだしな。」
「ああ、本当につまらないよ。……たまに、逃げ出したくなる。」

 なんて、ちょっと言ってみただけだけど。
 ローランサンは口元に手を当てて考えている。なにを考えているんだろうか、もしかして証拠が残ると困ると言って今から僕を殺そうとしているのかもしれない。それはいやだなあ、まだ死にたくないし。
 ローランサンはうん、と一度大きく頷いた後こちらに手を差し出してきた。

「盗んで、あげようか。」

 細められた目元、緩んだ口元、差し出された大きな手。その全てに胸が締め付けられて苦しい。どうしてだろう、全くわからないけれど。連れ去られると思って辛いのだろうか、いや、それが嘘だなんて他の誰でもなく僕が一番よくわかっているけど。
 ああどうしよう、今割と盗まれてもいいかなとか思ってる。

「……なんて、」

 少し照れたように笑った後、ローランサンはくるりと身を翻した。落ちたのかと慌てて下を覗きこめば、そこには綺麗に着地したらしいローランサンの姿。なんだ、心配して損した。

「つまんなく、なるな。」
「また会えるさ、絶対な。」

 ローランサンはそう軽く笑いながら闇の中に姿をくらませた。
 絶対って、今日会ったばかりでどの口がそんなことを言っているんだ。いつもならそう言って笑ってやるのに、どうしてかそんなこと微塵も思わなかった。そればかりか、いつだろうかと考えだす始末。ああもう笑えない、笑えない!

 その日から、僕の瞼の裏に白い影がちらつくようになった。






お粗末さまでした!乙女イヴェール?なんだろう、ローランサンは内心どっきどきだと思いますww




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