「今日はハヤトくんと一緒に修行する約束をしてるんだよ」
「そうなんだ! 私もついていっていい?」
「うーん……どうかなぁ」
僕がわざと悩むフリをすると、名前はむう、と頬をフワンテのように脹らませた。ピカチュウの頬の電気袋みたいでもある。よく伸びそう。
欲望に逆らえず僕が彼女の膨らんだ頬に手を伸ばすと、彼女の冷たい手がそれを制した。
「……引っ張ろうとしたでしょ」
「……そんなことないよ」
「絶対嘘」
彼女は鋭い眼差しを僕に向けてくる。ああ、やっぱり君に嘘なんてつけないなぁ、って思いながら、ついてきてもいいよ、と話題を逸らした。とたんに、名前は顔をほころばせて、僕はそれが愛しくて、たまらない。
「ハヤトくんとどんな修行するの?」
「精神統一とか」
「……ふーん」
「そんな、つまらなそーって感じの目をしないでよ」
「あぐらかいて目瞑って瞑想するんでしょ?」
「そうだよ」
「ムウマージに教えてもらえば良いのに」
彼女の本気のような口ぶりがおかしくて、僕は声を上げて笑った。
彼女は、なんでこんなに僕が笑ってるのか分からない、って目で僕を見ている。怒ってるのかな。
実際、ムウマージが人間の言葉を喋れて、瞑想やシャドーボールを出すコツを教えてくれたら、どんなに良いだろう。考えると、また僕のツボに入ってしまいそうだった。
「そうだね、今度、ムウマージを先生として呼ぼうかな」
冗談を返したあと、僕は立ち上がり、ハヤトくんのところへ向かう用意をし始めた。
名前はその間時間を持て余していて、畳に寝転んで、ぼうっと天井を見ていた。
「そうだ、名前。今日は君のオニドリルを借りても良いかい?」
「ん〜」
「……眠そうな返事だなぁ」
「私も瞑想に加わろうかな」
「寝たいだけでしょう。それなら、ハヤトくんのうちの布団を貸してもらえばいいさ……さ、行くよ。名前」
「起こして〜」
腕をにゅっと僕に向かって伸ばした名前は、眠たいからか、甘えるモードに入っているようだ。
まいったな。これから精神修行をするっていうのに、変な煩悩が働いちゃいそうだ。
腕を引っ張って、彼女が痛い思いをしたら嫌だから、肩と足を持って、抱き上げた。
これには、さすがの名前も驚いたようで。
顔を真っ赤にしていて、とても可愛らしい。
「もー、マツバってば。下ろしてよー!」
「目が覚めたかい?」
「覚めたよ! 一気に!」
「ハヤトくんの前で、あんな可愛い名前の姿を見られたくないからね」
玄関に着いたところで、彼女を降ろした。
青いリボンがついたサンダルは、彼女のお気に入りだ。
外に出て、オニドリルをボールから出すと、まるで久しぶりの出番だ、とでもいうように大きく羽を振るわせた。
僕自身も、このオニドリルとはもう友達のようなものだ。初めこそ、うさんくさいと思われていたようだけどね。
僕が先に乗り、名前には腰にしっかり捕まってもらう。ひんやりした腕が腰に回ったのを確認してから、オニドリルに向かって飛ぶように命じた。
オニドリルは翼を大きく広げて飛び上がり、すぐに、キキョウに到着した。
「有難う、オニドリル」
オニドリルがボールに戻ると、名前は大きく背伸びをした。
「キキョウシティ、久しぶりに来たなぁ」
「そうだっけ?」
「うん。ハヤトくんに会うこと自体、久しぶりだし」
「そっか」
「多分、三年ぶりくらいかなぁ」
ジムに向かう途中、たくさんの視線を受けた。こういうことは、よくある。僕がジムリーダーである以上、仕方のないことだけど、名前を守ってやれないことが、悔しい。
僕には熱狂的なファンなんていないけど、それでも名前と一緒に街を歩いているとき、声をかけられることすらあった。妹さんですよね?だとか。そんな失礼なことを聞いてくる人もいて、そのたびに名前が悲しそうな顔をするのが、嫌だった。
今回は声をかけられることはなかったけれど、遠巻きにひそひそと何かが囁かれているのが感じられた。
ジムの前に、ハヤトくんが見えた。いつもと同じ、変な格好で腕組みをしている。ハヤトくんも僕に気づき、手を振ってきた。僕は少しだけ急ぎ足で、そこへ向かう。
「やぁ、ハヤトくん」
「ハヤトくん! 久しぶり!」
「やぁ。久しぶりだな」
「そうだね。元気そうで良かった」
「ハヤトくん、三年前と全然変わってないね」
「そうだな! 相変わらず、元気に修行してるよ。それじゃ、早速行こうか」
ハヤトくんが歩き出し、僕たちもそれについていく。
名前は久しぶりにハヤトくんに会えたのが嬉しいのか、とてもウキウキとしていて、僕は少し嫉妬する。
「そういえば、ハヤトくん。今日は名前もついてきちゃったんだけど、良いかな?」
ハヤトくんの足が、ぴたりと止まる。
「確か、あの部屋の隣に畳の部屋があったよね。そこで待ってもらおうかと、僕は思っているんだけど」
「……マツバ、何を、言って、いるんだ?」
ハヤトくんが、こちらを振り返った。
「名前は、もう、三年前に」
ひんやりとした、まるで人間ではないような、冷たい腕が、僕の目を、覆った。
「マツバ」
オニドリルは、本当に久しぶりの出番だったんだ。だって、彼女が死んだ三年前から、彼はずっと、ボールの中にいたのだから。
「マツバ。ねぇマツバ。一人にしないで。一人は寂しいの。ここは怖いの。暗くて。何も見えない。なにも……ねぇ、マツバ。
ずっと一緒に、いてくれるって、言ってたよね?」
名前。君は三年前に死んだんだ。湖へ落ちて。溺死だった。君の冷たくなった身体を見て僕は何度も泣いた。君がいなくなるなんて。そんな世界、考えられないよ。
「……でも、もう大丈夫。私たち、ずーっと一緒。これからは、もう離さない。マツバ、私の大好きなマツバ」
聞こえる音は、彼女の声だけ。身体、が し ずんで、 ゆく
( 仄かな恋のうた )