どうして私がこんな惨めな目に遭わなくちゃいけないんだろう、と私は冷たいコンクリートの壁に凭れながら思う。視線を宙に彷徨わせても光は見えず、真っ暗な空間が広がっているだけだった。……もう何日いるんだろう。少なくとも一週間以上はいる気がする。
 目を閉じてもう何度目になるか分からないクダリさんの言葉を頭の中で反復する。

『ぼく、名前が大好き。名前を愛してる、ノボリなんかに渡さないよ』

 そう言われたのが確かここに連れて来られた時。クダリさんは私を一室に押し込め、無理矢理抱いた。処女を失った時、私は本気でクダリさんを殺したいと心の底から思った。けれど、私にはクダリさんを殺す手段もなければ逃げる手段もない。抱かれる時も忌々しい手錠がつけられ、片足には枷がつけられる。
 ……違う、一番怖いのは子供が出来ることだ。今のところクダリさんには毎回中に出されているし、ピルも飲ませてもらえていない。子供が出来ていたら、と考えてゾッとする。

「あれ、名前起きてるの?」

 ガチャリと扉の開く音と同時にクダリさんの声が聞こえる。そちらへ視線を向けるとクダリさんが今日の朝ご飯、もしくは夕飯を持って立っていた。クダリさんはこっちに近寄って、それからその細く長い腕で私を抱きしめる。

「ただいま、名前」
「…………」
「今日のご飯はね、トーストだよ。一緒に食べよ?」
「…………」
「あ、手錠外さないといけないね」

 クダリさんは手錠を外すと私の手を握る。……温かい。トーストを渡され、私はナイフを使ってバターを塗っていく。その途中にこれを使えば、クダリさんを殺せるかもしれないと思いついた。
 そっとクダリさんの様子を見つめていると美味しそうにスープを飲んでいる最中だった。
 ――今しかない。
 そう思った私はクダリさんの左胸にナイフを突き刺す。

「――イ”ッ!?」
「クダリさんなんか、クダリさんなんか……!」

 左胸にナイフを力一杯突き立てる。クダリさんは苦しげに呻いて、私の方へ手を伸ばす。私は全体重を掛けてナイフを押すとズッと貫通する音と共に赤い血がクダリさんの白いコートにじんわりと広まっていく。その光景を見ながら私は喜びに打ち震えていた。
 これで、やっと陽の目を見ることが出来る! 助けを求めることが出来る! 
 最後に死に様を見てやろうとクダリさんの顔を見ると、彼は……笑っていた。その表情に絶句していると、クダリさんは胸に刺さったナイフを抜いた。

「名前、」

 心底、背筋が凍るような声だった。温度を感じさせないその声の主は私の前に立つと、にっこりと微笑んだ。
 どうしてっ!? 私は、クダリさんの心臓に刺したはずなのにっ、どうして彼は生きているの? 平気そうな顔をしているの!?
 パニックになって「嘘、嘘」と呟く。クダリさんは私の疑問に答えるかのように、にんまりと笑って告げた。

「だってぼく、心臓右にあるから。生まれながらの疾患なんだって。ぼくから逃げれなくて、ぼくを殺せなくて残念だったね? ……また刺されちゃ困るから、腕切っちゃおうか?」

 その言葉とその目で私はクダリさんが本気だということと、彼から逃げることは不可能であることが悟り、ぽろりと涙が落ちる。それと同時に肘の関節に激痛が走った。



残念、心臓は左じゃない